第二十六話

 この少女は自分が知っている人間ではなかったのだ。

 先程、この少女を吹き飛ばし、岩石に叩きつけ、その岩石すらも粉々に砕け散る威力の蹴りを受けても、傷一つどころか……、かすり傷もない。

 次に、自分がもてる全ての力を込めて繰り出した、右ストレートを受け止めるのではなく、その力を利用する不思議な動きで、背中から地面に叩きつけられ仰向け状態にされ、見下される屈辱。

 その屈辱に対して怒り任せに、繰り出した足払いを少女は、いともたやすく最小限の行動で受け止め、自分の目の前に立っている。

 そしてその少女は、自分に呆れた表情をしながら、また、さとしていた。が、そんな少女の声など、カーライルには聞こえていなかった。


 カーライルは冗談じゃない! と心の中で叫んでいた。

 自分は父親である『セガラ』に次いでの強さを誇っていた。違う! 強者だと誇っていた!

 自分が勝てない相手は、父親であるセガラ。それと、この国の崇拝すべき者たち、『マーナガルム』、『ハティスコル』、『エン』だけだと。

 カーライルに頭の中では単純な計算だった。四人以外を除けば、自分が一番強い存在なのだか、ら。

 

 自分は人間という種族がいるのも知っている。

 冒険者と呼ばれる者たちや、盗賊や野盗と呼ばれる者たちをこの闘技場で戦い殺したこともある。

 人間は弱くないことも知っている。

 人間は獣人と違い肉体が極端に脆い。ただし、人間は魔法まほう神聖術しんせいじゅつという特殊な力を使って、戦うことで獣人と五角以上に戦えることも知っている。

 それは獣人が逆に人間に、この闘技場で殺されたのを見ているからだ。

 

 この闘技場は、自分たちの闘技を国民に見せるための娯楽施設の一つでもありながら、戦闘訓練施設でもある。そして……、死刑場でもあるからだ。

 獣人といえ国として存在する限り、法律は存在する。そして刑事罰も存在し、その中で最も重い刑罰が死刑である。

 ただ、違っていたのが死刑の方法であった。『ヒュペオトル王国』の"死刑"は、"死刑であって死刑ではない"、のだ!

 ヒュペオトル王国で死刑判決された場合は、この闘技場で戦わされ。そして、勝って生き残れば、国外追放処分に変更される特殊な死刑だった。

 

 そして……。

 

 そんな死刑執行人として自分も幾人もの人間と戦った、その幾人もの人間は自分には敵わなかったのだ。

 

 だからこそ! 自分は強者だと、知った。


 でも、違っていた……、知らなかった……、カーライルは……。


 こんな人間が存在するということを……。


 この少女のもっとも特質的部分は圧倒的な身体能力ではなく、その威圧感にあった。

 崇拝すべき者たちが放つ、絶対者の威圧感でもなく。父親であるセガラの放つ、王者の威圧感でもなく。

 この少女が放つ、威圧感は蜃気楼のようだった。

 目の前に見えている少女の姿は、本当の姿ではなく。この少女の本当の姿は、遠いところに存在しており、その力の一部が幻を創り出し、自分に少女の姿を見せているだけではないのか? と……、思い感じ始めたときだった。


「ちょっと! 聞いてるの!」


 その言葉に意識が現実に引き戻された。


「駄目、ダメよ! 覚えおきなさい! 自分の体勢が不利な状況では絶対に反撃しないこと。まず最優先に行うことは、自分の不利な体勢を正常な状態に戻すこと。次に不利な状況で、体勢が正常な状態に戻せない場合は、徹底に防御に徹すること。今、あなたが行った行動は自分が不利な状況から、さらに不利な状況に自分から進んで行ってどうするの! 強者として生きていきたいのなら覚えておきなさい!」


 と、説明口調でカーライルに伝え終えると。


「レッスンワン、終了ね! 蹴り飛ばしたお返し!」


 カーライルの精悍な顔に問答無用に、空いている右足で少女は容赦なく前蹴りをした。

 顔の形がゆっくりと変形しながら力が全て伝わり終わったあと、一気にその前蹴りの衝撃で後方に吹き飛ばされた。

 少女の蹴りは、カーライルのように水平に飛んでいくことはなく。

 吹き飛ばされた瞬間から、地面に接触し、浮かび、地面に接触しをひたすら繰り返しながら。最終的にはカーライルの身体が止まったのは。

 試合開始に瓦礫の山の下に埋もれた少女と同じ状況になったときだった。


 闘技場にいる観客たちは、言葉を忘れ、その状況を見ていることしかできなかった。

 静まる闘技場内に、白銀の女子の黄色い声援が貴賓席から飛ぶ。


「きゃーーーーー!!!!! 摩志常ましとこさまーーーーー!!!!!」


 その一人の女の子の黄色い声援に答えるように、摩志常は握り拳を作り、天高く突き上げた瞬間だった!


