新入部員勧誘 編
入部届けの行方
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オーボエの奏でる音色は女性の美しい歌声に最も近いと表現される。
世界で一番演奏が難しい木管楽器とも言われるオーボエ。
優雅で哀愁に満ち、聴くものの感性を捉えて離さないオーボエの音色。
これは、おバカで喧嘩っ早い元野球少女ナツが、高校の吹奏楽部でオーボエを奏でる……
オモシロ物語。
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今日は高校の入学式。
ここはアタシが入学した、愛媛県にある私立東松山ニキタツ南高校…… あれ? ニキタヅだっけ? それともニギダヅ?
まあいい。そのナントカ高校の校舎の前にアタシは今、突っ立っている。
退屈な1日ががやっと終わり、後は家に帰るだけだ。顔も知らない大勢の人の流れに加わり校門へ向かっていたところ——
美しいメロディが私の耳に届いた。
これはトランペットだな。
美しいだけでなく力強い音だ。
美しいメロディを聴いているはずなのに、アタシの心はどんどんと沈んでいく。なんで沈んでいくのかって? それには理由だあるんだよ……
元野球女子で、中学3年間吹奏楽部でチューバの腕を磨いてきたアタシには行きたい高校があったんだ。
それは全国的に有名な、いや世界でも知名度が高いマーチングの名門校、私立中島高校、通称ナジ高。
野球で鍛えたこの体を活かし、チューバを操ることこの上なしの力量を誇るアタシの進路はここしかないと思った。いや、むしろこの学校は私のために存在するとまで思っていた。
あっ、でも操るってのは演奏が上手いってことじゃないからね。重さが10キロほどある重量楽器チューバを持ち上げたり、振り回せるってことだから。マーチングでよく使われてるスーザフォンだってお手の物よ。
まあ、そんな感じで調子に乗っていたアタシのもとへ、入試後に届いたものは——
不合格通知。
このままでは高校浪人になってしまうと焦ったアタシ。
そう、たまたまこの高校が二次募集をしてただけなんだ……
こうしてアタシは今、この名前もよく知らない高校の入学式を終えたところだ。
もう、吹奏楽はキッパリやめようと思っていた。だって、憧れのナジ校に入れなかったんだから。
でも……
アタシはトランペットの音に導かれるように、その音の源へと歩みを進めた。
「何これ? すっごい人だかりが出来てるんだけど……」
思わずつぶやいてしまうほど、多くの人がトランペット奏者の周囲に集まっている。
「キャー、素敵!」
「あのお姉様、スッごくカッコいい!」
「どこかの歌劇団のトップスターみたい!」
そんな声が聞こえてくるのだが……
フン、バカなミーハーJKどもめ。
確かにトランペットを吹いてる人はカッコいいし美人だと思う。でも、そういうことじゃないんだよね。本当にこの音、ちゃんと聴いてるのって言いたいよ。
上手いんだよ。いや、上手いなんてもんじゃない、スゴイんだよ。こんな演奏聴いたことがないよ。
へぇー、この名前も聞いたことがない学校に、こんなにも素晴らしいトランペット奏者がいたんだ。そんなことを考えていた時。
不意に後ろから肩をつかまれたので、慌てて後ろを振り返ると——
「久し振りだな、ナツ」
ニヤリと笑う、このガラの悪そうな女は——
「げっ! サチさん……」
この人の名前は久保田幸。アタシは小さい頃からずっとサチさんと呼んでいた。
サチさんは私の一ッコ上の先輩で、アタシと同じ元野球少女。リトルにいた頃は一緒にプレーしてたし、シニアでも一緒だった。
学校も小・中とずっと一緒の腐れ縁。アタシ達の中学には野球部がなかったんで、アタシもサチさんも休日はシニアで野球を続け、学校の部活は吹奏楽部を選んだのだ。
この人、中学3年間、シニアで男子に混じってレギュラー取り続けてたんだよね。アタシは中学2年の時、事実上の戦力外通告を受けたんだけど……
「なんだよ『げっ』って。オマエ、ひでぇな。久し振りに会った先輩に対する最初の挨拶がそれか?」
