第二十七話

 静まる闘技場内の全ての者たちの視線を奪う少女が立っていた。

 黒い艷やかな長い髪を靡かせながら、無表情ながらもその不思議な魅力を感じさせる顔立ちをし。今しがた、この国の王子である。カーライルを圧倒的な強さで一方的に殴り倒し、最後はゴミを捨てるように投げ飛ばした、少女。


 摩志常ましとこ


 摩志常は表情一つ変えることなく。大の字で仰向けに倒れているカーライルから一度たりとも、目線を切ることはしなかった。

 

「さてと、第二ラウンド前に、できるだけ体力は削っておいたけど……。効果ってあるのかしら……?」


 と、表情と同じ単調な口調で呟いていた。


 静まった闘技場内に、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、と大気を震わせるほどの激しい心臓の鼓動音が聞こえ始めてくる。

 摩志常は、ボリ、ボリ、と右頬を爪で掻きながら、なんとなく億劫おっくうな表情をしながら。


「うーん……、あれねぇー……。まぁー、予想通りと言いたいんだけど……。断る勇気って大事よねぇー。あれね、Noノーと言える日本人! って、いまさら遅いんだけど……」

 

 今さっきまで大の字に倒れていた、カーライルが立ち上がっていた。

 その姿は下から上まで満身創痍なうえに血塗れになっているにもかかわらず、地面を力強く踏みしめながら倒れていたことが、嘘だったように思えてしまうほどに凛とした立ち姿だった。

 そして瞳は大きく瞳孔が開ききっていた。開ききっている瞳孔は敗者の弱りきった瞳孔ではなく、太陽の光を吸収するのではなく、虎眼石タイガーアイが太陽の光を強く跳ね返し、金色こんじきに輝いていた。

 金色に輝くその瞳と、摩志常の漆黒の瞳とが結び合うと。


「あなたに出会えたことに、我が神に感謝したい」


 とても落ち着いた口調で、摩志常に語りかけ終えると。


 カーライルの肉体は静かにだが、強烈な変化を開始した。

 無数に通っている血管がハッキリと肉体の表面上に浮き上がりだす。大量の血液が心臓から血管に送り込まれていることを証明していた。

 その送り込まれている血液量は人間の心臓なら確実に、心破裂を起こし死んでいる。どれだけ大量に血液が送り込まれているか? その証拠は浮き上がる人並み外れた太さに拡張された血管が示していた。

 今、この人智を超えたことを可能としているのは、『神の悪戯いたずらと呼ばれる。種族の一つ――獣人じゅうじん族』だから可能としている。

 そして、その静かだが強烈な肉体の変化は、次の変化に備えての前段階でしかすぎなかった。

 カーライルの身体の一部を最低限、隠していた衣服はもう必要なかった。

 摩志常に蹴り飛ばされたときから、ビリ、ビリに裂けていた衣服がより大きな裂け目となっていく。裂け目が大きくなるにつれて、肉体の露出も高くなっていく。

 露出した肉体は、もう人間と呼べる、肉体、を、していなかった。

 薄っすらと体毛が肉体を覆うように生え、それに伴いながら肉体が少しずつ獣へと化していた。

 カーライルの人間の姿のときの精悍な顔は……、もうしていない。

 今の顔は……、カーライルの生来の顔。

 獣人――――カーライル!


「きれい」

 

 あまりにもその美しいその姿に、摩志常の口から吐息のように漏れたその言葉に嘘偽りない。

 摩志常は前の世界でも摩訶不思議まかふしぎな、世界で、生きてきた人間だ。肉体が大きく変化するモノたちを数多あまた、見てきた。

 それでも、"きれい"、という言葉が出たのは、変化後の造形に差があったからだ。

 摩志常の世界では、肉体変化したモノたちは、自分も含めて、ほとんど。が、グロテスクな肉体に変化するからだ。

 この異世界では、それが違った! この世界で神と呼ばれるモノたちの改良の仕方と環境、が。大きく美的側に、偏って影響していた。

 プリシエの父親であるセガラの血を――受け継いだ。

 美しい白銀色シルバーに輝く体毛が太陽に祝福され、王者と呼ばれるに相応しい立派な獣の雄の肉体があらわになり終えると。


「ありがとうございます」


 カーライルは獣人としての本来の姿に戻ると礼を述べた。

 獣人化している途中で攻撃することによって本来の姿に戻ることを阻止することも、摩志常にはできた。それを摩志常はしなかったことに。

 戦うということに関して狡猾こうかつなまでに、合理主義な摩志常がその行動を、しなかった。

 プライドを砕け散るまえのカーライルなら、激高していた。だが、今のカーライルは違う。摩志常という本当の強者と、自分が本来持っている全ての力を出し。

 今、自分がどの位置にいるのか、明確に知りたいと思ったからだった。


 ちょっとその言葉に面食らった、摩志常は。


「いいの、いいの、気にしないで。たまに、いい男の肉体を見るのもおつなものよ」

 

 想像以上に強い雄の肉体に摩志常の雌としての本能が反応していたのだろう。

 摩志常の口元は緩んでおり、若干の唾液が緩んだ口元から漏れそうになっていた。慌てて、じゅる、っと音を出しながら唾液を口の中に戻し、ごっくんと唾液を喉の奥に流し込むと。


