熱血会議

 笑顔溢れた楽器見学会も終わり、時間はそろそろ午後1時に近づきつつある。今日はまだ午後から授業はないので、新入生は昼食を用意していない。

 アタシが1年生のみんなと一緒に帰宅しようとしたその時。


「おいナツ。オマエどこに行くつもりだ?」

 サチさんが尋ねる。


「どこって、そりゃ家に帰るんですけど?」

「おいおい、相田、そりゃないだろう。お前、朝練まで来ておいて、このまま帰るつもりか?」

 剛堂先輩まで何やらおかしなことを言っている。


「えっ? もう朝練まで行ったの?」

 そう尋ねたのは、さっきアタシのマーチング好きに食いついてきた、吹奏楽意識高い系の子だった。


「あれは別に練習とか見学とかそう言うんじゃなくて…… なんていうか仕返し? みたいな」


「でも返り討ちにあったけどな」

「もう、剛堂先輩! それ言わないで下さいよ!」

 悪かったと言いながら笑う先輩。そんな中、サチさんが、


「まったく、そんなことだろうと思ったぜ」

と言って、弁当箱を取り出した。


「なんですか、コレ?」

「これ、オマエの分。一応用意してたんだ。なんだよ、遠慮なんていらねえからな」


「サチさん、あなたって人は…… アンタやっぱりアタシの姉貴分だよ! じゃあ、遠慮なく」

と言って、アタシが弁当箱を開けたところ——


「なんだよコレ、空じゃねえか! それになんだよこの『ハズレ』って紙。オイ、サチ! テメーいい加減に——」


 アタシの言葉を、鬼のような形相の剛堂先輩がさえぎる。

「おい、お前ら。じゃれ合うのは新入生が返ってからにしろ。それに私はティッシュなんてもってないぞ」


「「……サーセン」」


 おとなしく剛堂先輩の言葉に従う、アタシとサチさんだった。




「正式入部は取り消しになったみたいだけど、なんかもう係とかは決められちゃったみたいなんで、とりあえず残ることにするよ。じゃあ、みんな気を付けて帰ってね」


 アタシはそう言って、1年生のみんなに別れを告げた。お弁当は、サチさんがもう一つ、ちゃんと中身が入ったモノを用意してくれていた。


 もう、最初から本物を出せばいいのに。サチさんはちょっとシャイなのだ。



「じゃあ、昼食をとりながら、第2回『新入生勧誘チーム』会議を始めようじゃないか!」

 剛堂先輩がノリノリのご様子で、会議の開催を宣言された。ちなみに、ここはおなじみになりつつある音楽準備室である。


「あのー、その前一つ。先輩達は練習に参加しなくてもいいんですか? もうすぐパート練習が始まるのでは?」

 アタシが尋ねると、剛堂先輩が、


「ああ、いいんだ。ウチの吹部にはいろんな係があって、係の仕事があるときには、そっちを優先することもあるんだよ」

と説明してくれた。

 へー、規模の大きな吹奏楽部ってやっぱり違うんだな。弱小三中とは大違いだ。


 更に剛堂先輩は、

「でも、3時からは校外の先生が指導して下さる個別練習があるんで、それまでには終わることにしよう」

と付け加える。


「へえー。校外からも先生が来るんですね。アタシがいたら邪魔になるか。じゃあ、明日の午後、合奏練習を見学させてもらいますね」

と答えたアタシに、サチさんは、

「お、おい、オマエ、ホントにナツなのか? 中身だけアンズに入れ替わってないか?」

などとバカなことを言う。


「えっと、サチさんは放っておいて、剛堂先輩、始めちゃって下さい」

 チッ、という舌打ちが聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。


「じゃあ、時間も限られているので早速始めようか。それでは、我々が今置かれている状況について、久保田、話してくれるか?」


「了解っス。なあ、ナツ。今の吹部の人数、つまり3年と2年を合わせた数って知ってるか?」


「いや、詳しくはわかんないですけど、ざっと1クラスより多いぐらいだったから、45人ぐらいですか?」

「ちょっと惜しいかな。3年が18人。2年が34人。さて合計何人でしょう?」


「もう、そういうのいいですから。…………52人ですね」

「一瞬、間があったことはツッコまないでおいてやる。この数字からわかることあるか?」


「えっと…… そうだ! 吹奏楽コンクールのA部門って、高校の場合上限55人でしたね。だから、あと3人は絶対1年生が選ばれる! ひょっとして、アタシにもAメンバーに入れるチャンスがあるってことですか?」



