君を知りたい!(1)

 自席でひとつあくびをしていると、背後で教室の扉が開いた気配がした。振り向くと、こけしのように丸っこい頭をした女子生徒と目が合う。クラスメイト1はぱちぱちと数回瞬きをした後、なにか珍しいものでも見たかのように指を指した。

「あーっ、美奈氏!今日は朝早いね!?どうしたの!?」

 鞄を肩に掛けたまま、ふんふんと鼻息を荒くして近付いてきたのは汐見若葉。そろそろ来る頃かと思って準備しておいて良かった。小さく息を吸い込み、考えておいた台詞を口にする。

「おはよう若葉ちゃん。ホントにね、わたしがこんなに早起きするなんて、珍しいよ」

「ほんとにね、今日は雪でも降るのかな!?何かあったの!?」

「いや……ほんとにたまたまで。何もないよ。年に数回、こういう日があるんだよね〜」

 あはは、と苦笑しながらこれ以上の言及を拒絶する。

 何もなかったというのは嘘だ。昨晩、カナデと別れてからスマートフォンにメッセージが送られてきていた。「明日は一日、学校に行こうと思う」と書かれた言葉を見て、カナデが行くのならわたしも行かなきゃと意気込んだせいで、柄でもなく早起きをしてしまった。

 ただ、この説明を若葉にするととてつもなく面倒くさくなるであろうから、何もなかったことにする。

「あ〜、あるある。たまにめっちゃ朝早く起きちゃう日とかあるよねー。あ、日菜子氏だ!おっは〜」

 若葉が教室の後ろに向かってぶんぶんと勢いよく手を振る。わたしも首を後ろに向け、クラスメイト2を笑顔で迎え入れた。

「若葉ちゃんおはよう〜。あれ、美奈ちゃんもいる、おはよう〜」

 投げかけられたふわふわとした言葉に、軽く挨拶を返す。クラスメイト2の轟日菜子は教室の真ん中辺りに位置する自席に鞄を置き、わたしの机の前にやって来た。

 若葉と日菜子。この二人が、わたしが普段の学校生活を共にするクラスメイトだ。

 若葉の身体は、軽く手で押したらすっ転んでしまいそうなくらいに小さく心もとない。だけど声と態度は誰よりも大きく、コミュニケーション能力が三人の中でずば抜けて高い。文芸部に所属しており、小説や漫画を書くことが趣味らしい。

 対しての轟日菜子はふわふわとした髪の毛の二つに結った、いかにも女子という見た目をしている。ぽわぽわといつも穏やかな笑みを浮かべており、放送部に所属しているせいか砂糖菓子みたいな声をしている。

 クラス唯一のマイナー文化部の二人は仲間意識を持って自然と仲良くなり、そこに浮いていたわたしが加わった。後付けということもあり、わたしはどうも彼女たちと波長を合わせられている気がしない。二人と一人。現に、今もわたしは二人の話をただ聞いているだけだった。

「いいよね?美奈氏?」

「えっ?」

 突然若葉に話を振られ、意識が呼び戻される。視線を上げると、二人がわたしの表情を伺っていた。

「あ、もしかして今、美奈氏寝てたでしょ?まあ、早起きしたからしょうがないかー」

「若葉ちゃんが体操服を忘れたから、何処かのクラスに借りに行こうっていう話になって。まずはC組から行こうかっていう話になったの」

 日菜子が話を聞いていなかったわたしを気にすることもなく、にこやかに状況を説明をする。なるほど、そういうことか。しかしその状況で、わたしに「いいよね?」と聞くのはおかしくないか。それを判断するのは若葉でしょ……ということを、突っ込んではいけないのだろう。

「そういうことか、ごめんごめん半分寝てた〜……C組ね!若葉ちゃんの知り合いでもいるの?」

「うん!文芸部のヤツがいるんだ〜」

 わたしは椅子から立ち上がり、二人を見た。しょうがない、行くとするか。わたしが立ち上がったことを確認した若葉は満足そうにくるりと踵を翻し、教室の扉へと向かって歩き出す。その後ろを、日菜子とわたしが保護者のように付いていく。

 小さな背中を眺めながら、ふと思い出す。C組って、確かカナデがいるクラスでは……?カナデのことを思い出した瞬間、心臓が一度だけ大きく跳ね上がる。

 階段を上り、C組の前までたどり着くと、若葉は他のクラスだというのに物怖じせず、どんどんと侵入していく。わたしと日菜子は、少し恐縮しながらその背中を追いかけた。

 お目当ての生徒まで辿り着いたらしい若葉は、ばっと両手を広げてその背中に勢いよく抱きついた。小柄な女子生徒の身体はその反動で、バランスを崩し前のめりになる。

「柊氏〜!おはよう!体操服貸して!」

「ちょっ、教室でその名前は呼ばないで!ていうか抱きつくな!体操服は貸すけど!」

 柊、と呼ばれた眼鏡の女子生徒は勢いよく若葉の口を塞ぎ、慌てて周囲を確認する。周りで特段気に留めた生徒は居なかったようで、柊は息を吐き出した。

「柊、はペンネームだから!部活以外禁止で!」

「えっ、でも柊氏本名何だっけ?」

 体操服を片手に小声でやり取りをする二人を横目に、教室の様子を確認する。ふと、視界の隅に彼女を見つけた。窓際の席で、机に突っ伏したまま寝込んでいる。耳にはBluetoothイヤホンが突っ込まれており、こちらに気付く様子はない。

