第二十八話

 空中から地面に着地するために、しなやかに身体を動かしている自分よりも。地面したにいる少女はより、しなやかなで優雅な動きをしながら、自分が地面に着地するその瞬間を待っていた。

 いささか恐ろしと思いながらも、流石とも思えた。

 地面に着し終えると、急激に腹部からの込上げを感じる。なにが込み上がってきているのか分かっていた。自分の胃の中は、空っぽ。あと、上がってくるとすれば、あれしなかった……。

 口の中に少しの酸味と甘みが広がり、口の中から漏れ出てしまった。漏れ出たモノを銀色の毛で拭うと、銀色の毛に赤黒い粘液が付着した。


「ちょっと気が早いかな」


 そう言いながら少女はカーライルの血が付いている銀色の毛で覆われている指先から、飛び出している爪を指差していた。

 その言葉にカーライルは戸惑いの笑みを浮かべながら。


「申し訳ありません。私にご教授きょうじゅをお願いいたします。摩志常ましとこさま」


 少女の表情はひょいっとタレ目のになる。

 これでマーナガルムとの約束の一つは達成かな! 楽しみだなぁー……、エン姉さんの牧場の最上級品のお肉!


「ぇ、え、えへえ、えへぇ、えへぇえ。ふ、ふう、ふぅふぅふぅふぅ」


 摩志常のニヤケ顔が、闘技場に浮遊している球体状の水晶にズームアップに映し出せられていた。

 

 浮遊している球体状の水晶をコントロールしている人物に対して、抗議がされていた。


「ダメだって、絶対! 映しちゃダメな顔してるよ! あれ! 摩志常ちゃんの印象、ダダ下がりだよ!」

「僕的にはの摩志常ちゃんの方が皆に好かれると思うけどなぁー。と言うか、地を見せていたほうが。あと、あとのことを考えれば、いいと思うんだけど。だって……、あの……、猫被り最後まで、できないタイプだよ」


 右側の貴賓席では、そんなやり取りが行われていたのだが……。

 左側の貴賓席と闘技場内の観客たちには、そんなやり取りが行われていたことなど、一切、知ることはなかった。

 ただ、浮遊している球体状の水晶に、少女が自分の欲望を前面に押し出した。ゲス顔している姿を一方的に見せられ。

 あ! 摩志常と言う少女の本当の姿を知るいい機会になった。


 震えた声で。


「ま、摩志常さ、さま……」


 今まで戦っていた強者とは? 尊敬し憧れの一人になった摩志常とは? イメージがペラペラと剥がれていく。

 数十分前までの自分なら侮辱されていると感じ、獣のように叫び、罵倒していただろうな、と。

 でも、この数十分という短く濃い時間で、自分がもっていた価値観をぶっ壊された。カーライルにはその突拍子もない摩志常の姿を見ても、少し笑えるだけの余裕が生まれていた。

 自分の父親である『セガラ』や妹の『プリシエ』。崇拝すべき者たちである、『マーナガルム』、『ハティスコル』、『エン』が気に入ってしまう理由がなんとなく理解できたからだ。

 摩志常という少女の"変"な魅力に。


 …………、…………。


 カーライルの辿々たどたどしい話し方と闘技場内のあまりにの静寂さに。あれ? なにか? おかしいと感じだす……、摩志常だった。

 浮いて球体状の水晶に自分のゲス顔がズームアップで映し出されていた。

 時すでに遅し! 額に薄っすらと焦りが汗となって、頬の輪郭にそって下に向かって流れていく。ひょいっと両タレ目の目尻を自分の両手で必死に吊り上げながら、唇を舌で舐め唾液で妖艶ようえんさをだし。

 冷徹な笑みを浮かべ、如何いかにも悪人面あくにんづらをするのだが……。

 闘技場内にいる全ての者たちは、摩志常の本性を知ってしまっている。摩志常の頑張って装っている姿は、滑稽こっけいとしか言いようがなかった。

 ある一名を除いて闘技場内にいる者たちは、一つの結論を出した。"見なかった! "そうだ! 見て見ぬ振りをしようと決めた。

 触らぬ神に祟りなし。

 ここは、そーっとしておいて。時間が解決してくれるのを待つのが得策だと思った。たぶん……、今、変に関わると……。ぎゃー! と猛烈に雄叫びをあげ、食肉目ネコ科ヒョウ属ように暴れだしながら、襲ってくる姿が容易に想像できてしまったからだ。

