鼻血

 剛堂先輩のありがたいお話の後、吹奏楽部のスケジュールが書かれた紙が見学者に配られた。


 パート練習の時間、合奏練習の時間、新入生への質問を受け付ける時間など、いろいろ書かれている。

 要するに、あなたの興味があることをやってる時間に見に来てね、という心配りを先輩方はされているようだ。

 それから、よければ友達にも配ってね、みたいな感じで、見学者はみんな結構な枚数の紙をいただいているようだ。


 今日の目的はこれだったんだな、と改めて感じるアタシだった。


 そんな中、ノリの良い吉田さんは、

「ハーイ、私、同中おなちゅうの人いっぱいいるんで、多めにもらいまーす」

と、自ら名乗り出ていた。すごいなこの人。なんか積極性バツグンだ。


 その後は、せっかく来てくれたんだからと、希望者には音楽準備室にある楽器の見学会が用意された。全員参加するようだ。



 みんなが楽器を見ている時、ちょっとおかんむりのご様子のモモコが、アタシとアンズの腕を引っ張り、みんなから少し離れた場所に連れて行く。


「なによモモコ、なんか用?」

 アタシがモモコに尋ねると、モモコが、

「ちょっと! 二人とも酷いじゃない!」

と頬を膨らませる。そして——


「アンズはちゃっかり入部届用意してるし。ナツなんて、昨日提出したっていうじゃない。なによ、もう、私だけのけ者にして! もっと私のことも大切にしなさいよね!」

 なに言ってんだ、この寂しがり屋さんは?


「モモコも初めから吹部に入るの決めてたんでしょ? ならいつ提出してもいいんじゃないの?」

 不思議そうな顔をするアンズ。


「もう、そういうこと言ってるんじゃないでしょ! なによ、アンズってば、もう3年の先輩に気に入られちゃってさ!」


 今度はうらやましがり屋さんか?

 まったく、モモコのお店は多彩な商品を取りそろえてるな。


「ん? オマエら、どうしたんだ?」

 ヒソヒソ喋っていたアタシ達の背後に、サチさんが現れた。


「ヒイッ! 別に、その、あの……」

 恐怖におののくモモコ。

 別に悪いことしてるんじゃないんだから、そんなに怯えなくてもいいのに…… 仕方ない、ここは友人のアタシがなんとかしてやりますか。


「実は、入部届けを出すタイミングを話してたんですよ。さっきの剛堂先輩の話じゃ、別に急がなくてもいいってことでしたよね? でも、モモコってば、アタシ達に先を越されたみたいだって、ブツクサ言ってるんですよ」


「ちょっとナツ! 私、ブツクサなんて言ってないわよ!」


「まあ待て。だいたい言いたいことはわかった。まあ、同じ中学から来た3人の中で、モモコ一人だけ入部届を出してないっていうもの可哀想な気もするしな。じゃあ、モモコもとりあえず、書いとくか? あたしが後で剛堂サンに渡して預かっといてもらうよ」


「サチ先輩、愛してます! じゃあ、私、今から書きますね!」

 そう言うと、モモコはカバンから取り出した『部活動入部届』に、いそいそと名前を記入し始めた。


 あれ? モモコが書いてる入部届け。よく見ると昨日アタシが書いた『吹奏楽部入部届』と違うような気が……


「ねえ、サチさん。モモコが今書いてるのって、昨日アタシが書いてた紙と違うような気がするんですけど?」


「ん? ああ、モモコが書いてるのは…… うーん、平たく言うと、『仮入部届』みたいなモンだな」


「はあ? なんですかソレ?」


 しっかり者アンズがあきれ顔で口を開く。

「もう、ナツはちゃんと先生の話、聞いてなかったの? まずは部活見学期間中に、この『部活動入部届』を出す。それから2ヶ月後に、ちゃんと続けて行けそうだと思ったら、各部オリジナルの『入部届』を出す。先生そう言ってたよ」


「え? でもアタシが昨日書いたのは確か『吹奏楽部入部届』て書いてあったと思うんだけど」


「ああ、そうだぜ」

 アタシの疑問に答えるサチさん。そして——


「吹奏楽部にあるのは『吹奏楽部入部届』に決まってるだろ? モモコが今書いてる紙なんて、たぶん職員室にしかないと思うぞ」


「え? どういうことですか?」

 頭が混乱するアタシ。


「ああ、もう。オマエはホント、バカだなあ。いいか——」

 くっそう、サチさんめ。いったい何回バカって言えば気がすむんだよ。


「——オマエは『仮入部』をすっ飛ばして、『本入部』したってこと。それだけ。で、本当はそんなこと出来ないんだけど、顧問の弦井つるい先生は今年教員になったばっかりで、そんなこと知らなかったんだろうな」


