第12話 職場と人間関係②
温泉旅館【湯ノ花】には十二室の客間が有り、それぞれの部屋には呼び名があった。睦月の間、如月の間といった一月から十二月までを、日本の旧暦の呼び方で称して分けているらしい。
現在空き部屋は、霜月の間と弥生の間。他の部屋はお客さんが寝泊まりしているようで、旅館としては意外と繁盛しているんだなと幹久は思った。
霜月の間へとやってくると、月陽は口を開く。
「掃除のやり方やけど、口で上手く言うの苦手やからウチの真似して覚えてな」
「おいおい、そんな大雑把な説明ありかよ」
「だって、ウチはウチ。幹久は幹久やん。みんなそれぞれの考え方があるように、掃除のやり方だって違うんやから。大事なのはやり方やない、在り方やっ!」
ビシッと人差し指を立てて、月陽は言った。
その言葉を聞いて幹久も、月陽の言い分にも一理あると納得させられてしまう。
ひとまず彼女に言われたように、幹久は見ることに専念した。
掃除を始めた月陽は、まるで別人のようだった。
箒の使い方、雑巾での拭き方。一つ一つの動きにムラがなく、とても洗練されている。手馴れた掃除の手際を見た幹久は、昨日配膳してくれた花梨のことを思い出していた。
月陽も花梨も、やはり長いこと旅館での仕事を通して覚えたのだろう。彼女たちにとってはそれが当たり前で、自分もこれくらいできなくては意味が無いのだと思い知らされた。
「月陽はすごいな。その姿を見てると、旅館の若女将だってことを思い出すぞ」
「なんやそれ、褒めてるん? まぁ、ウチも花梨も五歳の時からこの旅館で働いとったし、これくらいは出来て当然やねん」
「五歳!?」
まさかの年齢が飛び出してきたことに、幹久は耳を疑った。
「そない、驚くことなん?」
「いや、驚くだろそれは……。ところで月陽って、今何歳なんだ?」
「十七歳やけど、来月十八になるんよ。あ、ちなみに花梨は十六や」
「十七歳……」
自分と同い年、しかも五歳というのは幹久が剣道を始めた時期と被っている。
つまり月陽は、この旅館で十三年近く働いていた。
「さすがに、手馴れているわけだ」
「なんか言うたぁ~?」
「いや、なんでもない」
「ほな、幹久もこの雑巾使って掃除してな。やり方はウチの見て覚えたやろ?」
「まぁ、なんとなく……」
月陽の動作を見たままに実践するようにして、幹久も部屋の中を掃除し始めた。
そして霜月の間を綺麗にし終えた幹久と月陽の二人は、部屋の外へと出た。
「すんません、ちょっと聞きたいんですが?」
「は、はい? お、俺……ですか?」
背後から唐突に声をかけられた幹久は、後ろを振り返る。
そこには顎に無精髭を蓄え、メタボリックな体型が服の上からでもわかる中年の男と、その男の子供だと思われる小学生くらいの女の子が立っていた。
「そうそう、君。これから京都の中を観光するんだけど、バスに乗る為には何処へ行けばいいだろうか?」
「え、えっと……」
この土地の生まれでもない上、働き出して一時間も経っていない幹久がそんなこと分かる訳もなかった。
「下田様、おはようございます。バスなら、旅館を出て右手の道を真っ直ぐ行きますとバス停が見えます。観光用のバスも出てはりますし、乗車したお客さん用に向けてアナウンスもしてくれはりますから、安心しておくれやす」
すかさず幹久と下田と言う男との間に割って入ってきた月陽は、要望に応える臨機応変な対応を返した。
彼女の話のやりとりや、巧みなまでに相手の心情を掴み取った鮮やかな話術を目の当たりにした幹久は、呆気にとられて棒立ちしてしまう。
「ふむふむなるほど、いやー助かったよ。さすが、若女将さんだ」
「いえいえ、ウチはそれほどでも」
「ねーねー、ぱぱ。こっちのおにぃちゃんはー?」
「んー、そういえば君は新人かい?」
「あ、はい……。何も答えられなくてすみません……」
「ははは、何を謝ることがある。君も若女将さんに負けないように頑張るんだぞ」
「がんばるんだぞ、おにぃちゃん!」
「は、はい! がんばります!」
中年の男、下田とその子供の女の子に激励された幹久はぎこちない表情で会釈した。そして下田親子を月陽と並んで見送った。
「月陽って、やっぱ凄いな……。俺、なんにも答えられなかった」
「幹久は仕事始めたばっかりやん、これから一つ一つ覚えていけばえぇんやって」
「あぁ、俺もしっかり頑張らないとな……」
幹久は、さっき言われた下田親子のことを思い出して自分を鼓舞した。
「当たり前だけど、旅館の中を歩いているだけでもいろんなお客さんと会うんだなぁ」
「お客様と会った時はちゃんと挨拶はせんとあかんよ。明るく、元気良く、えぇか?」
「お、おう。明るく、元気良く……だな……」
弥生の間にたどり着き襖を開けると、塵一つ無い綺麗な部屋が広がっていた。
「月陽、本当にこの部屋なのか?」
「そのはずなんやけど、うーん……綺麗に掃除されてはるなぁ~」
隅々まで手の行き届いた清掃状況に、月陽も驚いていた。
「若女将、その部屋ならアタイが掃除しといたよ」
声をかけてきたのは長身の女、唯だった。
「あぁ、そうやったんか。ありがとうな、唯」
「もうすぐお昼になるし、午前中の仕事はパパッと終わらせようぜ。そこの男は放っておいてもいいだろ、どうせ使いモンにならないし」
「んなっ!」
「そうはいかんよ、幹久にもちゃんと仕事覚えてもらわんといかんし」
「無理無理、男なんかにこの旅館の仕事が務まっかよ」
好き勝手言うと、唯と呼ばれる女は挑発気味な笑みを浮かべ行ってしまった。
「何なんだよ、あいつ」
「ごめんなぁ、幹久。唯、男が嫌いで嫌いでしょうがない性格やから……」
「……そりゃまた一体なんで?」
「それは……まぁ、色々あったんよ……」
それ以上、月陽は何も語らなかった。
唯の過去に何があったのか気にはなったが、彼女が語りたがらない以上、幹久には無理に聞くことはできなかった。
「若女将、お客様が呼んでるので来ていただけますか」
「はーい。幹久、次の仕事は厨房や。先に行っといてくれるか?」
「お、おう。わかった」
呼びに来た仲居に連れられて、月陽は行ってしまった。独りその場に残された幹久だが「よっし、次は厨房だ!」っと頭を切り替え厨房へと向かうのだった。
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