8.

「待ってたぞ……」

 どうして。どうして、会社で残業中のとーさんがこんなところに……。

「それは……自分で、考えるんだな……」

 僕の思考を読んだかのように、とーさんが言った。冷たく突き放すような声だった。

「ああ、これで、いい……。因果応報だ……。俺は、ずっと、この時を待ちわびていた……」

 とーさんが。とーさんと同じ顔をした『何か』が、震える声で言う。

 これは火星人の精神汚染攻撃か……? 早く、アルミホイルの帽子を被らないと……。

 僕の目の前で大の字になった『何か』が激しく咳き込み、血を吐いた。この様子だと、もう長くは持たないだろう。

「ああ……」と、僕は声を漏らす。

 やっと理解できた。

 父さんは、とっくの前に、異星からの侵略者に体を乗っ取られていたんだ。だから、会社にも行かず、家にも帰らず、こんなダンボールハウスに住み着くようになった。

 異星からの侵略者インベーダーは、好んでホームレスの体を乗っ取る。昔ならいざしれず、現代においてホームレスは路傍の石ころと同じだ。誰もその存在を気に留めない。あるいは、努めて見なかったことにする。彼らは言うなれば透明人間だ。社会から顧みられない色も臭いもない空気のような存在。侵略者が身を隠すのに、擬態するのにうってつけだった。

 ところで、火星人達の精神は無意識下で繋がっている。火星人達は思考や行動を同期・共有して、侵略活動の効率化と最適化を図る。

 それが、何を意味するかといえば。

 偶然、ホームレス以外の体を乗っ取った火星人も、やがてホームレスの真似事を始めるのだ。

 馬鹿だなぁ。じーちゃんの話を信じて、アルミホイルの帽子をかぶれば、こんなことにならなかったのに。じーちゃんの蔵書を「オカルト」呼ばわりして、勝手に処分したのもよくなかったのかもしれない。確かに因果応報、自業自得だ。

「殺せ」

 とーさんの体を乗っ取った火星人が、夜の闇よりも暗い瞳で僕を見つめる。

 ソレは宇宙に繋がった穴のように見えた。実体を獲得した火星人達が存在する、未来の宇宙。物理法則を捻じ曲げて時間と空間に穿たれた穴。底知れない闇をたたえた、とても小さくて、途方もなく大きな穴。まるで、地獄にでも繋がってるかのような穴——。

 僕はその穴を覗くうちに、その穴から覗き返されるうちに、大切なことを思い出した。

 そうだ。

 そうだったんだ。

 

 僕はその光景をはっきりとこの目で見ていた。

 家族で仮泊室に泊まった日の夜。人工呼吸器のマスクを外すとーさんの姿を。

 あの病院に火星人はやってこなかった。じーちゃんを殺したのは地球人で、そいつはじーちゃんの子供、僕のとーさんだった。

 僕はとーさんがじーちゃんを殺すところを目撃した。けれど、幼かった僕の精神は目の前の出来事に耐えられなかった。だから、忘れた。記憶に蓋をして、全て火星人のせいにした。

 防衛機制。

 じーちゃんの本に書いてあった言葉が、頭に浮かんで、消えた。

「早く、殺せ。爺さんから……親父から、受け継いだんだろ……」

 目の前で、とーさんの体を乗っ取った火星人が死にかけている。

「俺は、疲れた……。俺は、もう、もらう……。さぁ、早く、殺せ……。さっさと、解放しろ……」

 これは僕への罰なのだろうか。じーちゃんの死の真相から目を逸らし続けた僕への罰。

「殺、せ」

 金属バットを握る手に力が入る。

「こ、ろ、せ……」

 呪いの言葉が紡がれていく。早く、アルミホイルで脳を保護しなくちゃ。僕まで火星人に侵略されてしまう。でも、アルミホイルの帽子はトウタの家に置いてきた。僕を守護ってくれるお守りはここにはない。

「こぉ、ろぉ、せぇぇぇ……」

 呪詛が僕の精神を汚染する。気が付くと震えが止まらなくなっていた。全身が凍えるように寒い。そろそろ七月なのに真冬のようだ。それなのに、バットを握る手はグッショリと汗で濡れている。


『火星人は存在しません』


『全て狂人の妄想です』


『この世界に隠された秘密などありません』


『それは、陰謀論と呼ばれるものです』


 不意に、ネットで見た記事を思い出した。

 もし火星人の存在が妄想だったら、『隠された世界の秘密』が陰謀論だったら、今まで僕達がしてきたことは何だったんだ。じーちゃんが僕に教えてくれたことは、目の前で死にかけているコイツは何なんだ……!

『同志』であるトウタとユキツグは、姿を見せない『協力者』達の存在は、都合よく壊された駅前の監視カメラはどう説明するんだよ!!

