56 陽炎
自分を先頭にして、大森林を駆け抜ける。
大将たる煌宮蒼一のもとへ、最短ルートで辿り着く。
自分一人ならば、もっと早く辿り着けたのだが。後ろの男に合わせると遅くなってしまった。
それでも、辿り着いたのには変わらない。
魔導書を片手に、待っていたかのようにじっと佇んでいる煌宮蒼一。
こちらを見てなにを思うているのか。
絶望し思いつめ、この世を絶とうとかと何度目かの足踏みをしていたときに、出会った少年。
蒼き叡智を手にした落ちこぼれ。
ダーヴィットが今もっとも憎んでいるその顔を、初めから自分は知っていた。
だからだろうか。
会話を重ねる内に、ついポロっと漏らしてしまった。
語ってはならないはずの秘密。一つ漏らしたら後は堰を切ったように、自分の身の上を全て語ってしまったのだ。
まるで彼ならば、この身を救ってくれるのではないかという、自分勝手な願望を持ってしまったのかもしれない。
ダーヴィットがあれほど欲していた魔導書に、自分が救われる方法が記されているのではないか。
たった三度顔を合わせただけの相手に見た、そんな白昼夢。
夢は夢でしかない。
なのに、それは正夢にならんとした。
ダーヴィットに連れられ、四度目の顔合わせで、彼は自分の身を要求したのだ。
初めはとんでもないことを口にし、彼を軽蔑したが、それは全て自分のため。ダーヴィットから自分を守るため、悪役の道化を演じたのだ。
彼はその後、出場するまでひと悶着はあったようだが……いざ台覧戦が始まれば、破竹の勢いで勝ち上がってきた。
ダーヴィットになど手は負えない。
力を全力で振るっても、そこに勝てる未来は浮かばない。
自分の夢が、わかりやすい形を成していくのを視続けた。
そして今日。
ついに自分の夢が形と成す日がきた。
ダーヴィットが敗北に膝を屈する日だ。
なのに、当の本人はなぜか不敵な笑いを浮かべている。
絶対に勝てない。
そうわかっているはずなのに、なぜかダーヴィットには自信が満ち溢れていた。
作戦は伝えられた。
自分が時間を稼ぐから、煌宮蒼一の首をおまえらで取ってこい、と。
煌宮蒼一が今日まで勝ち上がってきた、その戦術をそのままに行うのだと。
気でも狂ったのだろうか。ダーヴィットにはそんな真似ができる力なんてないというのに。
そのはずだった。
いざ試合が始まれば、念話が途切れることなく、煌宮蒼一がいる距離と方角が届き続ける。
適当に言っているのではないのはわかった。
事実、こうして彼の元へと辿り着いてしまったのだ。
本当であれば、とっくにユーリアによって潰れているはずのダーヴィットは健在だ。
なにが起きているのかもわからない。
わかっているのは、誓約による最大限の自助努力を持って、この戦斧を彼に振り下ろさなければならないということ。
どうかそんな自分を止めて欲しいと、心の中で彼に願い乞う。
勇み足に突っ込んだ、幼き頃からダーヴィットに付き従ってきた腰巾着。
落ちこぼれだったとはいえ、蒼き叡智を手にした男に、なぜそこまで無警戒に突っ込めるのか。
自分は足を止め、その動向を伺った。
たん、たん、たん。
と、追い風を起こし勢いを付けた腰巾着が、たった三歩で蒼一の懐に辿り着く。
レイピアが、その胸に向かって突き刺さる。
目を覆いたくなるような、そんな光景が目の前に広がった。
「……ぁ」
絶命の音がした。
倒れ込む身体。そして頭。
二つに分かれたそれらは、意思なき人形の形を取り戻す。
ダーヴィット・ラクストレームチームが、残り二人となったのだ。
なにが、起きたのか。
まるで煌宮蒼一という蜃気楼を、通り抜けたようにも見えた。まるで斬首台に飛び込んだかのように、通り過ぎた首が落とされたのだ。
それが放り出されたのは、そんな目の前の事態に慄きすら覚える前だった。
蒼き叡智。その魔導書が放物線を描くように、自分に向かって投げ出されたのだ。
受け取るべきか、払うべきか。
そんな考えすら起こる前。
魔導書に目を奪われた一瞬の間に、煌宮蒼一の姿は消えさっていた。
――まるで夏の熱さが生んだ、陽炎だったかのよう。
あ、と声を出す暇もなく、自分は空を見上げていた。
足払いをされたと知ったのは、試合が終わってからのことだ。
なにせ痛みもなく、それこそポン、と空へと投げ出されたかのような心地だった。
だからといって空へと落ちていくわけもなく、重力に引かれるがまま倒れ込まんとした。
だが、そうなることはなかった。
自分を支えんとする手が取られたからだ。
「おっと、お手を失礼お嬢さん」
強引ではなく、そっとその胸に引き寄せられた。
それこそ紳士がエスコートでもされたかのようだ。
一体なにが起きているのか。
「残り少ない時間ではありますが、よければ俺と踊りませんか?」
そんなことを思う間もなく、
「どろん、ってな」
遊び人のようにニカっと笑う、煌宮蒼一を捨てたその顔を笑ってしまった。
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