そう言いながら、ガシッ、と肩を組んでくるサチさん。ああ、この人こういう人なんだよ。周囲からは、ガラの悪い上級生に目をつけられた、憐れな新入生に見えてるんだろうな。
「なあ。あのラッパ吹いてる先輩、スゲーだろ?」
アタシの気持ちなど御構いなしに、サチさんがガラの悪い口調で尋ねてくる。
「あっ、はい。スゲーなんてもんじゃないですよ。なんですかアレ。アンタ、プロですかってレベルですよ」
「ふっ、安心したよ」
片方の口の端をニイッと上げて、サチさんがやはりガラ悪く笑う。
「えっ、なんのことですか?」
「いや、実はさっきモモコに会ってな——」
モモコというは、同じ中学で一緒に吹奏楽をやってたアタシの友だちのこと。サチさんにとっては中学時代の吹奏楽部の後輩ということになる。
「——モモコのヤツが心配してたぜ。ナツがナジ高校落ちてメソメソしてるって」
あの口から生まれたモモコ太郎め…… あの子はホントに口が軽いんだよ。一言あの子に物申せば、次の日にはその話が学校中に広まっているというもっぱらの評判だった。
「ちょっと! メソメソなんてしてませんよ!」
アタシはムキになって言い返す。
「ああ、そうみたいだな。だから安心したって言っただろ? どうやら音楽への関心はなくなってないみたいだし。じゃあ、早速行こうぜ」
そう言うと、サチさんはアタシの意思など全く知らん顔って態度で、アタシの腕をつかんでズンズンと校舎目掛けて歩き始めた。
「ま、待って下さいよ、サチさん。どこ行くんですか? それにアタシ、高校では吹部に入らないつもりなんですから!」
「まあ、いいからいいから」
ひっひっひっ、と笑うサチさん。なんだか嫌な予感しかしない……
♢♢♢♢♢♢
「失礼します! 2年久保田、新入部員を確保してきました!」
サチさんに連れて来られたのは…… 音楽室だった。
うわっ。ここの学校の吹部って、結構人数多いんだな。パッと見ただけで、一クラス分ぐらいの人がいるよ。みんな打楽器のセッティングやら大きな楽器の搬入やらしてるし、たぶん吹奏楽部の人達だと思うんだけど。
これで『合唱部です!』とか言うオチだったら最高なんだけど……
いやいや、なに考えてんだアタシ! そんなことより、その新入部員ってなんだって話だ!
そんなことを考えていた時、一人の女の人、たぶんサチさんの先輩が口を開いた。
「サチ、もう連れて来たの? 」
半分驚き、半分あきれたような顔をしているこの人。メガネをかけたいかにも真面目そうなタイプの人だ。きっとアダ名は『委員長』だろう、おそらくだけど。
「まあ、すごい。流石、サッちゃんだわ。あら、そこのあなた。とってもカワイイわね。きっと男の子にモテモテなんじゃないの?」
次に口を開いたのは、スっごくキレイな女の人。アタシのことがカワイイって? そう言いながら、きっとホントは自分の方がカワイイと思ってるんでしょ? 『私可愛いのよ』ってオーラが溢れ出てるんだから。この人こそ、きっと男子からモテモテなんだろうな。
「そいつは、全てのポイントを顔ステータスに割り振った女って言われてるんスよ。顔以外のステータスはゼロっスから、ひっひっひ」
サチさんがいやらしく笑ってやがる。なんだよ、自分は野球ステータスとか演奏ステータスが高いからって自慢しやがって!
いやいや、そんなこと考えてる場合じゃない! しっかりしろアタシ!
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! えっ? サチさんひょっとしてまだ吹部続けてるんですか? 」
「ナニ言ってんだ、オマエ? あたし、部活推薦でこの学校に行くって言っただろ?」
「そりゃ、聞きましたよ。でも、中学生にもなっても男子に殴りかかってたあのサチさんですよ? そんな女子ばっかりの世界でやっていけるわけないって、アタシら言ってたんですよ。ぷぷっ。モモコなんて可愛い顔して『1ヶ月ももたないと思うわ』って言ってましたから。アッハッハーーーー!!!」
——ドスッ!
