君を知りたい!(2)
昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り、溜息と共に世界史の教科書を閉じる。教師が日直に号令の指示を出し、教室の緊張感が解けた。わいわいと声を上げているクラスの連中を気怠げに眺めていると、いつも通り、若葉と日菜子がわたしの机までやって来た。
コンビニの袋を手に下げた若葉が、着くなりこてんと首を傾げる。まんまるな瞳が揺れて、それはなんとも可愛らしい仕草だった。
「そういえば、美奈氏は松波奏のところに行かなくていいの?」
「えっ?」
唐突に出たその名前に心臓が跳ねる。そんなわたしに気付かないまま、若葉と日菜子が不思議そうに顔を見合わせた。
「確かに、松波さんって誰かと一緒にいるイメージないから、美奈ちゃんが行ってあげたら喜ぶかもね」
「そうだよねー、松波奏が人とつるんでるとこ見たことないよね。そんな奴と美奈氏は友達になったんだから……これを機に私も仲良くなって、テストのヤマとか教えて貰いたい!」
頭を抱える若葉を見て日菜子が苦笑する。二人はわたしの机の周りにある空いた椅子を適当に引き寄せ、腰かけた。日菜子がふんわりと笑い、わたしを見る。茶色い優しげな瞳とぱちりと目が合った。
「わたしたちは大丈夫だから、松波さんのところに行っておいでよ」
「そうだそうだ!美奈氏の机はちゃんと私達が見ておいてあげるからさ〜」
ええ……と苦笑しながら、ブレザーからスマートフォンを取り出した。画面をつけて、メッセージアプリを起動する。一番上には、カナデとのトークルームが表示されていた。
「そんなこと言われても……」
画面を見つめたまま、わたしは眉をひそめる。今日は一日学校にいると言っていたから、おそらくカナデは学校のどこかにいるはずだ。でも、カナデはもしかしたら一人で過ごすのが好きかもしれないし。のこのこと現れていいものなのだろうか。邪魔じゃない?
頭の中で悶々と考えていると、スマートフォンを握っていたままの右手がそっと包まれる。顔を上げると、日菜子が両手でわたしの手を握っていた。
「美奈ちゃん、がんばって」
真っ直ぐにわたしを見つめている日菜子の瞳。これじゃあまるで、恋を応援されているみたいだ。そんなんじゃないんだけどな、と思ってわたしは苦笑いする。
あまりにもお節介なクラスメイト二人にやられてしまい、わたしは弁当を持って教室を後にした。そんなことを言われても、カナデが一人で居たいと思っていたらどうするのさ。
「……はぁ〜っ……」
廊下で一人、大きくため息をつく。気乗りしない両足を動かし、とりあえずC組の教室に向かうと、やはりそこにカナデは居なかった。カナデのことだから、たぶん人気の無い、静かで一人になれる場所に居るだろう。
スマートフォンのアプリでどこにいる?と聞いても良かった。でも、そんなことをしたらわたしがカナデに会いたくて仕方がないみたいじゃないか。いや、会いたくないわけじゃないんだけども。
わたしは、どこまでカナデに近付いていいのだろう。どこまでの範囲なら、カナデに迷惑がられない?ただでさえ、色々として貰っているのに。どこまでの距離なら、カナデに嫌われないんだろう。
学校内で人気の無い場所の候補はいくつかあった。特別棟の階段、体育館裏、部室棟、そして駐輪場。どれも、あの二人と仲良くなる前にわたしが見付けたスポットだった。今では大抵の時間あの二人と居るものだから、来る機会はすっかり無くなってしまったけれど。
駐輪場とグラウンドを繋ぐ小さな階段に、見慣れた横顔が見えた。急に自分の心臓の音を意識する。
居た。
カナデは階段に腰掛け、誰も居ないグラウンドをぼんやりと見つめながら菓子パンを頬張っていた。話しかけてもいいのだろうか。
少しずつ近付いて、息を吸い込む。
「カナデ」
あまりにも気弱な声が出てしまい、驚いてしまう。もっと普通に呼べばよかった、何だ今の言い方は。
「あれ、ミナじゃん。どうしたの、こんなところで」
カナデは気にした風もなく、わたしを見た。湿気を帯びた潮風が、カナデの黒黒としたショートカットを揺らしている。
「……カナデが、どこに居るかなって探してたの」
カナデに見つめられるのが恥ずかしく、つい視線を外してしまう。弁当を持っていた右手に力が入った。どうか迷惑がらないでくれと懇願しつつその顔を見ると、力が抜けたような顔をしてカナデは笑っていた。
「そんなことしてくれるの、ミナが初めてだよ」
カナデは横に人一人ぶんのスペースを作り、わたしはそこに腰掛けた。この際、階段の汚れなんてどうでも良い。体育座りのような格好をしながら、わたしは持って来た弁当を開ける。
「朝一緒に居た子達と食べなくていいの?」
「うーん、あの子たちが行ってこいって……」
そう言ってから、はっと我に返る。今の言い方では、わたしが言われてここに来たみたいじゃないか。いや、実際そうなんだけど。でも。
「で、でもわたしもカナデとご飯食べたいな〜って思ってたから……!」
言った瞬間、頬が一気に熱を持つ。なんか恥ずかしいことを言ってしまったぞと思い、持って来た水筒をがぶ飲みする。
カナデは笑いながら、菓子パンを頬張った。コンビニでよく売っているぶどうパン、好きなのだろうか。咀嚼を終えた後、カナデは穏やかな声で言った。
「いい友達なんだね」
その言葉が、ことんと音をたてて胸の中に落っこちた。友達。わたしとあの二人は、友達?