「別にどっちでもいいなら、もうそれでいいや」

 アタシがそんなことを思っていたちょうどその時——


「あっ、相田さん、ここにいたんだ。いやー、探しましたよ」

 弦井つるい先生が現れた。


「「こんにちは!!!」」

 先輩二人が挨拶する。よくわからないながらも、1年生もそれに続いた。


「やあ、こんにちは。あのね相田さん。昨日よくわからずに受け取っちゃったんだけど、なんかコレ、用紙が違うんだって。コレ返すから正式な紙に書き直してもらえますか? じゃあ、今日は時間がないんでこれで。ああ、新入生のみなさん、これから一緒に頑張りましょうね」


 そう言うと、弦井つるい先生は風のように去って行った。


 アタシは自分の手元にある『吹奏楽部入部届』を見つめる。


「これで昨日の入部騒ぎは白紙に戻ったってことですよね、サチさん?」

「……まあ、そういうことになるのかな?」


「じゃあ、『仮入部届』っぽい方の紙を出さない限り、アタシはまだ吹奏楽部員ではないと?」

「…………さあ、どうだろうな?」


「えっと、つまりアタシに選択する機会が返ってきたと?」

「………………いやぁ、考えすぎだろ?」


「アタシが新しい紙に違う部を書いて出したら——」


——バシッ


 あっ! サチさんに『吹奏楽部入部届』をふんだくられた!


「剛堂サン! 早くコレ、預かって下さい!」

「ああー! サチ、テメー、何すんだよ!!!」


「剛堂サン、早く!!!」

「おい、バカサチ! アタシの自由を返せよ!!!」


——ドスッ!


「うぐ……」

 サチさんの右の拳がアタシのハラに直撃。

 しかし! 今のアタシはまだ諦めない。前のめりの体勢のまま、サチさんの腹部目掛けて、体当たりをブチかます。


「ごぶっ……」

 あっ、サチさんが変な声出した。


「オマエら、いい加減にしろ!!! 楽器が壊れたらどうするんだ!」

 サチさん共々、剛堂先輩に怒られた…… 剛堂先輩、怒ったらめちゃくちゃ怖い…… 今後、絶対気をつけよう。



 さて、剛堂先輩に怒られた後、アタシの『吹奏楽部入部届』はありがたくも剛堂先輩に預かっていただくこととなった。


 さっきはちょっとフザケただけで、入部を取り消すつもりなんてなかったから、別にそれでいいのだが……

 ヤバイ、新入生達が完全にヒイている……


 サチさんと目が合う。うん、お互いにうなずきあった。

「いやー、ナツ。こうやってオマエとコントすんの、久し振りだな?」

「ホントですねー。懐かしくて涙出そうですよ」


 なに、喧嘩じゃなかったの? みたいな声が聞こえてくる。よし、もう一息だ。と思っていたら——


「ちょっとナツ! アンタ鼻血出てるわよ!」

 あっ、モモコのバカ! 鼻血ぐらいいいんだよ! せっかくほぐれた空気が、また固くなってきたじゃない。そんな時——


「もう、しょうがないな」

と言いながら、アンズがポケットからティッシュを取り出し、アタシの鼻を抑えてくれたではないか!


「もう、ナツってば、どうせティッシュ持ってないんでしょ?」

 そう言いながら、ティッシュでアタシの鼻血を拭いてくれるアンズさま。


「なんだか懐かしいですね、サチ先輩。中学の頃はいっつもナツと二人で、こうやってじゃれ合ってましたね」

「お、おう。そうだったな」


「サチ先輩がナツにちょっかい出して、それでナツが先輩に突っかかって行くの。でも、最後にはナツがやられちゃうの。ふふっ、ホントに懐かしい。サチ先輩、私にもちょっかい出していいんですよ?」

「なに言ってんだ。アンズはあたしの可愛い後輩だ。ちょっかいなんて出さずに大事にするさ」


「こうやってふざけ合うのは、ナツだけですもんね」

「ああ、そうだ。あたしとナツは小学校の野球チームからの付き合いだからな。こいつとは小さい頃からこうやって、じゃれあって来たんだ」


「サチ先輩は普段優しいのに、なぜかナツと遊ぶ時だけは、ちょっと乱暴なんですよね?」

「ナツとは宿命のライバルみたいなもんだからな」


 アンズさまとサチさんのやり取りを聞いていた新入生の表情が、みるみるほんわかした顔つきになって行くではないか! ありがたやアンズさま。


 鼻血が止まったアタシも、この『良い話』への参加を試みる。


「いやー、ホントにこうやって、またサチさんとアンズと一緒に吹奏楽が出来て、アタシはホントに嬉しいよ。また、3人一緒に頑張りましょうね!」

「ああ、あたしも嬉しいさ。また3人で頑張ろうな!」

「はい。3人一緒に頑張りましょう」


 新入生一同はみんな、『ええ話やー』と言いたげな顔をしている。

 よし、災い転じて福となすとはこのことだ。


「チョ、チョッと……」

 新入生の中から声がする。誰だよ、今、いいとこなんだから。


「チョットーーーー! 私もおんなじ中学でしょ! 私のこと忘れないでよねーーーー!!!」

 モモコのおかげでオチまでついて、初めての吹奏楽部見学会は、笑いのうちに無事終了したのであった。

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