第二十九話

 いい天気だった。空気も重く濃く血の香りもする最高のサバイバルゲーム日和びよりだった。

 

 しかし……。

 

 摩志常の顔は戸惑いを隠さず剥き出しになっていた。


 ワタシ、前の世界では、数多あまたの数のサバイバル生死を掛けたゲームしてきたけど……。この状況は、本気マジでヤバすぎる!

 正直な話、これほどまでに戦闘経験のアドバンテージが生まれてしまうとは……、想定外すぎる。

 ワタシから挑発しておいてだけど、失敗したなこれは……。都会っ子、育ちのワタシには、これはキツすぎるぞ!

 異能の力を使えば! この状況を打破できるが……。それをしてしまうと、今までやってきた苦労が水の泡になってしまう。

 今は、ワタシの身体能力だけで、この状況を打破しないといけない……。クソ! 損な賭けにワタシ、賭けてベットしてしまった!

 

 …………、…………。

 

 つたが絡み合い、蜘蛛くもの巣のようにそれが張り巡らされ、最低限の太陽光だけを取り込む。森林と呼ばれる美しさはなく、鈍重どんじゅうな密林の中に、摩志常はいた。

 

 摩志常は呟き出した。


「オチツケ、ワタシ! おちつけ、わたし! 落ち着け、私!」


 何度も、その言葉を繰り返し呟いているうちに、摩志常の崩れて歪めていた表情筋から焦りが消え失せ始め。しだいに冷静さを取り戻し始めた途端に、目を瞑りながら両頬を両手で、ぷに、ぷに、とマッサージし始めた。

 すると誰かと会話するように口が動き始めるが、声は発せられていなかった。

 

『自分に、今、なにが? 不利なのか。一つ、一つ、確認していけば。自然と最善策が出てくるわ。視覚は、どんな感じに認識をしているの?』

『外から見た感じだと森林と判断していたけど、密林に近いから薄暗いと認識してる。さらに、中途半端な光量のせいで瞳孔を一定に維持できない。』


『分かったわ。では、次ね。聴覚は、どんな感じで認識をしているの?』

『風で木々が擦れあって常に多方向から音が聞こえてくる。物体が動いたことで、木々が動いているのか? ただ、風で動いているのか? 判別ができない。逆に、邪魔。』

『そうね。あと、忘れているわよ、彼は――足音がしない。最初に一撃目を右頬に受けたとき、も。彼を空中高く蹴って跳ね上げ、地面に着地したとき、も。足音が、聞こえなかったでしょ。』

『…………、…………。』


『嗅覚は、どんな感じに認識をしてるの?』

『臭いで、特定できない。他の獣人も、ここに出入りしているみたい。辺り一面に獣臭が付着して、カーライルだけを嗅ぎつけることはできない。そのうえ、ここは死臭と密林独特の酸素の濃さが混じり合って、より、嗅覚を混乱させてる。それに、風が一定方向ではなく、ランダムに吹くから風上かざかみも、風下かざしもも関係ない。』

『さすが、密林の王者と呼ばれる所以ゆえん、ね。戦闘支援ワタシの索敵能力より、彼の隠密能力が勝っている――隠れんぼの天才ね! 彼。』

『…………、…………。』


『兄さまの力を使えば――ぁ、異能の力は使っては、ダメ、だったわね。でも、ワタシと、こうして会話するのは――』

『――ど、どうかしてるから、も、もんだい、ない。ひ、ひとりで、か、かんがえごとを、してる、だけ。』

『物は言いよう、ね。』

『で。』

『彼は、もうあなたの位置を特定しているはずよ。あとは、攻撃する機会を息を殺して、待っているだけ。』

『…………、…………。』

『攻撃する機会を彼に与えれば、彼は自らその姿をあなたの前に現すわ。大丈夫、よ。最凶さいきょう最狂さいきょう最恐さいきょうの三柱の主。』

 


 摩志常は、誰かと会話するように動いていた口をめると、同時に、目を瞑りながら両頬を両手で、ぷに、ぷに、とマッサージもめた。あと、目を開き、口から。


「仕方ないか」


 と。言葉が発せるられたのだった。

 