「うぐ……」
サチさんの右の拳がアタシのハラに直撃。
「おい、テメー。調子に乗んなよ……」
「…………サーセン」
サチさんの前だと、つい野球少女だった頃の話し方に戻ってしまうアタシ。
ダメだ…… この人の前ではついついアタシの本性が出てしまう。
アタシももう女子高生。大人の階段を登り始めたところなのに。
あっ、でもこれは別に変な意味じゃないからね。
イヤラシイ階段は、まだ一歩も登ってないから。
「えっと…… あなたって顔と中身のギャップが激しいのね。まあいいわ。それで、コントはそのぐらいで終わりにしてもらっていい?」
メガネをかけた女の人があきれ顔でつぶやく。そして——
「私、吹奏楽部の部長で、
「もちろんっス!」
「ちょ、ちょっと、サチさん! ナニしれっと答えてるんですか!?」
「あれ? あなた、入部希望の新入生じゃないの? あっ、ごめんなさい。私、副部長をやってる
さっきの超絶可愛いおねえさんが尋ねてくる。
「あっ、初めまして。私、新入生の相田夏子です…… って、いや、そういうことじゃなくて! アタシ、高校では吹奏楽部に入らないつもりです!」
「いやー、オマエ、ホントすごいわ。この状況で、よくそんなことが言えるなあ」
またニヤニヤしながら、サチさんが口を挟んでくる。
「まあまあサチ。無理強いは良くないわよ」
「そうね。やっぱり本人の意志を尊重しなくちゃ」
あれ? なんだかこの部長と副部長、意外といい人達みたいだぞ。
「だいたい、そんな中途半端な気持ちで、ウチの練習について来られるわけないしね」
「そうね。ウチ、去年の吹奏楽コンクールは四国支部大会で金賞止まりだったの。今年はみんな本気で全国出場を狙ってるのよね。途中で辞められたらこっちも迷惑だし」
カッチーンときた。こんなに頭にキタのは久し振りだ。なんなのよその言いグサ。
「これまで本気で吹奏楽やって来たのかな?」
「うーん。見た感じ、そんな感じじゃないみたいね」
この部長、副部長コンビめ…… 言いたいこと言ってくれちゃって。
「ちょ、ちょっとなんですか、その言い方!」
頭に血が上ったアタシは、ムキになって先輩達に言い返した。
「へー。じゃあ、どこの中学だったの?」
「ちょっとダメよ、そんなこと聞いちゃ」
「な、なんですかそれ? 三中ですよ! 確かにウチの中学の吹部は人数も少なくて、コンクールにも少人数部門でしか出られない、ヘナチョコな学校でしたよ。結果も銀賞だったし…… でも——」
「ん? どうしたの?」
「それで?」
「でも、アタシ達は一生懸命やったんだ! 休みなんて1日もないぐらい、毎日毎日練習したんだ! そりゃあ、結果は銀賞だったけど…… アンタらに、アタシらの何がわかるって言うんですか!」
そうだ。コイツらに何がわかるって言うんだ。特に野球を辞めてからの1年間なんて、本当に毎日死ぬほど練習したんだ。夏はうだるような暑さの中、冬は凍えそうな寒さの中、一生懸命練習してたんだ。その結果が…… 銀賞だったんだ……
大人数で恵まれた環境の中で練習してるアンタらに、アタシの悔しさがわかってたまるもんか!
怒りにまみれた顔をしているアタシとは対照的に、
「じゃあ、この紙に名前を書く勇気がある?」
「ちょっと、やめなよ」
気の毒そうにアタシを見つめる
その紙にはこう書かれていた。
『吹奏楽部 入部届』
「ふっ、ふふっ、ふふふ…… アッハハハーーーー!!!
上等ですよ! 書いてやりますとも!
