今日はもう帰れ
剛堂先輩とサチさんが合奏練習の準備に向かうと言うので、とても気遣いのできる心の優しいアタシは、準備があれば手伝うと先輩達に申し出た。しかし、取り立てて手伝ってもらうことはないので、時間が来るまで音楽準備室で新入生同士友情でも深めておけとのお言葉をいただいた。
音楽準備室に取り残されたアタシともう一人の新入生。ちょっと気まずい……
ふふっ、でも大丈夫。昨日は不発に終わったが、アタシには脳内でシミュレートした……
「私の名前は武者小路篤子。ねえ、あなた何者なの?」
「え? あ、えっと、アタシ三中、デ、アナタハ……」
「ちょっと、なにふざけてるの!」
「いや、違うって。今脳内でシミュレートしてたトコだったの…… って、もう、どうでもいいや。でも、ここは普通『アンタどこ中?』とか聞くところでしょ?」
「あなたの名前は相田夏子で三中出身。担当楽器はチューバで、元野球少女。久保田幸さんは中学の時の先輩」
「ちょ、ちょっと! アンタ、エスパーなの?」
「……そうそう。アンズさんとモモコさんがおっしゃっていたわ。あなたを一言で例えるなら『顔はカワイイくせに中身はおバカ』だって。二人からあなたのことを聞いたのよ、おわかり?」
「うーん…… アタシは自分がバカなことに誇りを持ってるんだけど、なぜかモモコとサチさんにバカって言われると、『なんだと!』って思うんだよね……」
「ああ、もういいわ! 私が聞きたいのは、どうしてあなたは、もう先輩達のミーティングに参加してるのかってこと!」
「それは話すと長くなるけど——」
アタシは入学式から今日にかけての、自分の身に起きた不幸な出来事を武者小路さんに話して聞かせた。どうでもいいけど、すっごく立派な名前だな、この人。
「……………………信じられない」
未知の生物を見るような目でアタシを見つめる武者小路さん。
「あなたがナジ高を受験したって聞いて、私、とても音楽に対して向上心をお持ちの方なのかとばかり思っていたのだけれど……」
「いやいや、ちゃんと持ってるよ、たぶん」
「頼りない自信ね」
「だってさ、最近ずっと楽器さわってないんだもん」
「ふふっ。それなら、これから合奏練習を見学すればいいわ。先輩達の演奏を聴いたら、絶対あなたの意欲も一気に上がるはずよ」
そんな話をアタシ達がしていたら、よく知らない先輩に音楽室に入るよう声をかけられた。
アタシと武者小路さんは、音楽室の一番後ろにある空いている席に腰掛ける。ご丁寧にアタシの席には『ココ、不審者改め、欲情鼻血娘ナツ( バカ )の席』と書かれた紙が貼ってある。サチさんめ…… 覚えとけよ。
しばらくして、顧問の
「おや。今日は早くも新入生が見学に来てるんですね。いやー、感心感心。それではせっかくですので、一度通して演奏してみましょうか」
おっと。なんだかアタシ達二人のための演奏会みたいになってきたぞ。
なんだよコレ…… この学校の吹部って、こんなにスゴイ演奏するの? そういえば、ココの吹部って、去年、支部大会で金賞取ったって言ってたよな。いやー、納得だよ。アタシら弱小三中とはレベルが違うね。
こんな高校の名前、全然聞いたことなかったのに…… あれ? ひょっとして、それってアタシがバカなだけなのか?
あっ! 今、トランペットのソロんトコ吹いてる人、入学式で見かけた人だ。うわっ、やっぱりこの人スゴイよ。なんか別格って感じだよ。
♢♢♢♢♢♢
演奏が終わった。アタシ、圧倒されちゃったよ。横から変な音が聞こえるんで、隣の席に座ってる武者小路さんを見てみると…… え? なんかこの人泣いてんだけど?
「ちょ、ちょっと、武者小路さん大丈夫? お腹でも痛いの? ひょっとして携帯落としたとか? よかったらアタシも探してあげるからさあ——」
「あなたは本当にバカなの?! 私は感動して泣いてるのよ!!! あっ、みなさんすみません、大きな声を出して。あ、あの、私、興奮してつい……」
「いいですよいいですよ」
指揮をしていた顧問の
「我々の演奏を聴いて感動してくれるなんて、僕は嬉しいですよ。では相田さん、あなたはどんな感想を持ちましたか」
「アタシですか? うーん…… アタシは今の演奏のどこに泣く要素があるのか、サッパリわかりません」
「このバカ! オマエなに言ってるんだ」
サチさんが何か言っているが放っておいて、アタシは続ける。
「圧倒ですよ、圧倒。なんかもう圧倒って感じですよ。アタシ圧倒されてるよ、圧倒って感じで!」
「オマエ、『圧倒』しか言ってネエだろ、このバカ」
サチさんがそう言うので——
「じゃあ、んーとね。なんかこう、金管がゴーって来て、顔の辺りがビューってなって。アタシ、なんかドーンって感じになりましたよ。特にトランペットのソロんとこはギューンって来て——」
「わかったナツ! わかったからもうやめてくれ! あたしが悪かったよ。先輩としてあたしまで恥ずかしいんだ。な? わかるだろ?」
「いやいや、いいんですよ久保田さん。良いじゃないですかその表現。相田さんはとても感性が豊かだと僕は思いますよ」
「僕にはね、金管はズーンって感じられるし、トランペットはギューンじゃなくってグオーンというかズオーンって感じかな。それから木管楽器のスィーとした感じがたまらなく素敵で——」
「え? 先生、ナニ言ってるんですか? 言ってることサッパリわかんないんですけど?」
なぜか音楽室が爆笑の渦に包まれた。
「ナツ! とりあえず今日はもう帰れ!!!」
サチさんが叫ぶと、音楽室の笑い声が、なぜか一層激しくなった。
「アッハッハーー! もう無理、これ以上ムリーー!!!」
今日もまた、
楽器を置いたサチさんがやって来て、アタシと武者小路さんの腕をつかんで、アタシ達を音楽室の外へと連れ出した。
なんだか疲れた顔をしたサチさんが、武者小路さんに話しかける。
「ハァー…… えっと、オマエ武者小路だっけ? 悪いけど、このバカ連れて一緒に帰ってくんない?」
「は、はい。かしこまりました!」
「学校から5キロ離れるまでは、絶対目を離すなよ。それから合奏練習が終わる5時まで、このバカの身柄を確保しておいてくれ。このバカの行動は予測不能なんだ」
「は、はい。わかりました。わずかな時間ではありましたが、この人がバカだってことはよくわかりましたので」
なんだよ、二人してアタシのことバカだバカだって。アタシは高校生になって、かなりお淑やかになったんだからね。あっ、これバカとは関係ないか。
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