「それに……、変身中に攻撃するは、ご法度はっとだから!」


 と、言いながら。

 右手首を上下うえしたに軽やかに動かしていた。その姿の摩志常は、近所で立ち話をしている。ご婦人方を彷彿とさせていた……。


 …………、…………。

 

 摩志常の右頬に真横に赤い一筋の線が入っていた。赤い一筋を指でなぞると、温かい液体の感触。そして痛みが。

 右頬が数センチ、斬り裂かれていた。


「さすがに。あの爪は厄介ね……」


 爪の出し入れできることを忘れていた……。

 よくよく考えれば食肉目ネコ科ヒョウ属なんだから、獲物を狩る瞬間に爪が出てくるのはあたりまえか。

 避ける間合いを見誤ったよりも、動物としての特性を見誤ったって感じかな。

 しかし、あの爪はさすがに、ヤバい! 今の私は異能の力を使って戦えないから、傷ついた肉体を急速に再生させることが、できない。迂闊うかつにに攻撃して太い血管でも切られ、大量出血して一発アウトになっちゃうわ。

 それに一番ヤバいのは……、あの爪よりも……。場所によっては……たちが悪いな…………。

 

 渋い顔をしている摩志常だったが、漆黒の瞳の色は対極だった。

 第二ラウンドに向けての戦闘体勢に摩志常は移行させていく。

 肺から二酸化炭素吐き出し、鼻から酸素を取り込むと一緒に、獣の臭いも取り込む。その獣臭けものしゅうがする方向に、身体を向けていく。

 

 闘技場内の観客たち、そして、左側の貴賓席には。二人の闘士から放たれる闘気が、緊張感として伝わっていた。

 右側の貴賓席だけは、緊張感に欠けていた。

 静かにだが半笑いをしながら、オソル恐る弟の顔を見る。マーナガルムのその表情は、一悶着ひともんちゃくどころか二悶着ふともんちゃくして、完全に収拾できないんですけど? どうしたらいいんですか? と、弟に視線で尋ねていた。

 ハティスコルは、そっとため息をつくと。


「摩志常ちゃん。あの年齢では考えられないほど、殺し合いをしてきた人物だよ。ちゃんと退ぎわ心得こころえて、いるし。だからこそ、兄さんは摩志常ちゃんにカーライルの相手に指名したんでしょ。兄さんは人を見る目は確かなんだから、もっと自信をもってもいいじゃないかな」


 本当に一人だけ微塵とも感じさせない緊張感の顔をしながら兄に励ましの言葉をかけた。


 …………、…………。


 先に動いたのは、カーライルだった。

 自分のアドバンテージを利用できるチャンスは、これが最初で最後と判断したからだった。

 摩志常は自分の爪を計算に入れた、間合いをまだ完全に測りきれていない、今しかなかった。中途半端に攻撃を繰り返していれば、摩志常の戦闘センスなら数回攻撃するだけで、完全に攻撃、間合いを見切られてしまう。

 そうなれば、自分のアドバンテージを失ってしまうことになる。今、自分が摩志常に対しての唯一無二ゆいつむにのアドバンテージはそれだけだったからだ。

 摩志常という少女は獣人化した。いや、本来の身体能力をもってしても互角…………。まだ、摩志常の方が上なのが、理解できていた。

 カーライルは死ぬほど悔しい、それと同じだけ、死ぬほど高揚している複雑に混じり合った。自らでも初めての感情に戸惑っていた。

 しかし、カーライルは不思議とその戸惑いの感情はすぐに消え去っていく。

 目の前に蜃気楼と感じていた威圧感の正体を今の自分には、それが鮮明に映し出されているからだ。目の前にいる摩志常は、崇拝すべき者たち、そして、尊敬する父親であるセガラと、

 おなじく。

 

 本物の強者!


 勝っても負けても……、違う! この強者に勝ち己も本物の強者の一人になる!

 

 瞳孔を大きく見開き、摩志常の目掛けて真正面から襲い掛かる。摩志常に中途半端な小細工は通用しない。

 一撃必殺!

 カーライルは摩志常の首を抱きしめるように、左右の爪で首を狙った。左右の爪は空を切っただけだった。

 摩志常は後方に身体を反らして、その左右の爪から繰り出された斬撃を躱していた。

 そのまま地面に背中をつけ仰向け状態に倒れ、飛びかかってきたカーライルの真下に身体を潜り込ませた。

 飛びかかった状態のカーライルは、もう軌道を変えることはできない。両手を地面につけ起き上がるための反動を利用しながら、両足を揃えてカーライルの分厚い柔軟な腹部の筋肉の鎧に蹴り入れる。

 高く空中に跳ね上げられるカーライルの姿と、その蹴り出した体勢をすぐに立て直し、空中に浮いているカーライルの姿を注視する。

 空中に飛ばされたカーライルは驚異的身体能力だから、こそ、できる動きで。器用に体を空中で捻りながら、体勢を整え、地面に音もなく着地した……。

 が――。

 ――突き出た口元からは、血が垂れ流れていた。


「あら、思っていたよりも。ダメージ、通ったみたいね」

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