 でも、一人だけ、空気を読めていない人物がいた。


「摩志常ちーーーーーゃゃゃゃゃんーーーーー、カッコいいよーーーーー!!!!!」


 右側貴賓席から身を乗り出しながら、一生懸命に両手を大きく振りながら子どもの運動会に応援にきているハイテンションの父親が声援を送っていた。

 闘技場内を包んでいる重い空気がより重くなっていく。その声援を送った人物以外は、複雑そうな顔をしていた。


「ぎゃー!」


 と、猛烈な雄叫びが闘技場内に舞うと! ガン! と鈍い音がし。一人の人物がおでこを手で押さえながら、貴賓席でしゃがみ込みながら。


「く、くうき、よんで……。お、おうえん……したのに……。い、いしなげてくるって……、ひ、ひどくない……」

「ナイスコントロール! 摩志常ちゃん!」


 マーナガルムの空気のよめなさが、幸いにも換気効果をもたらした。闘技場内の空気の重い雰囲気がしだいに戻り始めていく。


「ったく! これだから駄犬め!」


 と、毒気を吐き出した摩志常の口角こうかくは愛らしい角度、を、していた。

 摩志常の愛らしい口角の角度が徐々に変わりながら、無難な笑みをカーライルに向けた。


「"ちょっと気が早いかな"って、私が言ったことに対する答えを教えるね」


 カーライルは「ありがとうございます」と言葉を返そうとしたが……、喉の奥から十文字の言葉が出せなかった。

 小さな虫が背中をう、こそばゆい感触とゾワッとする嫌悪感を本能が嗅ぎ取ってしまった。やはり、摩志常という少女は人間ではないと、カーライルが確信した瞬間だった。

 人間の皮を被っているナニかが、人間の真似事を、しているだけなのだと。

 摩志常のしている"無難な笑み"は、それほどに危険な臭いがした。


 …………、…………。


 いつの間にか眉間の皺を伸ばしたり縮めたりを右手の中指と親指でしながら、小難しい顔をし、できる女を演じるながら。


「上手く利用すればよかったのよ! そのアドバンテージをね!」


 カーライルはどうしたらいいのか困惑していた。同一人物なのか? と思わせてしまうほどの摩志常の感情の起伏にだ。

 この今、困惑している自分の感覚が少しずつ変化しながら興味に変わっていく。気づくのだった、これが摩志常の"変"な魅力の正体なのだと。

 

「ありがとうございます。では、どのようにすれば、よかったのでしょうか?」


 と、さきほど喉の奥で引っ掛かっていた、十文字の言葉が気軽な口調で出てきた。

 

「腹の探り合い、し終えてからでもよかったのよ」

「それは……、どういう意味ですか……」

「焦りから私にすぐに攻撃したから。"ちょっと気が早いかな"って言ったのよ」


 摩志常は子どもに絵本の読み聞かせをするように、身振り手振りを交え、熱のこもった演技をしながら。一生懸命、カーライルに、"ちょっと気が早いかな"、と言った言葉の真意をカーライルに説明し始めた。

 

 完全に蚊帳かやそと、状態の闘技場内に来ている観客たちは、もう摩志常の変な魅力に毒され始めてきていた。


「ちょっと食べ物買ってくるわ!」「あ! 飲み物は、エンさまの牧場特製ミックスジュースにして!」「私、カーライルさま、ぬいぐるみ買ってこよっと」「今のうちにトイレ、トイレ」「ママー、ハティスコルさまとエンさまのぬいぐるみ、買ってー」


 と。試合再開されるまでに各々おのおの、今やるべきことに専念するのだった……。


 右側の貴賓席に座っていたマーナガルムが、観客たちが席を立ち各々どこかに行く姿を見つめながら。


「もう、摩志常ちゃんの性格が、変な感じで国民に浸透しちゃったみたいだね……」

「だから、言ったでしょ。あの娘はを見せた方が言いって」

「ま、まぁー、そうなんだけど……。自由すぎないみんな?」

「摩志常ちゃんの地の姿を見た影響もあるけど……。根本的な部分は兄さんの影響だと思うけどな、ボクは」

「……、……?」

 マーナガルムは、自分の何が? 国民に対して影響しているか? ハティスコルに詳しく尋ねてみてもいいかな? と思ったが。やはり尋ねない方が自分にとって無難だと野生の感がささやいた。

「そうそう、俺の繊維工場で作っている。ぬいぐるみって評判どうなの!」

「え!? ぬ、ぬいぐるみ……。ひ、ひょうば、ばん。いいよ……」

「で? "どの"ぬいぐるみが売れ筋なの?」

「う、うれすじは……ね……。エン姉さん、僕、カーライル、プリシエ。そして……、一番最後に兄さんか……な……」

「……、……」

 自分が国民の根本的な部分の何に影響を与えているのか? 聞かなかったことに対する後悔と。どうして! 一番、聞かなくてもいいことを尋ねてしまった自分に、後悔の荒波が何度も押し押せた。


 …………、…………。


「では、最後のレッスン! 今、あなたの持っている戦闘経験のアドバンテージを使って、私に勝利してみなさい」


 その言葉を聞いたカーライルは、今、すべき行動は分かっていた。摩志常もカーライルが次にする行動は分かっていた。

 カーライルは地面に向かって全ての力を込めて、その答えを叩き込む。

 叩きつけられた場所は爆撃されたように、一瞬にして大きく凹みを作りだし。その爆風と呼んでもいい衝撃の波が辺り一面に粉塵ふんじんを舞い上がらせると、その粉塵の中から一つの塊が飛び出してきた。

 その白銀の体毛が太陽光を反射させながら、自分が立っていた背後の森林の闇に飛び込んでいく。

 舞っている粉塵が、地面にゆっくりと全て落ち終わると。

 太陽光を吸収する黒い長髪が顔に覆い被さり、長い黒髪の隙間から髪と同色の瞳孔を大きく見開いた摩志常が。


「ご・う・か・く!」


 と、回答を述べると。

 長髪をなびかせながらカーライルが隠れた森林の中に、カーライルが粉塵から飛び出したときと同じ速さで向かって走っていく。

 その後ろ姿を見ながら。


「最終局面に突入かな」

「異能の力を使えない摩志常ちゃんは、どんな方法で? 決着をつけるのか、楽しみだね。兄さん」

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