ナツとルイの帰り道 前編

※本話はナツの友人ルイ視点で物語が進みます。

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 ここは校舎4階にある音楽室近くの空き教室。

 俺が所属している吹奏楽部の『低音パート』は、いつもこの空き教室で練習している。


 俺の名前は谷山ルイ。小学校から中学校にかけて、俺はずっと野球をやってきた。父が元野球選手だったため、両親は俺にルイという名前をつけたそうだ。俺はこの名前が別に嫌いだったわけじゃない。俺自身子どもの頃から、野球はずっと続けていくものだと思っていたから。


 でも野球は中学で辞めた。

 現在高校1年生の俺は、吹奏楽部でバカでっかいチューバという楽器を吹いている。だが、楽器をさわってからまだ日が浅いため、自信をもって『吹ける』とは言えない状態だ。だから今、俺は猛練習を続けている。



 季節は衣替えも終わりみんなの夏用の制服も見慣れてきた向暑の候、7月。

 夏休みに入ると直ぐに定期演奏会が行われる予定になっている。

 俺にとっては初めての演奏会だ。


 そして7月後半には、いよいよ全日本吹奏楽コンクールが始まる。

 ウチの吹部は全国大会進出を目指して、これまで持てる限りの力を出し尽くして練習に練習を積み重ねてきた。

 残念ながら、俺はコンクールで演奏出来る55人のメンバーには選ばれなかったが、それでも俺は、先輩たちと一緒に全力で、毎日練習に励んでいた。



♢♢♢♢♢♢



 練習時間が終わり、俺たち低音パートメンバーはみんなで楽器を片付けていた。俺たちのパートが使っている楽器は大型のものが多いため、他楽器パートと比べて後片付けに時間がかかることが多い。俺たちが黙々と楽器の片付けをしていたところ——


——ザアアアーーー


 突然雨が降ってきた。


「なんだよ。帰る時間になって夕立かよ。ついてねえな」

 サチさんがつまらなさそうつぶやいた。


 俺とサチさんは小学生から中学生にかけてずっと同じ野球チームに所属していた。そう考えると、結構長い付き合いになる。


 中学生だった頃、サチさんはガタイのデカイ男子たちと野球で競い合い、なんと中学3年までレギュラーであり続けたすごい人なのだ。

 だから中学生だった当時も尊敬していたし、サチさんのチューバの演奏技術を知った現在では、更にその尊敬が増したと言ってもいいぐらいだ。


 ただ、ちょっと気が強いのがタマにキズなんだけど。この人、中学生になってもチームメイトの男子と殴り合いのケンカしてたからな……



 そんなサチさんが眼光鋭く、

「おい、A、オマエ傘持ってるか?」

と、同じ低音パート2年生の男子に尋ねた。

 男子の名前を覚えるのは面倒なので、適当に男子A、B、C…… と名付けたらしい。


 Aと呼ばれた先輩は、

「え? あの…… 折り畳み傘なら…… 持って来てるけど……」

と、気まずそうに答える。


「おい、なんでオマエ、そんなにモジモジしてんだよ?」

 サチさんが尋ねると——


「え? だってほら。僕たちそういう関係じゃないだろう? 二人で同じ傘に入ってるところを見られたら、ほら、なんて言うか……」


「オマエ、バカじゃねえの! なんであたしがオマエと相合い傘なんかで帰らなきゃならねえんだよ! 傘持ってんならあたしに寄越せって言ってんだよ、このボケ!」


「ヒィッ! そんなのひどいよ…… それじゃあ、僕が濡れて帰らなきゃならないじゃないか……」


 こういう時、決まってA先輩は俺に助けを求めるような視線を送ってくる。俺がサチさんとは長い付き合いだということをよく知っているのだ。

 仕方ない。


「ちょっとサチさん、ヒドイですよ。それじゃあ、あまりにも先輩が気の毒じゃないですか」


 俺がそう言うと、サチさんは『ヤレヤレ』といった表情を浮かべ——

「冗談に決まってんだろ。おいおい、あたしとルイは小学校以来の付き合いじゃないか。あたしが本当にソイツの傘をふんだくって帰るとでも思ってるのか?」


「………………いや、まあ、思わないっていうか……」


「なんで発言するまで、そんなに時間を必要とするんだ? それから、なんで語尾がそんなに自信なさげなんだ?」


「だってサチさん、小学生の頃、野球の練習が終わった後、しょっちゅう他人の傘をパクって帰ってたじゃないですか。俺たち、よっぽどサチさんの家が貧乏なのかなって、本気で心配してたんですよ?」


