アンズの決意 後編

 それにしても…… ナツはAメンバーに入れたことを、今、いったいどう思ってるんだろう?

 悔し涙を流してた人や、魂が抜けたような表情をしていた人を見た直後でも、ナツの気持ちは変わらないのだろうか?


「ナツって、本当はチューバがやりたかったんだよね? でも、今のチューバパートって、先輩達に上手い人が多いでしょ? 多分、チューバだったらAメンバーには入れなかったと思うんだけど…… それでもオーボエを代わってあげるっていう気持ちは変わらないの?」


 こんなことを聞くのはちょっと意地悪かな? でも、私はどうしても今のナツの気持ちを聞いてみたい、そう思ったのだ。


「うーん…… アンズは難しいことを聞くね。アタシさ、Aメンバーとかどっちでもいいんだけどさ——」


 そうか…… やっぱりナツは、今でもどっちでもいいんだ……


「——なんかそれより、今、アタシ、オーボエやってて期待してもらってるなって気がするんだよね。だから、今はみんなの期待に応えられるような演奏がしたい、そんな気持ちなんだ。だからAメンバーじゃなかったとしても、それから楽器がオーボエでもチューバでも、アタシに期待してくれる人がいるんなら、それでいいやって思うんだよね」


 そうか。ナツはみんなの期待をプレッシャーに感じるんじゃなくて、エネルギーに変えるタイプなんだな。中学で3年間一緒に過ごしてきたけど、初めてナツの本質的な部分に気付いたような気がした。


 いや、ひょっとして、高校に入ってから、ナツの気持ちに変化が生じたのかな? どっちにしても…… ナツはすごいな。私にはそんなこと、とても言えないや。


「あっ、ゴメン。なんだか答えになってないかな?」

「ううん。そんなことないよ。ナツが考えてること、とってもよくわかったから」


「うーん…… でも、チューバだとあんまり期待してもらえないかな…… ということはやっぱりオーボエかな…… でも、アンズがどうしてもオーボエをやりたいんなら……」

 まだひとりで考え込んでいるナツ。


「話があさっての方向に進んでるよ? 変なこと聞いてゴメンね。ナツの言いたいことはよくわかったから……」


 ナツの思考回路が爆発しそうなので、私は話題を変えることにした。



「そうだ、カンナちゃんのことなんだけど…… カンナちゃんはAメンバーに入れなかったんだよね? 本当に悔しがったりしてないの?」

 Aメンバーに選ばれたファゴットの2年生は、確か高校から吹奏楽を始めた人だったと思う。

 カンナちゃんは中学の時も吹奏楽部でファゴットを吹いていたそうだ。

 つまり、演奏経験はカンナちゃんの方が長いのだ。


「え? してないよ? カンナは2年生の先輩が一生懸命努力してる姿を見て来たからね。『先輩の努力が花ひらいたんだ』って笑顔で言ってたよ」


『努力が花ひらく』か……


 確かに私が所属するホルンパートでも、Aメンバーに選ばれた1年生の2人は努力していた。

 朝練も早い時間から参加していたそうだ。

 お昼ご飯も3限目が終わったらすぐに食べて、昼休みは音楽室で練習していたらしい。


 でも、それって上級生の人達とAメンバーの座をかけて戦うってことでしょ?

 私は同級生の2人みたいに、闘志むき出しで練習に励むことが出来なかったのだ……


 今年のコンクールメンバーは先輩達に譲ってもいい。私には来年も再来年もあるんだから。私はそんなふうに考えていた。


 でも結果は私の期待通りにはならなかった。先輩2人を退け、同級生達がAメンバーに選ばれたのだから……


 先輩に負けるのは構わないけど、同級生に負けるのは悔しい。

 なんだか私、すごく自分勝手なことを言ってるような気がする。

 それでも私は今、すごく後悔しているんだと思う。

 こんな気持ちになるぐらいなら、私ももっと努力しておけばよかったの?


