野球場での攻防 後編

「あなたは——」

 愛県高の部長サンが武者小路さんの姿を認め、

「——確か、金木蓮きんもくれん中学の武者小路さんね」

と、言葉を漏らした。


 武者小路さんって、エラくエレガントな名前の中学に通ってたんだな。

 なんてことは本当にどうでもいいや。


「武者小路さんって有名人だったの!?」

 アタシは思わず驚きの声を上げてしまった。


「ちょ、ちょっとナツさん、やめて下さい! 私はその…… 中学時代、ほんのちっぽけなソロコンテストのような大会に出場した際、超奇跡的に全国大会に出場しまして…… その時、東雲さんとお会いしただけで、その……」


「えええ! ソロコンの全国大会って、結構遠い場所でするんでしょ? やっぱり武者小路さんって、お金持ちなんだね!」


「ちょっと、ナツさん! あなたって、本当にいつも下ネタとお金の話ばかりして! 私は、あなたが将来、下ネタ好きの下卑げびた守銭奴にならないか心配でなりません!!! あっ、あの…… 嫌だ、私ったらまた……」

 再び顔の表面を焦がす武者小路さん。


 あきれた表情でアタシたちを見ていた愛県高の部長サンがつぶやいた。

「まあ、どうせすずが目当てで入ったんでしょうね。いいわね、あなたたちにはすずがいて。すずさえいれば盤石ね」

 なんだろう、聞いててちょっとイラっとした。

 それじゃあまるで、ウチの吹部は清風きよかぜ先輩のワンマンチームみたいじゃないか。


「まったく、花梨ったら、本当にわかってないわね——」

 よし、ここでまた白鷺しらさぎ副部長の反撃だ。

 やっちゃって下さい、副部長!

 と、思っているのは、どうやらアタシだけではないようで、騒ぎを聞きつけてやって来た東高吹奏楽部の面々も、期待を込めた目で副部長を見つめている。


「——あなた、未だにウチの吹部で上手いのは、金管楽器担当の人たちだけだって思ってるでしょ」


「事実でしょ? 実際、去年の冬に地域の合同演奏会でアンタたちの演奏を聞いたけど、木管のオーボエなんて、奏者すらいなかったじゃない。急場しのぎで、新入生にでも吹かせるつもり?」


「ウチにはね、今年、武者小路さんに勝るとも劣らない、超一級品オーボイストが入部したの。あのすずだって一目いちもく置いているぐらいよ。今年のコンクールの自由曲は、木管楽器が中心の曲になると思うから、楽しみにしててね。あっ、ついでに言うと、その新入生は、すずのことなんて、何も知らずに入学したそうだから」


 副部長は何を言っているのだろう? 不思議に思ったアタシは、副部長の隣にいる鷹峯たかがみね部長に尋ねた。

「ねえ部長。ひょっとしてアタシの他にもう一人、期待のオーボエ担当の新入生がいたんですか?」


「ふっふっふ、今の言葉を聞いた?——」

 あれ? 鷹峯たかがみね部長はアタシの質問には答えず、愛県高の部長サンに向かって言葉を投げかけたんですけど……

「——この子は、お笑いのセンスも持ち合わせているのよ!」

 いや、部長は散々アタシに、お笑いがわかってないって言ってるじゃないですか。


 コソッとアタシの隣に、サチさんがやって来た。

 鋭い視線をアタシに向け、そして一言。

「いいか、お前はもう喋るな」

 ちょっと、なんですかそれ? 怖いんですけど。


「この子が新しい、ウチのスーパーウルトラ・オーボイストよ!」

 そう言って、アタシを指差す鷹峯たかがみね部長。

 ねえ部長、何言ってるんですか? と声に出して言いたいけど、サチさんが怖いので言えない。

 確かにアタシはみんなからオーボエが上手いって褒めてもらったけど、アタシ、武者小路さんみたいに全国大会なんて行ってないよ?


 愛県高の人たちがザワザワし始めた。

 そりゃそうだろう。

 アタシだって一緒にザワザワしたいよ。


「何を言い出すのかと思えば…… 確かに顔はカワイイから目立つかも知れないけど、楽器は顔で演奏するものじゃないのよ? ねえ、それって絶対ブラフよね。じゃあ、その子の出身中学はどこなのよ?」

 愛県高の部長サンが追及する。


 一瞬、言葉に詰まった鷹峯たかがみね部長であったが、決意を込めた声で言い返した。

「…………遠いところから来た子よ」


 いや、アタシは市内の三中から来たんですけど。

 そんなに三中出身者は肩身の狭い思いをするのか?

