第13話 職場と人間関係③


 厨房へと到着した幹久だが、部屋の中の状態に面を喰らってしまった。

 たくさんの食材で、足の踏み場がないくらいに溢れ返っている。野菜、肉、魚に米。さすが旅館の食材、どれもこれも眩い輝きを放っており一目で新鮮なものだとわかる。その食材を、厨房担当の仲居達がテキパキと仕分けていた。



「お! なんだなんだ、男がいるじゃねーか!」



 厨房の勝手口からそんな声が聞こえてきたと思えば、なんとも逞しい筋肉を持った褐色肌の男が入ってきた。

 食材で溢れている厨房内を軽快な足取りで進み、男は幹久の前へとやってくる。

目の前まで来られると、より肌の黒さが際立って見えた。



「よぉ。お前、名前なんて言うんだ?」


「西園寺幹久……です」


「幹久か。で、幹久はなんでそんな格好してんだよ。まさかここで働いてるのか?」


「今日からここで働くことに――」


「竜一くーん、次の食材早く降ろしてー」


「あ、了解っす。幹久、話は後だ。先にこの荷物を片付けるぞ!」


「は、はい!」



 色黒男に促され、幹久は目の前に置かれている食材を片付け始めた。



「それはこっち、あれはここで……あっ! 幹久、それは最後でいい。先にこっちを頼む」


「ちょ、ちょっと待ってください! 指示が早すぎて、頭と体が追いつかない!」


「なにー? おいおい、男ならこれくらい出来て当たり前だろう」



 男だから出来るというのは大きな勘違いだと言ってやりたい幹久だったが、黒い筋肉を持つ男の指示に黙々と従い、食材を仕分けていった。



「あらぁ? あなた、たしか今朝女将さんの言ってた……」


「……西園寺幹久です」


「そうそう、記憶喪失の西園寺くんね。私はこの旅館の厨房を任せられている野々瀬優子(ののせ・ゆうこ)。よろしく」


「は、はい……。よろしく…‥お願いします」



 野々瀬優子と名乗った彼女は挨拶をすると同時に微笑むと、月陽とはまた違った大人の雰囲気を幹久に抱かせた。

 彼女の魅力はそれだけに留まらず、運び込まれる食材を一生懸命に仕分けている時の表情、その際に乱れてしまった髪をかき分ける仕草。チラリと見えたうなじ。紫色の割烹着姿が、幹久の心を掴んで離さなかった。


一目でわかる、この人は間違いなく仕事の出来る美人だと。



「おいおい、幹久。止まってないで手を動かせよ」



 声をかけられ、幹久はハッとなる。


 優子に向けていた目を食材に戻し、再び仕分け作業を始めた。

 作業に専念した甲斐あってか、食材の仕分けは三十分もしないうちに一段落が着く。幹久と色黒男の二人は厨房から旅館の勝手口へ移動すると、停められている軽トラックの荷台から最後の食材を降ろして一息ついた。



「ふーっ、こんなに食材を搬入するなんて久しぶりだぜ」


「竜一くん、いつもありがとう。幹久くんも、本当に助かったわ。やっぱり男の人が二人もいてくれると大助かりね」


「い、いえ。俺は別に大したこと――」


「これくらいなんてことありませんよ。優子さんの為なら例え火の中水の中!」



 引き締まった上腕二頭筋を強調させ、男はガッツポーズをこれみよがしに見せてきた。


「ふふふ、頼もしい。もう少しお話していたいんだけど、そろそろ仕込みを始めなきゃいけないの……何もお構いできなくてごめんなさいね」


「とんでもないっすよ。俺は仕事で食材を配達しに来ただけっスから」



 顔の色が黒くてよくわからなかったが、どうやら男は照れている様子だった。

勝手口から中へ入っていった優子の後ろ姿を、幹久は竜一という男と共に見送っていた。



「やっぱ美人だよな~、優子さん……。幹久、お前もそう思うだろ?」


「は、はぁ……まあ……そうですね……」


 色黒男のその意見に、幹久は戸惑いつつも賛同する。美人の基準は人それぞれだと思うが、野々瀬優子に限っては百人中百人が彼女を美人と言うだろう。


 幹久は、それくらい確信が持てた。


「幹久。お前が羨ましいぜ、あんなに美人で優しい女性と一緒に働けるなんて」


「……一応断っておきますけど、この旅館のみんながあの人のように優しいわけじゃないですよ」


「はは、そりゃそうだ。ところでお前、この村の生まれじゃないだろ? ここは小さい村だし、お前みたいな若い男がいりゃ俺じゃなくてもすぐわかる」



 幹久は自分が、この店で働くことになった経緯を簡単に話した。自分が記憶喪失であることも踏まえて話をすると、男は少し驚いた顔を見せる。



「なるほど~、そりゃ災難だったな。まぁ、俺に聞きたいことがあればなんでも言ってくれよ。あと、敬語は使わなくていい。男同士、仲良くやっていこうぜ」


「あ、あぁ。わかった、これからはそうさせてもらうよ。えっと……」


「まだ名乗ってなかったな。俺は那須竜一(なす・りゅういち)、歳は二十だ。家が卸売業を営んでいてな、二日に一回、こうして旅館に食材を届けに来るんだ。年上だからって気にすることはないぜ、気軽に竜一って呼んでくれや」



 那須竜一と名乗った男は爽やかな笑顔を見せ、気さくに握手を求めてきた。

幹久は「よろしく」と言って、竜一の手を握る。


 彼の掌が、思いのほか白かったことは心の奥に仕舞いこんだ。



「竜一、ひとつ聞きたいことがあるんだが……」

「お、なんだ。なんでも聞いてくれ、答えられることなら何でも答えてやるぜ?」



 竜一はキラリと光る白い歯と、ニヒルな表情を見せた。



「この旅館で働く、唯って背の高い女の従業員って知ってるか?」


「唯? あー、男を毛嫌いしてるアイツか」


「そう、その人なんだが……なんで男が嫌いなのか知ってるか?」


「うーん、そのことについて俺の口から言う話じゃない気もするんだが……実はあいつの兄貴――」



トゥルルルル トゥルルルル



 その音は、幹久の問いに対して竜一が答えている最中に鳴り出す。

 音の出処は竜一のポケットからだった。



「親父からだ……。幹久、ちょっと待っててくれ」



 相手は、どうやら竜一の父親らしい。話の内容までは聞き取れなかったが、竜一の言会話を聞く限りでは仕事のことだと予測できた。

そして話がついたのか、竜一は電話を切る。


「すまん幹久、親父がすぐ帰ってこいって。店に戻らねぇといけなくなった」


「あ、あぁ……わかった」


「俺の店はこの旅館を下に真っ直ぐ行った所にある。暇なときは顔出せよ、村の案内ぐらいはしてやっから」


「わかった、その時はよろしく頼む」



 軽トラックに乗り込んだ竜一は爽やかに笑い、顔面の色とは対照的な白い歯をキラリと輝かせ、行ってしまう。


 結局、唯のことは聞けずじまいになってしまった。



「兄貴が……か。アイツ、兄妹と何かあったのか?」



 中途半端に教えてもらった為、余計に気になってしまう幹久だった――。

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