恋愛したい?(2)

 授業後のホームルームが終わり、教室は気怠い喧騒に包まれていた。クラスメイト達と談笑する者、そそくさと帰路につく者、連れ立って部活に行く者、様々である。

 そんな中、いつもであれば若葉と部活に向かうはずである轟日菜子は、「今日はちょっと用事があって、先に帰るね」と申し訳無さそうにしながら小走りで教室から出ていった。

 やはり若葉の目論見通り、今日の日菜子は何かがある。

「美奈氏、準備はいい?」

 若葉は鞄片手に準備満々といった風でわたしを見た。くたびれた鞄を肩に掛け、わたしたちは揃って教室を出る。

 ターゲットとの距離は大体三十メートルくらい。日菜子は玄関で茶色いローファーに履き替え、可愛らしい腕時計を気にしながら校舎を後にした。わたしと若葉は気付かれないよう、その背中を追いかける。

 高校前のバス停から駅前に向かうバスに乗り、日菜子は運良く後部座席に座っていた。わたしたちは少し遅れて乗り込んだため、車内は既に同じ制服を着た生徒たちで溢れかえっていた。

「ウッ……うおお……」

 背が低い若葉はもみくちゃにされながら、人の圧に耐えている。わたしも普段からこの路線は使っているが、こんなに多い時間帯は初めてだった。こんなにも、即家に帰りたい生徒たちがいるとは……。

 運転席の近くで身動きがとれないまま、遠くの日菜子を見ようと背伸びをする。しかしその動きも虚しく、見えたのはその他大勢の頭だった。

 終点の駅前に着くと、生徒たちは雪崩のようにバスから崩れ落ちた。わたしと若葉は急いで前方の出口から逃げ出し、近くの適当な物陰に身を潜める。ぎゅうぎゅう詰めにされたせいで、わたしの髪の毛はすっかり寝癖頭のようになっていた。若葉の髪の毛も、重力に逆らい変なところが跳ね上がっている。

 座っていた日菜子にはそんな様子もなく、優雅にバスから降り立ち駅前のロータリーを歩いていく。日菜子の軽い足取りのローファーが地面を小気味よく蹴った。いつもより短いスカートがふんわりと揺れ、耳元のリボンが風にのって靡いている。

 今にも鼻歌でも歌い出しそうな日菜子はそのまま駅の改札前に行き、空いていた柱に身を寄せた。鞄の中からピンク色のスマートフォンを取り出し、画面を反射させて前髪を弄る。少し不安そうな顔をした日菜子は、画面に向けて口角を上げた。しかし、恥ずかしくなってしまったのか、すぐに顔を下に向けてしまう。

「美奈氏、見た今の!?かっわ……日菜子氏かっわ……」

 わたしと若葉は、日菜子がいるところから少し離れた柱でその様子を伺っていた。確かに今の日菜子の仕草はめちゃくちゃかわいい。あれが恋する乙女の仕草なのか……と勝手に納得してしまう。

 日菜子が手に持っていたスマートフォンが振動したのか、日菜子がぱっと顔を上げて画面を確認する。その顔は破顔し、ふわふわの髪の毛を左右に振って来るべき人を探していた。

「日菜子、お待たせ」

 遠くからでもよく分かる、澄んだ落ち着いた声。若葉がはっと息を呑んだのが分かった。わたしも、日菜子のもとに現れた人物を凝視してしまう。

「蒼」

 日菜子が嬉しそうに名前を呼ぶ。そして、その胸に飛び込んだ。

「…………めっちゃイケメンなんだけど……」

 若葉のあんぐりと開いた口から声が漏れた。わたしも、若葉の意見に完全同意だ。

 艶々の光沢がある黒髪のショートカット。黒色のブレザーからすらりと伸びた両脚は、細いスラックスに包まれている。日菜子より頭一つ分出たその姿は、どこからどう見ても王子様というに相応しい。

「アレって東高の制服じゃん……しかもスラックス女子だよ。日菜子氏、東高のスラックスがカッコイイって言ってたのはこういうことだったのか……」

「えっ。あの子、女の子なの」

 若葉の言葉に反応してしまう。勝手に美男子だと思いこんでいたが、女の子だったのか。確かに、言われてみれば中性的な女の子に見えなくもない。

「東高は女子用のスラックス制服があって、男子用と色が若干違うんだよー。……って、日菜子氏が言ってた。で、あれは女子用スラックス」

「はー……そうなんだ……」

 蒼と呼ばれた女の子は、日菜子に抱きつかれたまま「相変わらず日菜子は甘えん坊だな〜」なんて言いながら優しくその頭を撫でている。

 唐突に見てはいけないものを見ているような気がして、目を背けて若葉を見る。若葉はそんなこと気にした風もなく、二人を食い入るようにして見つめていた。

「おっ、動くみたい」

 若葉の小さな唇が動いて視線を二人に戻すと、抱き着くのをやめた日菜子は彼女の腕に自身の身体を引き寄せた。幸せいっぱいという表情でその肩に顔を寄せ、二人は駅を後にしようとする。ここで尾行は終わるものだと思って若葉の様子を見ると、「まだまだ!」とニンマリ笑って歩みを進めた。

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