 全日本吹奏楽コンクール。毎年夏に地区予選が始まるこの大会は、野球で言えば夏の甲子園大会のようなもの。日本中の吹奏楽部員がこのコンクールを目指して、毎日練習に励んでいると言ってもいいんじゃないかと思う。


 アタシ達が住んでる愛媛県でもそれはたぶん同じだ。


 もちろん、全ての出場校が55人もの部員を抱えているわけじゃない。少人数で参加出来る『B部門』っていうのもあるんだけど、これって全国大会がないんだよね。愛媛県の高校でB部門に出場する場合、四国支部大会の最優秀賞がゴールになるんだと思う。


 全国の吹奏楽強豪校が目指すのは『A部門』での全国大会金賞。やっぱり、55人編成で参加するんだ。


 実際、ウチの東松山ニキタ…… ヅだっけツだっけ…… あれ? ニギダ? ニキタ? まあいい、ウチの東松山ナントカ高校も、去年A部門に出場して、四国支部大会まで行ったそうだし。


 だから野球で言うところのレギュラーは、A部門に参加するウチの学校の場所、Aメンバー55人ってことになるんだ。



「オマエがAメンバーとは…… まっ、誰しも夢を見るのは自由だ。それでだな——」

 サチさんめ…… ちょっとイラっときたが、まあ、ここは大人の対応を見せてやろう。


「——もちろん55人以下でも出場出来るけど、それは現実的じゃあねえな。それから、3年は人数が少ないけどみんな演奏が上手い。問題は2年だ。2年の中には、高校に入ってから楽器を始めたヤツもいる。ひょっとすると、楽器経験者の1年の方が上手いって可能性もある」


 そうなんだよな。でも下級生が上級生を差し置いてAメンバーに入るのって、なんだか精神的にしんどそうだな。


「とにかく、今、我が部に必要なのは、楽器経験のある1年だ。わかったか、バカ」

「バカは余計ですけど、よくわかりました」


「まあ、そういうことなんだが……」

 申し訳なさそうに、剛堂先輩が口を開く。そして——


「決して未経験者が必要ないってことじゃないんだ。なにも吹奏楽部はコンクールのためだけに存在するわけではない。楽器を演奏する楽しさを多くの人に知ってもらいたいという気持ちに嘘はないし、賞なんて関係なく、自分達が好きな曲をみんなで演奏するのって、本当に楽しいんだ——」


 剛堂先輩がとても楽しそうに語る。あー、剛堂先輩っていい人なんだな。しみじみそう思う。


「——しかし、特に私達3年生は今年が最後のチャンスなんだ。去年の吹奏楽コンクールでは、私達はあと一歩のところで全国大会出場を逃した。本当に悔しかったんだ……」


 なんだろう。アタシの中の何かが熱く燃えたぎってきた。


「わかります! わかりますとも、剛堂先輩! アタシだって中学で吹奏楽をやって来たんですから! 発表会を楽しみたい気持ちも、コンクールで上位を目指したい気持ちも、アタシだって両方あります! 剛堂先輩は間違ってない、それで良いんです!!!」