「…………残念だったな。あいにく我が家はごくありふれた中流家庭だ。単に手癖が悪かっただけだよ、まったく……」


 またヤレヤレといった表情で、俺の視線から逃れるように、教室の窓から外を眺めるサチさん。昔の話をされて、ちょっと恥ずかしかったようだ。



 そうこうしているうちに——


 窓の外を眺めていたサチさんが突然、

「おっ、校舎前にいるアイツは!」

と叫んだ。誰か見つけたようだ。


 ニヤリとした顔で俺の方を振り返り、そして今度は窓の外に身を乗り出し——


「おーーーい、ナツ!!! オマエ、今から帰るのか!!!」

 大声で叫び出した。たぶん、校舎前にいるのはサチさんの後輩にして、俺の…… まあ、なんと言うか気になる人物である、我が部期待のオーボエ奏者ナツを見つけたんだろう。


『当ったり前でしょっ!!! いくらアタシがバカだからって、今から音楽室に戻ってオーボエの練習しようなんて思いませんよ!!!』


 大声で怒鳴り返しているのは、やっぱりナツのようだ。ナツもサチさんと同じく元野球少女であるため、二人とも声がとてつもなく大きい。



 サチさんの大声が更に続く。

「ルイのヤツ、傘持ってネエんだ!!! オマエ、ルイを家まで送ってやれ!!!」


『ハア? あのマジメなルイが傘を持ってないわけないでしょっ!!! サチさん、また人の傘パクったんですか!? 昔、アタシらはよっぽどサチさんが貧乏なのかなって——』


「その話はもういいんだよ!!! 大声で誤解を招くようなこと言うんじゃネエよ!!!」


『ああ、もうわかりましたよ!!! じゃあ、ルイに早く来いって、言っといて下さいねっ!!!』


 二人の会話が終わったようだけど…… またニヤニヤした顔をしたサチさんが俺を振り返り口を開く。


「そういうわけだ。ルイ、ここはもういいからオマエはもう帰れ。いやぁ、とても気配りのできる先輩をもって、オマエは幸せ者だな」

 一人でご満悦なご様子のサチさん。


「ちょ、ちょっとサチさん! 俺とナツはそんな関係じゃないって言ってるでしょ!」

 サチさんめ…… この人、俺のナツへの想いに気づいてるんだろうな…… でも別に、俺とナツは付き合ってるとか、そういう関係じゃないんだ。第一、ナツが俺のことをどう思ってるかなんてわからないし…… ああっ、もう!


「それに、俺まだ楽器の片付けが終わってないんで——」

 俺は口を開いたが、A先輩が俺の言葉を途中でさえぎり、


「いいよ、僕がやっとくから!」

と、言ってくれた。そして、


「いつもお世話になってるんだ。こういう時ぐらい協力させておくれよ!」

という言葉を贈ってくれた。

 そう、A先輩はとても優しい人なのだ。


「……オマエ、後輩のお世話になってどうすんだよ。まあ、いいや。そういうことだから、ルイは早くナツのところに行け」


 サチさんもそう言ってくれるので…… よし、じゃあお言葉に甘えることにするか!


「アザっす!!! 後のこと、よろしくオナシャっす!!!」

 俺は大声でお礼の言葉を叫び、自分の傘をサチさんに押し付けた後、ナツが待つ校舎前目掛けて駆け出した。

 俺も元野球少年だ。声の大きさではサチさんのたちに引けを取らない。野球少年だった頃の癖で、全力で叫んでしまったのだが…… A先輩が若干ビビっていた。明日ちゃんと謝ろう。




*********


 ナツはサチさんと同じく、俺が以前所属していた野球チームの元チームメイトだ。ナツは小学生の頃とても足が早かったので、ずっと1番バッターを務めていた。

 しかし中学に入ってすぐレギュラーの座を他の男子に奪われ、中2の夏にはベンチメンバーからも外された。あれは事実上の戦力外通告だったんだと思う。中学生になると、男女の体格差がより顕著になるのだ。


