〈 閑話 〉 クロエの情念と涼の決意 前編

※本話はナツが高校に入学する前年の話です。ナツは登場しません。コメディ要素はまったくありません。視点は3人称で書かれています。

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「次に、金賞を受賞した高校の中から、全国大会に推薦する団体を発表します——」


 季節は日差しが眩しい夏真っ盛りの8月。

 ここは全日本吹奏楽コンクール四国支部大会の演奏会場。

 全ての参加校の合奏が終わり、現在壇上では表彰式が執り行われていた。


 各校の生徒たちは、観客席でひとかたまりになり着席している。

 金賞を受賞した高校の生徒たちは、皆一様に期待と不安を抱きながら司会者が発するであろう次の言葉を待っていた。



 愛媛県代表として四国支部大会に進出した私立東松山熟田津南高校、通称東高も金賞を受賞していた。東高吹奏楽部の面々も、食い入るような目で壇上の司会者を見つめている。


 その中には同校2年生、フルート奏者白鷺しらさぎクロエの姿もあった。

 心臓の鼓動が激しく胸を打つ。

 息が苦しくてたまらない。

 無意識のうちに自分のスカートを強く握りしめるクロエ。

 早く自分の高校名を読み上げて欲しい。

 クロエは強く願った。



「——プログラム3番、香川県代表……」

 司会者が全国大会に進む高校の名前を口にすると——

 クロエの背後から大きな歓声が聞こえてきた。


 もう一度、司会者の声が聞こえた瞬間——

 舞台近くに着席していた生徒たちが立ち上がり、抱き合って喜びを表現している姿が見えた。


 四国支部から全国大会に進めるのは2校だけ。


 クロエたちの今年の夏が終わった瞬間だった。



♢♢♢♢♢♢



 発表直後。

 クロエの周囲からは東高吹奏楽部の仲間たちの泣き声が聞こえて来た。

 隣の席に座る2年生の友人、ファゴット担当の鷹峯たかがみね愛美まなみも、顔を歪めて静かに悔し涙を流していた。しかし……


「……嘘だ。そんなわけない」

 クロエはつぶやいた。

 クロエの目に涙はなかった。

 むしろクロエの瞳は怒りの感情に支配されており、その体は憤りで震えていた。


 これは何かの間違えだ。私たちがここで終わるわけがない。だって、私たちはあんなに練習を重ねてきたのだから。クロエはそんなことを考えていた。



 しばらくして——


 すぐ前の席に座っていた同じ2年生の清風きよかぜすずが振り向いた。


 トランペット奏者のすずは、東高吹奏楽部のエースのような立場を担っていた。

 今回合奏した曲の中でも、涼は重要な役割であるソロパートを担当していた。

 いや、涼が活躍できる曲を選んで合奏したと言った方が正確かも知れない。

 それほど、東高吹奏楽部における涼の存在は大きかったのだ。



 クロエは涼の顔を見た。まったく取り乱した様子がない。むしろ微笑みさえ浮かべているように見える。

 面倒なコンクールがやっと終わった。クロエには涼がそのように感じているように思えた。


 そんな涼の顔を見たクロエは無性に腹が立った。いったい何様のつもりだろう。ちょっと他人より演奏が上手いだけで、自分は他のみんなとは違うとでも言いたいのだろうか。



「なによ、その顔」

 別に涼のせいで全国に進めなかったわけじゃない。むしろ涼の演奏は今日も完璧だった。

 しかし、唇から溢れた一言はそれだった。

 これはきっと八つ当たりだ。クロエ本人もそのことはよく理解していた。


「ボクの顔がどうかしたのかい。至って普通の顔だと思うけど?」

 涼は自分のことを『ボク』と呼び、男の子のような話し方をする。キリッとした美男子のような容姿を持つ涼の口から『ボク』という一人称が出ても、まったく違和感を覚えない。

 いつもなら当たり前だと思えるそんな涼の話し方でさえ、今のクロエにはとても傲慢な物言いのように聞こえた。


「悔しくないの?」

 涼の一言に反応してしまったクロエ。


「もちろん残念だとは思っているよ。でも、そもそも音楽に点数をつけること自体がおかしいんだ。ボクたちの演奏が審査員の好みじゃなかったってこと。それだけさ」

 涼は常からコンクールには興味がないと言っていた。だから別に今日に限っておかしなことを言っているわけではない。しかし——


 クロエは席を立つと、乱暴な足取りで会場から駆け出した。このままだと怒りの感情に駆られて、涼に掴みかかりそうな気がしたからだ。


「待って、クロエ!」


 隣の席に座る愛美まなみの声が耳に届いたが、クロエは構わず走り去った。



♢♢♢♢♢♢



 表彰式が終わり、東高の生徒たちも演奏会場を後にして、自分たちの送迎用バスが待つ駐車場へと重い足取りを進めていた。


「おい清風きよかぜ、ちょっといいか?」

 すずに声をかけたのは、同じ2年生でコントラバスという弦楽器を担当している剛堂ごうどうほまれ


 ほまれは身長170cmを優に超える立派な体格をした女性であり、空手の有段者でもあった。

 何よりも友情を大切する性分で、部内では人情派の姉御肌で通っていた。


「さっきの言い方は、あんまりじゃないか」

 誉は涼に詰め寄りそう言った。


「ん? どういうことだい? ボクは自分の思っていることを言ったまでだよ。誉だって、ボクが音楽に点数をつけられるのが嫌いだってこと知ってるだろ?」


「ああ、よく知っているよ。私自身、清風と同じで、演奏で勝ち負けをつけるのは正直言って性に合わないさ」


「じゃあ、なんだって言うんだい?」

 本当によくわからいという顔で言葉を返す涼。



「言い方だよ。私や清風がコンクールに良い感情を持ってないとしても、みんなが私たちと同じ考えを持っているわけじゃないんだ。わかるだろ?」


「もちろん、それはわかるさ」

 その点については納得している様子の涼。


「一生懸命、全国大会出場を目指して頑張って来た仲間もいるってことだよ。ここは共感的な態度で、仲間の気持ちに寄り添うことも大事じゃないのか?」


「……誉はボクに、自分の気持ちを偽れって言うのかい?」

 この時初めて、涼の端正な眉が少し上がった。



「違うよ」

 フゥーとため息を漏らしながら、誉は続ける。


「いいか。まずは相手の気持ちを考えろって言ってるんだ。清風だって、白鷺しらさぎが全国目指して一生懸命努力してたのは知ってるだろ? その白鷺が、今どんな気持ちでいるのか、まさか想像出来ないなんて言わないだろうな?」


「そこまで鈍感じゃないさ……」


「なら、今日のところは白鷺の気持ちを汲んでやったらどうだ? もし後日、今後のコンクールを巡る考え方に意見の違いが生じたなら、その時はまた冷静に話し合えばいいじゃないか。今はコンクールの意義について話し合う時じゃない。そう言うことだ」

 誉も少し感情的になってきたようだ。

 誉の顔が少しずつ涼の顔に近づいていることに、誉自身はまったく気づいていない。


「……わかったよ。きっと誉の言うことが正しいんだろう」

 涼は自分の生き方を他人にあれこれ言われることを極端に嫌うところがある。しかし、誉の意見にだけは耳を貸すことが多かった。

 性格がまったく異なる二人だが、おそらく二人はお互いを尊敬し合っているのだろう。多くの部員は常からそのように考えていた。



「よし! じゃあ、みんなで白鷺を探しに行こう!」

 誉が力強く叫んだ。

 こうして、2年生たちで協力してクロエを探すことになった。

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