 唐突とうとつ所々ところどころ、破けている自分の着ている作業着を摩志常は、力いっぱいに引き裂き始める。

 引き裂いては、地面に、引き裂いては、地面に落とすという行為を五回、繰り返すと。地面に縦横の不均等な作業着の切れ端が五枚落ちている。その切れ端のハシと端を地面にしゃがみ込みながら結び目がほどけないように、キツく結び始めていく。作業着の五枚の切れ端を結び終えると、百セント前後の一つのひもを完成させる。

 紐の端を口に咥えながら、右手で紐を握りながら、こんどはその紐を自分の左脇に挟む。右手に握っている紐を左脇中心に強く締め付けるように丁寧に巻きつけていく。最後に紐の端をしっかりと咥えた状態で右手に握っている紐の端を咥えている紐に絡ませるように結び終えると。一気に! 紐を咥えている口を右側に、紐を握っている右手を左側に力強く引っ張る。

 準備ができると摩志常は、紐を巻きつけた左手を差し出すように、水平にする。

 

 はぁー。まさか、まぐろの一本釣りをするんじゃなくて……、カーライルの一本釣りをすることになると思わなかったわぁー。

 あれだな……、この異世界に来てから海の幸系の料理って食べたかな? インスタント食品で食べたのが最後だったような気がするなぁー……。

 "エン姉さんの牧場の最上級品のお肉"もいいけど、そろそろ海の幸も食べてたくなってきたかも。試合、終わったら、ハティスコルに海の幸系の料理を作ってもらうのもいいかも。あ! でも、食材が手に入るかな? ここ、山奥だし。

 しかし、アイツの"隠れんぼの天才"って言葉の意味がよく理解できる。

 不利とか有利とか、そんな次元の話じゃなくて、無理! だいたい、いくら私の身体能力が普通の人間よりも逸脱いつだつしていると言っても、限界がある。

「あなたの持っている戦闘経験のアドバンテージを使って、私に勝利してみなさい」って偉そうに言っておいてだけど。想定外すぎて、完全に取り乱してしまったぐらいに差がありすぎだった。

 私、よくよく考えれば、前の世界でも森林戦ってしたことがなかった。正直な話、これが試合ではなく死合だったら、カーライルが森林……、密林に逃げ込んだ瞬間に。【紅炎こうえん】をぶっ放して、はい、終了よ!

 って! それじゃー、教師役として仕事を受けた意味ないんだけどね。

 さ・て・と、釣れるといいなぁー。大きなカーライル!

 

 …………、…………。


 闘技場内に浮遊している大きな球体状の水晶に映し出される映像が、忙しなく切り替わっていた。

 感情を表に出しまくりのマーナガルムが弟であるハティスコルを急かしていた。


「はやく、疾く、速く、早く探し出してよ!」

「分かっているよ! "これ"操作するの難しいんだよ、兄さんも知ってるでしょ! だいたい、偉そうに言うなら、兄さんが操作すればいいだろう!」

 弟に強い口調で言い返された言葉に、我に返ったマーナガルムは。

「…………。エン姉さんに、お前はもう触るなって言われた」

 と。呟いたあと、青空を見上げた。

「え? どうしたら、その言葉が出てくるの?」

「ハティスコル。料理修行の旅に出て行ったじゃーぁー……、ない」

「ぅ、うん」

「そのあと、自分で"これ"操作できるようになった方が、いいかなって練習してたんだ…………」

「ぉおー! 面倒くさがりの兄さんにしては、いい心掛けじゃない!」

「さ、さん、こ。こわした………………」

「……………………。ご、ごめん」

「あやまらない、で…………………………」


 右側の貴賓席でそんな残念な会話を兄としながらも、一生懸命に摩志常の姿を探していた。ハティスコルが。

 

「見つけた!」

 

 と、叫び。

 大きな球体状の水晶に摩志常の姿が映し出さた瞬間だった!