「えっ、なにその顔……。もしかしてミナ、あの二人のこと友達だと思ってなかったの?」
口に入れようとしていた菓子パンの動きを止め、カナデは驚いたような顔をしてわたしを見た。信じられない、と言いたげな顔をしている。核心を突かれてしまったわたしは、つい視線を彷徨わせてしまう。
「いや、そういうわけじゃ……わたし、あの二人のこと全然知らないから、友達名乗るなんておこがましいというか、なんというか……」
「そんなことないでしょ。ミナは十分、あの子たちの友達になれてるでしょ。全然知らないと思うならさ、これから知っていけばいいんじゃない」
かぷり。カナデの唇から覗く白い歯が、無造作にパンを噛み千切る。わたしは箸を持ったまま、その仕草を眺めていた。
そうか、わたしたちは友達に見えているのか。目を閉じて二人の姿を思い浮かべる。若葉。そういえばカナデと仲良くなりたいんだっけ、動機は不純だけど……案外カナデと相性が良さそうだ。若葉なら、きっとすぐ仲良くなれるだろう。日菜子。朝言っていた、本命がいるって何だったんだろう。いつも若葉の保護者みたいな立ち位置だから、日菜子の話ってあんまり聞いたことないな……聞いたら教えてくれるのだろうか。
涼しい風が、わたしの頬を撫でている。そうか、わたしとあの二人は、友達だったんだ。
「その調子だと、ミナは私のことも友達だと思ってなさそうだね」
「うえっ」
横から茶化すような声が聞こえ、素っ頓狂な声を上げてしまう。すっかりパンを食べ切ってしまったらしいカナデはにやにやと笑い、わたしの様子を伺っている。なんて酷い趣味をしているんだと思い、口角がひきつる。
「私は、ミナのこと友達だと思っているよ」
唐突に投げられたその言葉は、あまりにも簡単にわたしの中に落ちていった。カナデは、友達。
「だからさ、ミナも私のことを友達だと思ってくれると嬉しいな。友達なんだから、変に気を使わなくていいんだよ」
気の抜けたような、優しい笑顔。そうか、わたしはこの顔にやられてしまうのか。脳が蕩け、身体が幸福に包まれる。わたしはカナデの友達なんだ。
わたしは、どこまでカナデに近付いていい?
詰まった胸に息を吸い込み、声を上げようとすると丁度良く予鈴のチャイムが鳴ってしまった。喉元まで出かかっていた言葉を引っ込める。
「あ、予鈴だ。ミナ、お弁当全然食べられてないじゃん……探させちゃってごめんね。晴れてる日は大抵ここに居るから、また気が向いたらおいでよ」
半分も口を付けていない弁当の蓋を閉める。胃の空腹感は残っていたけれど、不思議と不快な気持ちは無かった。授業の間の休みに食べるから大丈夫と言って立ち上がると、カナデも続けて立ち上がる。わたしたちは自然と並んで、教室までの歩みを進めていた。
「今日の放課後、また海辺で吹こうかと思ってるんだけどミナも来る?」
「えっ、いいの?楽器持ってきてるし、行っていいなら行こうかな」
「来ていいに決まってるでしょ。じゃあ今日はドからミまで吹けるように教えようかな。これが吹けたら、チャルメラが出来るよ」
唐突にメロディを口ずさむカナデに、つい笑ってしまう。カナデもつられて笑い出し、わたしたちは二人バカみたいなことで笑っていた。
楽しいと思った。カナデといると、楽しい。これが友達。
灰色の日常が、カナデに出会ってから色付いた。まさかこんなことになるなんて、思いもしなかった。
ブレザーの中のスマートフォンが振動する。画面を見ると、「授業始まるぞ〜!!」という若葉からのメッセージ。続けて、可愛らしいキャラクターが焦るような仕草をしているスタンプが日菜子から送られてきた。
時間は授業開始2分前だった。教室が上の階にあるカナデは、じゃあまた放課後ね!と言って階段を駆け上がっていく。わたしも、また後でねと手を振り返し、自分の歩みを進めていった。
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