「こ」

 とーさんとも火星人ともつかない曖昧な『何か』は、最期に短い言葉を吐くと、ピクリとも動かなくなった。

 僕は無言のまま、それを見下ろす。

 バットで突いても反応がない。死んだ猫のようにグニャグニャしてる。

「エイジ、その人って……」

 いつの間にかユキツグが隣に立っていた。顔が紙のように白い。まるで生気を感じられない。

「おい、マジかよ……」

 やっぱりいつの間にか隣に立っていたトウタが、やっぱり紙のように白い顔で言った。

 こいつらは本当に生きているのだろうか。そんな疑問が脳裏を掠める。

 冷たい風が吹き抜け、僕の体温を奪っていく。

 遠くから、猫の鳴く声が聞こえる。

 また風が吹き、壊れたダンボールハウスを何処かへと運んでいく。あれは多分——いや、きっと地獄へと運ばれていくんだ。

「とーさんは手遅れだった」

 僕は小声で言った。

 トウタとユキツグが無言で僕の方に顔を向けた。

 照明灯の薄明りに照らされた二人の顔が、ピンボケした写真のようになっている。目も鼻も口も、顔のパーツが全て潰れていて、これじゃどんな表情を浮かべているのか分からない。そもそも、二人がどんな顔をしていたのか、僕は思い出せなくなっていた。

 トウタとユキツグは、生きたまま幽霊になってしまった。

 存在するのか、しないのか。

 生きてるのか、死んでるのか。

 火星人なのか、地球人なのか。

 全てが判然としない、曖昧な『何か』になってしまった。

 それは、あのダンボールハウスの住人や、病院で機械に繋がれたじーちゃんと同じ、世界に落ちた黒い影。人の形をした真っ暗な闇――。


 とーさんはアルミホイルの帽子をかぶらなかったせいで火星人に体を乗っ取られた。

 家族の中にもう一人、じーちゃんの話を信じなかった人がいる。そう、かーさんだ。

 僕は影になってしまったトウタとユキツグを河川敷に残して、自転車を走らせる。

 もう、手遅れかもしれない。かーさんは火星人と既に入れ換わっているかもしれない。

 もし、そうなっていたら僕が『処理』しないといけない。それが僕の役目だから。それがじーちゃんとの約束だから。火星人は皆殺しだ。こんなところで立ち止まっている暇はない。

 足が痛くなるほどの勢いでべダルを漕ぐ。明日はきっと筋肉痛だ。真っ青な月明かりが僕を照らす。粘り気を持った闇が体中にまとわりつく。どこかでギロチンの刃の揺れる音が聞こえた。視界の端で赤い光がチカチカと点滅する。あれは、ライターの……。


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!

 火星人を殺せ!!

 頭の中に声が響く。

 じーちゃんの仇は火星人じゃなくて僕のとーさんだったけど、もうそんなことはどうでもいい。


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!

 火星人を殺し尽くせ!!

 頭の中に声が響き続ける。これは僕にしか聞こえない、僕だけの声だった。


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!

 火星人を根絶やしにしろ!! いつか、『約束の場所』に辿り着くために!!

 そこでは、きっと、じーちゃんがあの頃の姿のままで僕のことを待ってくれている。


 じーちゃん。

 また縁側で、面白い話を聞かせてよ。沢山、沢山、聞かせてよ。

 僕は他の人達とは違う。じーちゃんの話を「オカルト」や「陰謀論」呼ばわりして、馬鹿にしたりしないからさ。


 僕は自転車のペダルを漕ぐ。力いっぱい漕ぐ。

 家までの道のりが未来の火星よりも遠く感じる。


 ニャオーン。

 何処からともなく、猫の鳴き声が聞こえた。聞き憶えのある鳴き声だった。


 ニャオーン。

 じーちゃんが飼っていた猫の鳴き声だった。子供に殺されたあの黒猫の鳴き声だった。


 ニャオーン。

 どうして、こんなところに居るんだ? ちゃんと埋葬した筈なのに。

 

 ニャオーン。

 じーちゃんの家が取り壊される時に、猫のお墓も掘り返された。そのことを恨んで化けて出てきたのだろうか。


 可哀想に。でも、それは僕のせいじゃないよ。

 僕がキミにしたのは……。

 何か、大切なことを思い出しかけたその時だった。

 けたたましく鳴り響くクラクションの音が耳を打った。

 強い光を全身に浴びる。視界が一瞬で白に染まる。

 僕の影が世界に灼き付けられる。

 ニャオーン。猫の鳴き声。そして、鈍い光を放つギロチンの刃。


 ああ。


 じーちゃん。

 僕は、もう、縁側に行けそうにないよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アタック・ザ・マーシアンズ 砂山鉄史 @sygntu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