 摩志常の後ろの茂みが大きく動く……。


 …………、…………。


 カーライルの立派な白銀の肉体が横に倒れうずくまりながら、顔の右側を大きな右手で押さえかばっていた。銀色の体毛に血が染み込み、染み込みきれなかった血液が地面に染み込んでいく。

 その姿を見下ろすように、見つめる摩志常の姿があった。

 そして摩志常の右手の親指、人差し指、中指の三本が、生暖かい丸いモノを掴んでいた。その掴んだ右手側からは少量の血液が地面に落ちて染み込んでいく。


降参こうさん


 耳元で囁くほどに、小さな声だった。


 カーライルと摩志常の飛び込んだ森林の外側から、ラッパの音が微かに聞こえてきた。




「摩志常ちゃん、大丈夫?」

「だいじょうぶ。降参した時点で、すぐに異能の力を使って、止血しけつしたから」


 摩志常の左側の地面には大量の血液が地面に染み込むことができずに、血溜まりになっており。作業着を破って作った紐で縛った部分より先が失われていた。

 その失われた部分は、丁度、カーライルと摩志常の間に転がり落ちていたのだった。


「はぁー、心配するなら私よりもカーライルが先でしょ。マーナガルム」

 

 嬉しそうな顔をしながらも、口から出てくる言葉には棘があった。右手の指、三本で掴んでいるカーライルの右眼球をマーナガルムに、ポイとゴミ箱に捨てるように投げ渡す。

 投げ渡れたカーライルの右眼球を両手で大事に優しく包み込むように受け取ると。


「ち、ちょっと、摩志常ちゃん。言ってること、と、やってることが……」

「はい、はい、そんなこと言ってないで。さっさとカーライルの右目を治す!」


 右眼球を捨てるように投げた少女は、いつのまにか唇を尖らせながら。「ちぃ! こっちの世界に来てからまだ、一勝しかしてないじゃない! イライラしてきたわ! やっぱり、【紅炎こうえん】、ぶっ放して、全て焼却してやろうかしら」

 と。"降参"と言ったときよりも、大きな声で呟いている姿を見ながら。マーナガルムは、いさぎよい性格なのか? 女々めめしい性格なのか? どっちなんだろうと思いながらも、相変わらずなだなぁー、と。呆れながらも、これがハティスコルが言っていた。

 摩志常の"変"な魅力であり、自分たちを惹きつけている最大の理由だ。この娘が前の世界でも癖が強い者たちが、自分の周りに集まって来ると言っていたことに納得した。


 倒れうずくまっているカーライルに、マーナガルムが近づき。カーライルの頭を優しく撫でながら、子どもの成長を喜ぶ親のように。


「強くなったね、カーライル。今、治してあげるから」

「さ、さきに……、ま、ましとこ、さま…………を」


 カーライルの残っている黄金の左眼球で、摩志常のことを心配していることを強く訴えている。その顔をマーナガルムは直視できないでいた。

 さり気なく自分の身体でカーライルの視界を遮ったのはいいのだが。自分の背後で、今、現在進行形で行われているであろう行為に。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 マーナガルムは、どのように対処すればいいのか? 分からなかった。とりあえず、頑張って顔の筋肉を引き上げながら笑顔を作り、平常心を装いながら。


「ほ、ほって、おいても、だ、だい、じょうぶ、だよ……。あの娘は…………、つ、つよいから………………。それよりも、すぐに治してあげるね! カーライル!」


 カーライルを治療しているマーナガルムの背後では――常軌じょうきいっした挙動を摩志常は、していた。

 千切れた腕に体の前端と後端に吸盤を持ち、細長いく、ぬめぬめとした大量のひるが寄生し。自身を少しずつ骨へと形成し、骨になった箇所から次は筋繊維へと姿を変化させる。と、いう地味な作業を繰り返し、繰り返し、している。

 真っ最中だった――蛭たちが。

 

 …………、………………。

 ……………………、…………………………。


「マーナガルムさま……。わ・た・しの、め…………」

「カーライル、ごめんね。ちゃんと身体の傷も完治してるし、目も完全に完治してるから。ごめんね、カーライル」

 

 呆然と立ち尽くしているカーライルと、苦笑いどころか本当に苦い顔をしているマーナガルムが。沈黙のまま、じーっと見ていると。


 熱い視線を感じたのか? 摩志常は少し恥じないながら、肉体をモジ、モジ、と捻り揺らしながら。


「わ・た・し、の、に・く・た・い、は。と・く・ちゅ・う・ひ・ん」


 と。

 少し頬を赤らめながら、右頬に右手を当て可愛らしくポーズをしているが。

 

 ――絶賛! 左腕――――再生中!

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