 こうして中2の夏、ナツは黙ってチームから去った。

 あの時俺は、自分の心の真ん中にポッカリ穴が空いたような気がした。

 俺はナツのことが好きだったんだと気づいた。

 でも、もう遅かったんだ。


 俺たちのチームは『シニアリーグ』に属している学校外の野球チームだった。俺とは違う中学に通っていたナツとはそれっきり、中学を卒業するまで会うことはなかった。



 その後、俺は中3の夏に足を負傷した。中学最後の大会にも出場できなかった。チームの中に自分の居場所がない辛さを初めて知ったのだ。

 きっとナツもこんな思いをしてたんだろう。ナツがチームを去る決心をした時、俺は彼女になにも言葉をかけることが出来なかった。これはその報いかも知れない、当時の俺はそう思った。



*********



 俺はナツが待つ校舎前へと急いだ。


「ごめんナツ、待たせたな!」

 校舎前に到着した俺は、ナツに声をかけたところ……


「えっと…… 今来たところ?」

「何言ってんだ? お前、さっきからずっとここで待ってただろ?」


「こういう時は『今来たところ』って言いなさいと、中学の時、先生が言ってたんだ」

「どんだけ恋愛マイスターな先生だよ…… その人、本当に先生だったのか? まあいいや、早く帰ろうぜ」



*********



 中学3年の時、足の怪我が治っても、以前と同じように走るのは難しいと医者に言われた俺は、なら未練が残らないよう野球部のない高校に進学することに決めた。それなら中学時代のチームメイトに、変な気を遣われることもないだろうと思ったのだ。


 でも…… 高校の入学式の日、俺はなんだか無性に寂しい気持ちに襲われた。俺が今までどれだけ野球に打ち込んできたか、俺がどれだけ真摯に野球と向き合ってきたか、知ってるヤツは誰もいないんだ。

 今日から新しい人生を踏み出そう、そう頭では思ってみても、心は納得してくれないようだった。


 そんなとき…… 俺はナツと再会したのだ。



*********



 校舎前に立つ俺とナツ。


「傘は俺が持つよ」

 俺がナツに向かってそう言うと、


「ちぇっ」

と言って、ナツはつまらなさそうな顔をした。そしてナツは更に続ける。


「オマエ、いつの間にそんなにデカくなったんだよ。昔はアタシの方が背が高かったのに」


「お前、いつの話をしてんだよ…… 中学に入った頃には、もう俺の方が高かっただろ? それに小学生の頃だって、そんなに変わらなかったじゃねえか」


 俺もナツも、野球小僧だった頃に比べるとずいぶん大人になったと思う。しかし、こうやって二人だけで話していると、お互いナマイキな小学生だった頃のヤンチャな話し方に戻ってしまうのだ。


 半ば強引にナツから傘を奪い、肩と肩がギリギリ触れそうな距離で、二人並んで歩き出した。すると隣を歩くナツが、珍しく真剣な表情で俺を見つめてきた。そして——



「あのさあ…… アタシ、前からルイに言おうと思ってたことがあるんだけど…… ビックリしないで聞いてくれる?」


 な、なんだよこの展開? まさか…… 俺は冷静を装い言葉を放つ。


「お、おう。なんだよ?」


「じゃあ思い切って言うよ? あのさあ…… 実は……」


 く、来るのか? やっぱり来るのか? でも、こういうのって、男の俺から言った方がいいんじゃないのか? ああダメだっ、もう間に合わない!!!



「実はサチさん…… 中流家庭なんだ」


「………………………は?」



「え? ほら、ルイは優しいから、サチさんの経済状況をおもんばかって、傘を貸したのかなって思ったんだけど…… 違うの?」


「…………単に、手癖が悪いだけだろ?」


「えっ! なんで知ってんの? ひょっとして、オマエ、エスパー?」


 まったく…… ナツと話してると退屈することがない。毎日が奇想天外だよ……



「なんだよ、アタシがボケたんだからツッコめよ…… なあルイ。オマエ、昔からマジメ過ぎるんだよ。バントとかエンドランのサインだって、直ぐに覚えたし」


「……それは直ぐに覚えなきゃダメだろ?」

 ほら、ツッコんでやったぞ。でもこれはボケてるんじゃなく、で言ってるんだろうな……

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