 私、なにを考えているんだろう……

 先輩との間に生じるかも知れない軋轢あつれきを恐れず、努力して花ひらいた同級生達。

 先輩に遠慮して全力を出さず、当然努力の花がひらかなかった私。

 ただ、それだけの違いなのに、でもその違いがとても悔しい。



「ちょっとアンズ! なんか、すっごい顔になってるよ?」

 ナツが驚きの声をあげた。


「もう…… ちょっと考えごとしてただけだよ」

 私は慌てて言い訳の言葉を口にした。


「そうなの? ほら、アンズってあんまり感情を顔に出さないからさ。ちょっと考えごとしてるだけでも、すっごく珍しい顔に見えるんだよ。まあ、そんなことより…… アンズ! いよいよこれからだね!」


「え? なに言ってるの? 私、Aメンバーに入れなかったんだよ?」


「ん? だってアンズ、『今年はAメンバーに入れなくてもいい』って言ってたじゃない? アンズのことだから、2年生の先輩達に気を遣ってたんでしょ? まあ、結果は、同級生の子が選ばれちゃったけど……」


「そういえば、ナツにそんなこと話したような……」


「もう、しっかりしてよ。おバカキャラはアタシひとりで十分なんだからね。先輩達を思いやる気持ちを持つって、なんかアンズらしくてカッコいいなって思ってたんだから。流石は我らの部長だよ!」


「もう…… 部長だったのは中学の時の話で、今は部長でもなんでもないんだから」


 先輩達の気持ちを思いやるか……

 でも、本当にそうだったの? 実は先輩達に嫌われるのが怖かっただけじゃないの? なんだか自分の気持ちが、もうよくわからないや……


 いずれにせよ…… もうここからは言い訳できないな。

 自分が同級生達に置いていかれている。この事実をちゃんと認めなきゃ。


 ナツが更に話を続ける。

「とにかく、コンクールの面倒くさいオーディションがやっと終わったんだ! それでさ、夏のコンクールが終わったら、冬にはアンコンがあるでしょ?」


 全日本アンサンブルコンテスト、通称アンコンとは、一編成あたりの人数3〜8人で演奏するコンテストのことだ。

 ナツったら、もう冬のことを考えてるのかな?


「ウチの高校は、まず校内予選から始めるんだって。だからアタシと一緒に組んで校内予選に出ようよ! 誰と組むかは自由に決めていいそうだから。そうだ、木管五重奏やろうよ!」


「もう。ナツはAメンバーに選ばれたんだから、吹奏楽コンクールの練習を一生懸命頑張らないとダメだよ?」


「わかってるって! ホルンはアンズでオーボエはアタシで…… そうだ、ファゴットはカンナを誘おう! それからフルートとクラリネットは……」


 たぶん、ナツは私を励まそうとしてくれているのだと思う。でも、なんだか楽しそうだな。もうすっかり、心はアンコンに持っていかれている様子だし……


「なんだかとってもナツらしいね」

 私は思わずつぶやいてしまった。


 仲のいい友達と少人数でアンサンブルの練習をするのって、とても楽しいのだ。特にナツは中学の時、アンサンブルが大好きだった。でもナツの場合、練習するより、おしゃべりしてる時間の方が長かったんだけど……


 でもきっと、今のナツはそれだけじゃないんだ。

 

 さっきナツは、みんなの期待に応えたいと言っていた。

 きっと、高校生になったナツは、楽器を続けていく新しい意味を見つけたんだと思う。


 ナツは私に期待してくれてるのかな?

 私はナツの期待に応えられるのかな?


 よくわからないけど…… やっぱりナツの期待に応えたい。私はそう思った。

 冬になるまでに、ナツと一緒に演奏できるぐらいの技術力を身に付けたい………… いや、身に付けるんだ!


 よし、今日から仕切り直しだ。

 私も全力で頑張ってみよう。

 もう、絶対後悔しないように。


 今年の冬、努力の花がひらくのは、きっと私だ。


「あれ、アンズどうしたの? なんだか顔つきが変わってきたんだけど。あ、わかった! アンズもやる気になってきたんだね?」


「ふふっ、そうだね。じゃあ、私も明日から早弁っていうの? お弁当、早めに食べて、昼休みに練習しようかな。ねえナツ。ナツもお弁当は、3限目が終わった後で食べてるの?」


「ん? アタシは1限目か2限目が終わったぐらいに食べてるよ?」

「…………それって朝ご飯だよ? 朝ご飯はちゃんと家で食べて来ようね?」

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