 隣にいる、同じく三中出身のサチさんが、少し切なそうな目をしていた……



 さて、そうこうしているうちに——


「みんな、何をしているんだい? ボクだけ除け者にするなんて、あんまりじゃないか」

 そう言いながらやって来たのは、さっきからこちらで散々話題にのぼっていた、清風きよかぜすず先輩ではありませんか。


「す、すず!」

 愛県高の部長サンの顔に、緊張がはしった。そして——


「あ、あなたもやっぱり、ここにいた——」


「やあ花梨、久しぶり。ねえ、ほまれ、今までみんなで何の話をしていたのか、ボクにも教えておくれよ」

 あっさりと愛県高の部長サンの言葉をさえぎる、マイペースな清風きよかぜ先輩。


「ちょっと、何よそれ! 久しぶりに会ったのに、言うことはそれだけなの!?」

 なぜだか愛県高の部長サンが激昂されているようだ。


 でも、自分の話を遮られたからといって、そこまで怒らなくてもいいんじゃないの?

 お怒りの理由がよくわからず、ポカーンとしていたアタシ。


 そんなアタシに、武者小路さんが耳打ちしてくれた。

「東雲花梨さんは、同じトランペット奏者である清風きよかぜ先輩をライバル視されていたそうです。先ほどのナツさんの質問に答えるならば、東雲さんは清風きよかぜ先輩と同じ高校に入学するのを嫌って、わざわざ他の高校を受験されたとの話です。だって、同じ高校の吹奏楽部に進んだならば、ずっと清風きよかぜ先輩の風下に立たなければなりませんからね」


「なるほど。一緒にはいたくないけど、だからと言って無視されたら腹が立つって感じなのかな」


「そうですね。それからライバルと言いましても…… 清風きよかぜ先輩は、きっと東雲さんのことを、ライバルとはお思いになっていないのでしょうね」

 なるほど。いろいろ複雑な事情があるんだな。



 さて、清風きよかぜ先輩の様子を改めて見てみると、やっぱりマイペースを貫いて、今は何やら剛堂ごうどう先輩に、揉め事が起こった原因について尋ねているようだ。


 うわぁ、愛県高の部長サンが、怒りで体を震わせてるよ。


 おっと、サチさんが剛堂ごうどう先輩に呼ばれているぞ。

 まあ、揉め事の原因はサチさんだと言えなくもないからな。


 清風きよかぜ先輩と、剛堂ごうどう先輩、それに部長、副部長も交えて、サチさんから事情を聞いているみたいだが——


「なんだってっっっ!!!」

 うわっ、びっくりした!

 清風きよかぜ先輩が、珍しく大声を上げたと思ったら——


「チンコ専門病院がいただって! サチ、どうしてボクに教えてくれなかったんだ!」

 あれ? なに言ってるんですか、清風きよかぜ先輩?


サチの話はたいがい面白くないけど、あのチンコ専門病院の話だけは秀逸だよ!」

 ……サチさんってば、先輩たちにもチンコ専門病院先輩の話を、面白おかしく広めてたんですね。


「さあ、早くみんなで、チンコ専門病院に会いに行くぞ!」

 そう言って、清風きよかぜ先輩は、野球場目指して走って行ってしまわれた……


 嗚呼ああ清風きよかぜ先輩。やっぱりあなたも『チンコ専門病院』って言いたかったんですね。わかりますよ、その気持ち。


「チッ、あたしの話はたいがい面白くないのかよ。まったくムカつく先輩だぜ」

 そう言いながら、サチさんも清風きよかぜ先輩に続いて、野球場へと向かった。

 サチさんは清風きよかぜ先輩に対していろいろ思うところがあるようだけど、やっぱりチンコ専門病院の誘惑には勝てなかったようだ。


 ポカーンと清風きよかぜ先輩を眺めていた愛県高の部長サン。

 ハッとした表情で我に返り、そして叫んだ。


「なによ、私のことなんて眼中になかったクセに! 私の存在って、そのチンコ専門病院以下だって言うの!? ふざけるなぁぁぁーーー!!!」

 哀愁漂う部長サンの声が、駐車場周辺にこだました……


 ひょっとすると、愛県高の部長サンもチンコ専門病院って言いたかった…… ってことはないよな。


 アタシの隣で、武者小路さんが何やらつぶやいている。


「チ…… チ…… チン…… 嗚呼ああ、やっぱり私には、人前でこんなこと言う勇気はありませんわ! でも、絶対に努力して、清風きよかぜ先輩に近づいてみせますからね!」


 武者小路さんは武者小路で、なにやら苦悩が深まったようだ。


 最後にルイがアタシに近づいて来て、そしてつぶやいた。

「なあナツ。その…… 女子がチンコチンコって連呼して…… 大丈夫なのか、ウチの吹奏楽部?」


「許せルイよ。人は誰しも、チンコ専門病院の誘惑には勝てないんだよ」


「……お前は、ウチの吹奏楽部にぴったりマッチしてるようだな。でも、なんだかちょっと複雑な気分だよ」


 ルイはいったい、何を言ってるのだろうか?

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