 カナデ、と呼びに行ったら困るだろうか。

 若葉と柊はいつの間にか昨晩放映されたアニメの話できゃいきゃい盛り上がっており、その横で日菜子が聖母のようにその様子を眺めていた。自分の立ち位置を見失ってしまったわたしは、居心地が悪く視線を教室中に彷徨わせる。その視線が、いつの間にか起きあがっていたカナデと交わった。

 カナデはふ、と微笑み、机に立てた右手をひらひらとさせた。気付いてもらったことが嬉しくて、わたしも小さく手を振り返す。そんなことをしていると、突然背中に衝撃が走った。重みを感じたのがあまりにも唐突で、つい喉から変な音が出る。

「美奈氏、日菜子氏!ヤバい!そろそろチャイムが鳴るし撤退するぞ〜!柊氏も体操服ありがとね!後で返すから〜」

 両腕でわたしと日菜子に覆いかぶさるよう抱きついていた若葉は、ぽいっと身体を離しそそくさとその場を去る。解放されたわたしと日菜子は咳き込みながら、顔を見合わせた。日菜子は困ったように笑い、その優しげな目を細めた。

「美奈ちゃん、わたしたちも行こうか」

「あ、うん」

 C組を去る前にもう一度カナデの姿を見ると、一部始終を見ていたようで同情しているのか、何とも言えない表情で再度片手をひらひらさせた。わたしも困った顔をしてカナデに手を振る。

 C組の敷地から出たところで、若葉が遅いぞ〜と言って仁王立ちをしていた。ごめんごめんと謝罪をすると、横で日菜子が唐突に口を開いた。彼女が首を傾げた拍子に、ふわふわな髪の毛が重力に靡く。

「美奈ちゃん、松波奏さんと友達なの?」

 聞き覚えのある名前に身体が反応する。どうして日菜子が、カナデの名前を?

「あー、松波奏ね!私も知ってるよー」

 歩みを進めた若葉が振り向いて言う。若葉までカナデを知っているのか。まさか、カナデは有名人だったのか?

「めちゃめちゃ頭が良いって噂だよねー。こないだの中間テストも一位だったんでしょ?入試のときもぶっちぎりで合格したらしいし〜。すごいサボり魔だけど、成績良いから先生も何も言えないんだってね〜」

「あと、楽器がすっごく上手いって聞いたよ。吹奏楽部の部長が入部を直談判しに来たけど一蹴で断ったとか……クールで格好いいよねえ」

 目の前で展開する話に頭が付いていかない。学年一位?入試ぶっちぎり?それに、吹部の部長の直談判?まったくもって知らなかった。そんな噂をカナデとクラスが違う二人が知っているとなると、カナデはかなりの有名人なのだろう。

 自分の、周囲の人間への興味のなさに愕然とする。自分は、ついこないだまでカナデの存在を知らなかったというのに。

「で、そんな子と美奈氏は友達になってたわけだ!おいおい、いつの間にそんなことになってたの?」

 若葉が興味津々といった感じでこちらに詰め寄る。日菜子も少しばかりテンションが上がっているように見えるのは気のせいだろうか。

「松波さん、すごいかっこいいよね……あのすらりとした姿も、顔も、ほんとにかっこいい……」

 日菜子がうっとりとしながら視線を宙に向ける。頬が微かに染まっているような気がするのは、気のせいだと信じたい。

「日菜子氏はイケメン女子好きだからねー」

 そんな日菜子を見て、若葉が呆れたように声を上げる。日菜子のイケメン女子好きも初耳だった。どこかで知る機会があったのかもしれないけれど、きっとその時もわたしは上の空だったのだろう。

「だってかっこいいんだもの!でも美奈ちゃん、わたしには本命がいるから大丈夫。松波さんは見る専だから」

 周りに華が咲きそうな、可愛らしい笑顔を浮かべて日菜子が言う。見る専?本命?日菜子の言葉を理解しようと頭をフル回転させていると、頭上で始業のチャイムが鳴った。

 やべっ、と言いながら若葉が廊下を駆け抜ける。日菜子は微笑んだまま、くるりと背中を向けて優雅に若葉を追っていく。わたしだけがその場に取り残され、少し遅れて二人の背中を追いかけた。

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