アンタらにアタシのチューバを聴かせてあげますよ! 後で謝っても許してやらないからな!!!」
アタシは今の自分の感情をぶつけるように、入部届に力いっぱい自分の名前を書き殴った。
「これでいいですか?」
そう言って、アタシは入部届を
受け取った部長は……
「くっくっく……」
「ふっ…… ふふふ……」
ん? ナニ笑ってんだ、この人達?
そしてアタシの背後からも、名も知らぬ先輩が……
「ぷっぷぷ…… ねえ、サチ。ぷぷ…… も、もういいの?」
「ぷ、ぷぷ…… も、もういいっスよ……」
サチさんがそう言った直後——
「「「「「 アッハハハハーーーーーーーーーー !!!!!!」」」」」
音楽室が爆笑に包まれた。
「え? 何?」
状況がつかめないアタシ。
音楽室に集まった40人を超える人達が、お腹を抱えて笑っている。
しばらくして——
「はぁー、笑った笑った。ごめんね、騙すような真似して」
やっと笑いの収まった
仕方がない、といった感じで
「実はね、サチに頼まれたのよ。これから後輩を連れてくるんで、
「は?」
アタシは訳がわからず、再び
「本当は吹奏楽を続けたいのに、ナジ高落ちたからってウジウジ言ってるヤツがいるって、サチが言ってたから……」
「……そんなことまで知ってたんですか」
「ええ。
再び
今度は、なんとか笑いの渦から抜け出した
「ふうふう…… 無理強いしないって言うのは本当だからね。ふう…… もし、どうしても嫌だって言うのなら、ちゃんと入部届は返してあげるから」
これまでの先輩達の話をまとめてみると、先輩達は演技をしていた…… そしてその演技を依頼したのが…………
「ああーーーー!!! サチ、テメェー! アタシを
音楽室内の笑い声が一層高まる。
——ドスッ!
「うぐ……」
大笑いしながら繰り出されたサチさんの右の拳が再びアタシのハラに直撃。
「く、くそう……」
小学生以来、アタシはサチさんに喧嘩で勝てた試しは一度もないのだ……
音楽室内の笑いが最高潮に高まったそんな時——
「どうかしましたか?」
若い男性が驚いた表情で音楽室に駆け込んできた。
まだまだ笑いの興奮冷めやらぬ
「せ、先生。違うんです。入部希望の1年生が来たんで、みんなで対応してたら…… アッハッハーー! もう無理、これ以上ムリーー!!!」
「大声が聞こえたんで飛んできたんですが…… ま、まあ喧嘩とかじゃないようなので、いいんですが…… でもみなさん。みなさんの声、職員室まで聞こえてましたよ。もう少し小さな声でお願いしますよ?」
ハーイ、と答えた吹奏楽部員達。おかげで少し、笑い声が小さくなったようだ。
「ああ。君がその新入部員ですか?」
先生と呼ばれた男性が私に声をかけてきた。年齢は30歳ぐらいかな?
「あっ、ハイ。まだ新入部員じゃありませんが、1年6組の相田夏子です。宜しくお願いします!」
とりあえず自己紹介した。
「へぇー。しっかりとした挨拶ですね、感心感心。僕はこの学校で音楽を担当している
「あっ、そうなんですか」
この先生、生徒にも丁寧な言葉遣いをするんだな。なんだか優しそうな人だ。
「ええ。だから、この学校では、君と同じ新入生ということになりますね。新入生同士、お互い頑張りましょう」
「あっ、ハイ。頑張ります!」
でも、それは学校生活全般で頑張るって意味ですよ? 誤解しないで下さいね?
「おや。もう入部届書いたんですね? 結構結構。じゃあ、僕が預かって、職員室に持って行っておいてあげますね」
そう言うと、
しばらくの沈黙の後——
「「「「「 アッハッハッハハハハーーーーーーーーーー !!!!!!」」」」」
音楽室にこの日一番の笑い声が響き渡った……
アタシの吹奏楽部入部が決定した瞬間であった。
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