第五幕
第五幕
千切った
「ごちそうさま」
今朝は昨夜とは違って、
「朝からお粥と言うのも、なかなか悪くないんじゃないかしら?」
もうもうと湯気が立ち上る店内は活気に溢れ、これから職場に向かう労働者達でもって賑わう食堂を出てからハオジアンの街の裏通りに一歩踏み出したところで、膨らんだ腹を擦りながらボニー・パーカーがそう言った。
「病人食同然の日本の粥とは違って、フォルモサやハオジアンの粥は美味いからな」
そう言ってボニーに同意した始末屋は人差し指の爪でもって歯と歯の間をせせり、そこに詰まった
「ところで始末屋、あなたも気付いてまして?」
「当然だ」
ボニーと始末屋はそう言って目配せし合うと、食堂から五十mばかり離れた古びたビルディングの外壁の陰へと意識を集中させる。
「あたくし達、昨夜から尾行されてましてよ?」
「ああ」
素っ気無くそう言ったそう言った始末屋の言葉通り、彼女ら三人と一頭は、昨夜から何者かによって尾行されていた。そしてその何者かが、彼女らが意識を集中させたビルディングの陰に身を潜めながら、こちらの様子を窺っているのである。
「しかし、プロの手口ではない。尾行している事が、こちらに筒抜けだ」
「ええ、そうね。経験が浅い素人の犯行か、もしくは敢えて尾行している事を知らしめて、こちらを警戒させるつもりなのかしら?」
そう言った始末屋とボニーは示し合わせ、
「貴様、誰だ?」
「初めまして、追跡者さん。あたくし達に何かご用なのかしら?」
待ち構えていた始末屋とボニーがそう言って問い質そうとすると、彼女らの眼の前に姿を現してしまった何者か、つまり度の強い眼鏡を掛けた細身の若い男はぎょっと驚く。どうやら彼は、自分の所在がとっくの昔に悟られてしまっているとは思ってもみなかったらしい。
「あ……」
すると尾行していた眼鏡の男は素早く踵を返すと、始末屋ら一行から距離を取るべく全速力でもって駆け出し、逃走を開始した。
「そう易々と逃がしません事よ! 行きなさいクライド! 行って生け捕りにしておやりなさい!」
ボニー・パーカーが命じれば、彼女が言うところのクライド、つまり犬とも狼とも虎とも熊とも違う正体不明の獣が眼鏡の男の後を追って駆け出す。しかもその獣の全身の骨と筋肉とが見る間に膨張し、最初は大型犬くらいの大きさだった肢体が象か恐竜かそれに類する何かかと見紛うほどの筋骨隆々とした巨体へと変貌すると、前を走る眼鏡の男にあっと言う間に追い付いた。そしてその口蓋に生えた鋭い牙でもって男が着ているワイシャツの襟首に噛み付いたかと思えば、そのままアスファルトで舗装された裏通りの路面に引き倒して自由を奪う。自由を奪われた眼鏡の男は観念したのか、路面にぐったりと横たわったまま抵抗しない。
「クライド、そこまで! それ以上傷付ける必要は無くってよ!」
再びボニーが命じると、正体不明の獣ことクライドはその動きを止め、眼鏡の男の自由を奪ったままその場で待機する。そして主人であるボニーも含めた三人がクライドに追い付き、彼が捉えた眼鏡の男の身柄を始末屋に引き渡せば、身の丈四mにも達しようかと言うクライドの巨体は再び大型犬サイズにまで収縮した。
「お手柄でしてよ、クライド」
ボニーがそう言いながらクライドの頭を撫でてやれば、撫でられたクライドは身を捩りながら歓喜の想いを全身で表現し、くうんくうんと嬉しそうな鳴き声を上げる。
「それで、その男の正体は何者でして?」
「それはこれから聞き出す。さあ貴様、貴様が一体どこの何者で、何の目的でもってあたし達を尾行していたのか白状しろ。白状しなければ、その身体を耳や鼻から始まって性器や手足に至るまで、少しずつ削ぎ落とす」
そう言った始末屋は、手にした手斧の鋭利な刃を眼鏡の男の右耳の根元にあてがい、その刃を柔らかな皮膚にじりじりと食い込ませた。食い込んだ手斧の刃が眼鏡の男の右耳をゆっくりと削ぎ落とし始め、その傷口から真っ赤な鮮血が滴り落ちる。
「ままま待ってください! 私はキミ達の敵ではないし、害を為す者でもありません!」
眼鏡の男は全身をがたがたと震わせ、恐怖と緊張により額をびっしょりと脂汗で濡らしつつそう言った。そこで始末屋は、左手でもって彼の襟首を鷲掴み、右手でもって彼の右耳を削ぎ落とそうとしながら重ねて問う。