「「「「「ウォーーーーー!!!!!」」」」」


 溢れんばかりの歓声が闘技場に立つ少女に向け送られた。この瞬間に摩志常は、『ヒュペオトル王国』の国民に認められた瞬間でもあった。


 貴賓席に二人の男性が座りながら、敵でありながら一瞬にして観客こくみんたちを虜にしてしまった。少女の戦う姿を楽しげに見つめながら。


「摩志常ちゃん、役者だねぇー!」

「変な魅力があるからねぇー、摩志常ちゃんは。あと兄さん、気をつけた方がいいと思うよ」

「試合展開こと? まぁ、圧勝とまではいかないけど、摩志常ちゃんの勝ちでしょ。心配ないよ」

「…………、…………。僕は試合の勝ち負けよりも、そのあとの摩志常ちゃんのことを心配しているんだよ」

「……? 国民に認められたことのどこが心配なんだい?」

「はぁー。摩志常ちゃん変な魅力があるって、僕、言ったよね」

「うん。で?」

「摩志常ちゃんのファン倶楽部ができるってことだよ」

「…………? …………!」


 観客たちは興奮し、熱気の溢れかえる闘技場内で。一人だけが寒気を感じながら、顔色が悪くなっているマーナガルムと。これからもっと楽しいことが起きるだろうなぁーと期待を膨らます、ハティスコルの姿があった。


 …………、…………。


 カーライルは、瓦礫の中から這い出す。

 精悍な顔の一部に小さな蹴りの跡が赤黒く浮き出ていた。上等な衣服は継ぎ接ぎだらけのもう衣服と呼べる物ではなく、ボロ布を纏っているだけの姿としか言いようがなかった。

 そして身体の各所には、裂傷や打撲痕が痛々しくできていた。

 身体に受けた損傷度合いを示すように、呼吸は安定せず、一息、一息の間隔が異常に短い。

 そんな満身創痍まんしんそういのカーライルに向かって、摩志常は近づいてくる。

 その近づいてくる摩志常の速度は、ゆっくりと散歩するようなのんびりとしたペースだった。自分に近づいてくる摩志常の姿からは、まったくと言っていいほどに、闘気や殺気、ましてや先程感じ取ったあの蜃気楼のような威圧感が完全に消え失せていた。

 カーライルは動けなかった。満身創痍で簡単に動けないことは、自分でも分かっていた。それでも、動かそうと思えば身体は動いたはずなのに動かせなかった。

 一瞬、これが恐怖から身体が硬直して動かなくなるということなのか? と近づいてくる摩志常を鋭い視線で射抜くように見つめる。

 そのとき、カーライルは気づいた。これは、恐怖で身体が動かいのではない。もし、恐怖で身体が動かいのなら、鋭い視線で近づいている少女こと摩志常を射抜くように見ることはできない。

 身体が動かないのは、自分の意思であえて動かいのだ。望んでいるのだろう、少女、違う。摩志常という名の本物の強者と戦ってみたいと。

 

 目と鼻の先に摩志常は近づくと。カーライルの足先から順番に観察するように頭部まで眺めるように視線を移動させると。

 鋭い眼差しをしているカーライルに、摩志常は少し首を傾げながら。その鋭い視線に視線を合わせ。


「まだ、する?」


 カーライルは摩志常と合わさった視線を逸らすことなく。より強く鋭さを増した視線をし、縦に頭を振った瞬間だった……。

 それは絶妙のタイミングだった。

 カーライルの短い不均等な呼吸の息を吐き出した無防備な腹部のみぞおちに、左からアッパーカット気味にボディーブローを叩き込みながら、叩き込んだ拳を時計回りにひねり込んでいく!

 摩志常の重い左ボディーブローは、衝撃を逃げるどころか、しっかりと内蔵に衝撃が伝わっていく。摩志常は計算して左ボディーブロー打ち込んだのだ。

 摩志常は何を? 計算して左ボディーブローを打ち込んだのか? それは、カーライルの体内から空気が抜けたからだ。まず、息を吐くという行為は、緊張を緩めることになる。この状態なら腹部の筋肉に力が入っていないということになる。さらに、腹部に力を入れたとしても、完全な筋肉収縮ができない。筋肉に力を入れるときは、無意識に無呼吸状態になる。その無呼吸状態にするには、必ず無意識にでも呼吸をし酸素くうきを体内に取り込む必要がある。

 カーライルは息を吐くという行為を摩志常に見せてしまった。それは最大限に力を発揮できない状態ですよと、摩志常に教えていることを意味する。

 さらに、腹部に関し言えば空気を抜くというのは、腹部の防御力を著しく低下させた状態なのだ。腹部、正確には肺に空気が入ることにより、腹部の筋肉が膨張しそれが内蔵器官にダメージを与えづらくさせているのだ。

 カーライルは息を吐いた時点で、筋肉の緊張を緩めているうえに、腹部の防御でもっとも重要とする空気を抜いてしまっている。

 そんな絶好の機会を狡猾な摩志常が、見逃すことはしない。

 だからこそ! あのタイミングで、左ボディーブローを打ち込んだのだ。

 効果抜群だった。

 その衝撃は止めるために必要な全てが機能していない体内を駆け巡りながら、内蔵器官に直接ダメージを与えた。

 あまりにもダメージが大きかったのだろう。

 カーライルは前屈まえかがみの体勢になったときだった。口から大量の吐瀉物としゃぶつが滝のように流れ出したのだ。その姿を見た摩志常は、躊躇することなく次の攻撃に移る。

 前屈みになり体勢を崩しているカーライルの後頭部目掛けて、大きく振り上げた右拳でラビットパンチを叩き込む。

 吐瀉物の上にカーライル顔面が触れると。大きな衝撃音と土埃が舞い上がる。舞い上がった土埃が薄れていくと。そこには、地面に顔面がめり込んだカーライルの姿が表れた。

 摩志常は地面に顔面を埋もれ倒れ込んでいるカーライルの襟首を左手で鷲掴みにして持ち上げると。そのまま勢いよく、ポイとゴミを投げ捨てるようにカーライルを投げた。

 ドスッという鈍い音が闘技場内に響き、観客の耳にも届いただろう。

 カーライルの身体は、大の字になるように仰向けに倒れていた。

 圧倒的な力の差を見せつける。その摩志常の姿に、観客たちは固唾を飲んだ…………。

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