「おお、わかってくれるか相田!」

「やってやりましょう、剛堂先輩!」


「……やってやるって何やんだよ?」

「ウッセーな、今盛り上がってるとこなんだよ! どうやったらいいのか、さっさと言いやがれ!」


「……おい、テメー。あんまり調子に乗ってると——」

「……許す」


「ハァ? ちょっと剛堂サン、ナニ言ってんスか?」

「多少の口の悪さは大目にみてやる。さあ、久保田、早く作戦を言うんだ!」


「まったく、この熱血漢の似た者同士め…… まあ、要は楽器経験者を出来る限り入部させる、これが一番重要でしょうね」


「ハァ? なんだよ、それだけかよ。ホントはもっとあるんだろ? 出し惜しみすんじゃネエよ!」

「…………おい、バカナツ。テメー、ホントいい加減にしねえと——」

「…………許す」


「ハァ…… はいはい、わかりましたよ。要は徹底的に新入生全員を調べあげればいいんっスよ。全員っスからね。おい、ナツ。これはオマエの仕事だからな。オマエが1年生全員に楽器経験があるか聞いて来い。そのために、オマエをこの『新入生勧誘チーム』に入れたんだからな」


「上等だ! 新入生全員に聞いて…… え? ちょっと待って下さいよ。アタシが新入生全員に聞くんですか?」


「そう言っただろが、このクソ野郎!!! テメー、あたしに向かって散々エラそうな口叩いたんだ! 覚悟を決めやがれってんだ、このボケが!!!」


「ちょ、ちょっと剛堂先輩! サチさんが、なんかアタシに無理難題押し付けてくるんですけど……」

「……許す」

 うわぁ…… 今後はサチさんが許されちゃった。どうしよう……



「とまあ、そうは言ったものの、これは部のためにやることだから、クッソ生意気な後輩には後でお灸を据えてやることとして、もうちょっと具体的なやり方を教えてやるよ」


「アザっす!!!」

「チッ、まったく調子のいいヤツだ。いいかバカ、よく聞けよ」


「はい! バカなわたくしめ、サチさまのお話を全力で拝聴させていただきます!」

「このお調子者め。まあいいや、要は人を使うんだよ」


「と申されますと?」

「そうだな…… さっき見学に来た1年の中に、同中おなちゅうのヤツがいっぱいいるって子がいただろう?」


「ハイハイ、吉田さんですね」

「そういうやつを何人か見つけて協力してもらえ」


「なるほど。それならモモコだってクラスの友達10人も連れてきましたからね」

「へー、そうだったんだ。さすがは『口から生まれたモモコ太郎』だな」


「あっ、それアタシが考えたんですよ! 自分でも上手いこと考えたなって——」

「心からどうでもいいよ、そんな情報!!!」


「……サーセン」

「とまあ、ここまでが第1段階だ」


「……まだあるんですか」

「ここからが本番だ。元吹奏楽部だったけど、高校でも吹部に入るか迷ってるヤツが第1ターゲット。高校では他のことがしたいって言ってるヤツが第2ターゲットだ」


「ほうほう」

「もちろん、無理強いなんてするんじゃねえぞ? でも、第1ターゲットには出来るだけ声をかけろ。第2ターゲットには周囲に情報を撒き散らせ」


「情報を撒き散らすとは?」

「そいつの周りで、吹奏楽の話をできるだけするんだ。中学の時の演奏会の話とか、さっきやった見学会の話でもいい。ソイツの心に、もう一度吹奏楽の火を起こすんだ」


「くぅー、カッコいい! サチさんカッコいいよ!」

「バカ、暑苦しい、近寄んな、バカ、ウザい、バカ。まあ、ざっとこんな感じだな」


「なんだか相田に迷惑をかけて申し訳ないな……」

 剛堂先輩ってば、本当に申し訳ないって顔をしてるし……


「何言ってるんですか先輩。それからご心配なく。楽器未経験者にもいっぱい声をかけますからね。沢山の人に楽器の楽しさを知ってもらって、みんなで楽しい演奏をいっぱいしましょうね!」


「相田!」

「剛堂先輩!」


——ひしっ


 アタシ達は熱い抱擁を交わした。先輩の思い、アタシが新入生に伝えますよ! みんなで楽しい演奏をしましょう! それからコンクールも…… コンクール…… コン……


「ぎゃぁぁぁーーー!!! 痛い! 先輩痛いです! 強すぎますって! 背骨折れるぅぅぅ!!!」


「何やってんだ、このバカは……」

 サチさんの虚しいつぶやきが、アタシの心にみ渡った

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