「ならば、貴様の所属と姓名を今すぐ白状しろ。虚偽の答弁を行えば、この場で耳を削ぎ落とし、その次は鼻を削ぎ落とす」
「分かった、分かりました! ですからその斧をどけてください!」
「この手斧をどけてほしければ、貴様の素性を一刻も早く明かす事だな」
「私の名前は
「ああ、確かによく見れば、僕の主治医の
「おいおい、それはないよ、
そう言って溜息交じりに冷や汗を掻きながら、呆れ顔の
「とにかく、誤解が解けてくれて何よりだ。繰り返し説明させてもらいますが、私の名前は
解放された
「だとすれば尚更、その主治医の先生とやらがこんなハオジアンくんだりまで一体何の用だ。それも一人きりで、物陰からこそこそとこちらの様子を窺っているなど、怪しいにも程がある」
そう言った始末屋は再び手斧の切っ先を
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください! 確かにこそこそと身を隠しながらキミ達の動向を窺っていた件については謝りますが、それは私自身の身の安全が担保されていないから仕方が無かったんです! それと何度も言うように、私は決して、キミ達に害を為す者ではありません! 只ちょっと、キミ達に伝えたい事があってここまで来たんです! 頼むから信じてください!」
身振り手振りを交えながら必死で弁明する
「成程、ではその『伝えたい事』とやらを白状してもらおうか」
始末屋がそう言って更に問い質せば、
「それは……その……出来れば彼が居ない場所で、ゆっくりと話したいのですが……」
「それなら、この近くの茶館に行こう。ちょうどあたしも、食後の茶が飲みたかったところだ。ついて来い」
やはりぶっきらぼうな口調でもってそう言った始末屋に先導されながら、
「ここだ。入るぞ」
そう言った始末屋らが揃って足を踏み入れたのは、地元ハオジアン産のアンティークな椅子やテーブルが快適さを損なわない程度の間隔で並べられた、落ち着いた雰囲気の伝統的な茶館であった。
「店主、人数分の茶と茶菓子を持って来い。早くしろ。もたもたするな」
テーブル席に腰を下ろした始末屋の注文を伝票に書きつけた店主が厨房の奥に姿を消すと、彼女はさっそく詰問する。
「さあ、
「ああ……ええ……その……」
始末屋に詰問された
「ああ、そうだったな。それじゃあ
「クライド、そこの坊やと一緒に店の外で遊んで来てくれるかしら?」
そう言った始末屋とボニー・パーカーの命令に従い、首を縦に振った
「まず最初に、結論から言わせていただきます。
意を決した
「ほう、それは何故だ?」
「もし仮にあなた方が
「それは、妙な話だ。
「確かにその通りですし、それは
「と、言うと?」
「その理由を説明する前にお聞きしますが、あなた方は、
茶館のテーブルを挟んで座る
「
「成程、あなた方もそこまでご存じでしたか。しかしながら、先程私が会長の言葉には裏があると言った通り、それは表向きの話に過ぎません」
「勿体ぶるな。さっさと本題に入れ」
「ええ、それでは説明させていただきます。端的に言ってしまえば、
「それは、どう言う事だ?」
始末屋が追求すれば、
「事の発端は、
「まあ、そうだろうな。酒も煙草もやらないあたしとは正反対だ」
茶館の椅子に腰を下ろし、脚を組み直しながら始末屋はそう言った。
「糖尿病に通風、高血圧に高尿酸血症に肝硬変、それに心疾患に腎臓病に慢性的な肺炎と、枚挙に暇が無いほどの病に犯されたその身体は既にぼろぼろで、日々の投薬と人工透析と人工呼吸器によってかろうじて生き永らえているのが現状です」
そこまで言い終えたところで一旦言葉を切った
「ですから
「成程」
「ところが当時の技術では、特定の内臓だけをピンポイントに狙い撃ちで複製する事は不可能でした。ヒトの遺伝子のゲノム解析の分野が、未だその段階まで発達してはいなかったのです。そこで仕方無く、生化学研究所の当時の技術者達は、内臓毎に複製するのではなく人間を丸々一体複製する事にしました。要するに、いささかSF小説やSF映画の様な現実離れした話ではありますが、
「会長のクローンねえ……それはまた、確かに現実離れした話じゃないかしら?」
始末屋と一緒に話を聞いていたボニー・パーカーもまたそう言って、彼女の左隣に腰を下ろした
「ええ、確かにそう評されてしまっても仕方がありません。しかしながら、これは紛れもない事実です。そして会長のクローンは複製失敗や不慮の事故の可能性も考慮し、予備も含めて計五体が作られ、赤ん坊の状態で生まれた彼らはそれぞれ別の場所でもってその成長が見守られました」
「つまり、その内の一人が……」
「そうです、
「計五体のクローンが作られたと言う事は、
「四人全員、死にました。遺伝子の複製と培養技術が未熟だったせいで、満足に成長する事無く細胞が壊死し、どろどろに溶けた肉と血のジュースと成り果てたのです。ですから唯一生き延びた
「成程、あの
始末屋はそう言って、天を仰いだ。
「そうです。ですから
そう言った
「それで、
楽器ケースを背負ったボニーがそう問えば、
「そうですね、一言で言ってしまえば、良心の呵責でしょうか。私は
「成程、概ね状況は理解した。それで、貴様はこれからどうしたい? これからどう言った結果を望む?」
始末屋がそう言って、彼女の向かいの席に腰を下ろした
「私は私の患者であり、たとえクローンとは言え一人の生きた人間である
「そんな事をなされば、
今度はボニー・パーカーがそう問うと、
「ええ、確かにそうですね。
そう言った
「断る」
その無慈悲な一言に、期待を裏切られる格好となった
「断るとは……それはつまり、
「ああ、そう言う事だ。あいつはあたしの獲物であり、貴様には悪いが、一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのがあたしのモットーだ。例外はあり得ない。だからあたしはあいつをフォルモサまで連れて行き、依頼主である
始末屋はトレンチコートの懐から手斧を取り出し、その鋭利な切っ先を
「……
ゆっくりと振り返った始末屋が、やはり眉一つ動かさずにぶっきらぼうな口調でもってそう問うた。すると、たった今しがたくうんくうんと悲しげな唸り声を上げた正体不明の獣のクライドと共に柱の陰に立つ
「えっと、その、僕がお爺様のクローンだって言うあたりから……」
「ああ、そうか。つまりそれは、ほぼ全ての会話の内容を聞いてしまったと言う事に相違無いな?」
そう言って問い質した始末屋は茶館の椅子からおもむろに腰を上げ、柱の陰に身を隠していた
「悪いが、今ここで貴様を逃がす訳には行かない」
無慈悲にも始末屋はそう言うと、
「恨むなよ」
再びの無慈悲な一言と共に、始末屋は彼女の左手首と
「一体何をなさるおつもりなのかしら、始末屋? あなた、この男の話は聞いておりまして? でしたらそこの坊やを依頼主に引き渡したら彼がどうなるか、そのくらいの事は理解しておいででしょう?」
ここで意外にも、ショックで声を上げる事も出来ない
「見ての通りだ、ボニー。たとえ
「待ってください! そんな事をしたら、一人の人間として立派に生きている
「何度でも言うが、一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのがあたしのモットーだ。例外はあり得ない。だから
そう言った始末屋はトレンチコートの懐から一振りの手斧を取り出し、その鋭利な切っ先を、彼女に抗議するボニー・パーカーと
「……それがあなたのプロとしての矜持ですのね、始末屋?」
「そうだ」
始末屋がボニー・パーカーの問い掛けに即答すれば、ボニーは天を仰いで嘆息し、再び茶館の椅子に腰を下ろした。
「でしたら、もうこれ以上あたくしが言うべき事は無くってよ。何故ならこのあたくしも『
ボニー・パーカーがそう言って矛を収めたので、必然的に、始末屋の手斧の切っ先は
「貴様はどうだ、
「私は……」
手斧の切っ先を突き付けられながら始末屋に睨み据えられた
「良し、これでもう、あたしのやり方に口を挟む者は居ないな? だとしたら、そろそろ出発の時刻だ。もうすぐ、漁港から船が出る」
そう言った始末屋はトレンチコートの懐に手斧を納め、鋼鉄製の手錠でもって互いの手首同士を繋いだ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます