45 水ニー

 誰が永遠の生娘だ。


 女だからと見下してきた兄弟にも、これほどの暴言を吐かれたことはない。


 そういう意味ではこの男ほど、私の心をかき乱す人間はいないだろう。


 なんとかしてこの男に一矢報いたい。悲哀の底へと叩き落としてやりたい。


「勝手に生娘扱いしないで。そこまで綺麗な生き方なんてしてないわ」


 この男は私のことが大好きなのだ。だったらそんな私が手付きで汚れていると聞かされば、その心はどん底へと叩き落とせるだろう。


 渡辺は足元から崩れ落ちる。膝立ちで呆然とする様は、実にいい気味だ。気分がよくて笑えてくる。


「名台詞きたぁあ!」


 なのに、次の瞬間喜びの雄叫びを上げた。


 名台詞?


 一体なんのことかと思ったが、渡辺は私の知らない私すら知る男。とっさに出たこの言葉は、渡辺にとって既知のものだったのかもしれない。


「今の台詞は、満を持して追加されたユーリアたんルートで放たれる名台詞だ。ユーリアたんが蒼一を『あれくらいで顔を赤くするなんて、初心で純朴な男ね。知っているかしら? 赤子は唇を合わせるだけでは生まれてこないのよ。折角の機会だし、どうやって生まれるか一から教えてあげましょうか?』とからかうシーンがある」


 誰に語っているのか、渡辺は早口でペラペラペラペラと語り始めた。


 また始まったとばかりの鈴木と田中。興味なさそうにしているが、私の心は穏やかではない。


 ペラペラと語られるその話。煌宮蒼一相手にどんな状況だったかは知らないが、私がやりそうなことそのものだった。


「蒼一もまた、そんなユーリアたんに『そうだな、折角だから教えてもらいたい。なにせ女には初心で純朴なものでね。初めては血が出て痛いと聞くけど、その辺りは大丈夫そうか?』と煽り返すんだ。その意味をすぐに悟ったユーリアたんは、すぐに顔を真赤にしながら憤ってこう言い放つ。『勝手に生娘扱いしないで。そこまで綺麗な生き方なんてしてないわ』ってな」


 そんな逆襲を受けたら、私は絶対そう言う。そう思わされる一幕だ。


「結局、ユーリアは処女? 非処女?」


「ユーリアたんは永遠の処女に決まってるだろ。処女とも非処女とも断言したくない。そんなユーリアたんの精一杯の強がりこそが、この名台詞なんだ。蒼一相手にシュレディンガーの膜を貫いたわけだな」


「でも永遠の処女なら、エロシーンはどうなるの? 結局そこで非処女になるなら、永遠はおかしい」


「ユーリアたんは神聖化されているからな。蒼一相手とはいえ純潔を散らせば、ユーリアたんファンの暴動が起きる。俺だって起こす。ルートこそ追加されたが、蒼一との性交シーンは一切ない。ユーリアたんの処女は最後まで守り通されるんだ」


「満を持したユーリアのヒロイン化なのに、エロシーンないとかそれはそれで暴動が起こってそう」


「安心しろ、ユーリアたんのお楽しみシーンはちゃんと用意されている」


 田中に向かって、得意げにメガネを上げる渡辺。


 一方私は、先程から脳の処理が追いついていない。


 次から次へと畳み掛けられるわけのわからぬ、知らない私。私の全ては見抜かれており、それを嬉々として語るその姿。


 あえぐような声しか出ず、この男を止めないと大変なことになるとわかっているのに、身体が動かない。


「風呂場でのみずニーがな」


 風呂場。風呂場。風呂場。風呂場。


 何度も頭に反響する。


 私のエロシーンなんていう言葉が飛び交う中で、最後に辿り着いたその意味。


 知らない私が、またなにかやったのだろうか。


 ではない。


 今から語られるだろうそれは、思い至る節しかなかったのだ。


「ユーリアたんのお楽しみシーンは、流水触手オナニー、通称水ニーと呼ばれファンの間で親しまれている。浴槽に身を沈めるユーリアたんが、流体の触手を生み出すことでそれは行われる。ピストン運動に対し、水という特性を活かされたそれは純潔を傷つけることはない。頻度は週五で――」


「黙りなさい!」


 ようやく金縛りから開放された私は、手元にあった中身入りの缶を、その顔に向かって投げつけた。


 どうやら私はまだ、この男のことを甘く見ていたようだった。


 なぜ人の恥部、その秘密をそこまで知っているのか。いくら私のことを全て知っているとはいえ、限度がある。


「ぷっ、くく……水ニー、週五……流石快楽主義者ね」


「純潔を保ち続けるために生まれた、水ニーの発想が天才すぎる。蒼グリは神ゲーかもしれない」


 そして上がる笑い声。


 机に突っ伏し拳をたたき続ける鈴木と、こらえられないとニヤニヤしている田中。


「うるさいわ! どうせ貴方たちも、相手なんていないんでしょう!? 一人寂しく自分を慰めているんじゃない!」


 水ニーとバカにされた私の恥部。今やそれを否定する気力もなく、それを認めてしまうような形で叫んでしまった。


 そうしたら不意に鈴木が顔を上げ、ニヤっとした。


「貴方と同じ? ふっ、舌の味も知らないお子様と一緒にしないでほしいわね」


 なんて得意げに豪語する。


 まさか鈴木は男女の営みを、既に経験済みなのか。


 てっきり佐藤たちと同じだと思っていた。


 なぜこんなことでくだらない敗北感を得なければならないのか。


「鈴木……あれを数に数えてマウントを取るのは、佐藤相手だから許される。それ以外の相手にマウントを取るのはドン引き」


「鈴木だからこそ許されるとはいえ、やってることはただの犯罪だからな。どうせイキるなら、せめて最後までやってからイキれ」


 田中と渡辺のそれは完全に呆れたそれだ。バツの悪そうに顔を逸らす鈴木に、冷ややかな視線が送られている。


 渡辺を持ってして、完全に犯罪と言ったか。一体鈴木はなにをやらかしたのか。


「そもそもマウント合戦なら、性の探求者として女を知ったわたしこそが真の勝ち組。貴方たちは全員負け組」


「たわけが。オタクの悲願である、魂の嫁がいる世界へ辿り着いた俺こそ真の勝ち組だ。後はユーリアたんに子供を生んでもうだけで全てが報われる」


「ユーリアは永遠の処女じゃなかったの?」


「液体操作で処女懐胎するのかもしれない。聖母ユーリアの爆誕である。その時歴史は動いた」


 その辺りを問い詰めようとしたがすぐ話は流れた。


 人の恥部を酒の肴だとばかりに、好き勝手言い合う男たち。


 屈辱と羞恥と恥辱と憎悪など、幸福の器にあらゆる負の感情が流れ込む。


 そんな折、佐藤が帰還した。


 トイレからようやく戻ってきた彼が、今や救世主にすら見えた。


 この場を収め、助け出してくれるのなら、このまま恋や愛に落ちてしまってもいい。そのくらい私は今、追い詰められていた。


「佐藤、あいつらをなんとかしなさい!」


 まるで悪いのはおまえだとばかりに佐藤へ詰め寄る。佐藤がいれば最初から、こんな話にまで発展しなかったのではないか、とすら思えた。完全に逆恨みである。


「特に渡辺、あれは一体なんなの? ヤバすぎるわよ!」


「だからあれだけ言っただろう、あの男だけは止めておけって」


 なにを今更とばかりに涼しい顔をする佐藤。


「で、今度はなにがあったんだ?」


「蒼グリには今、神ゲー罪の容疑がかけられている」


「神ゲー罪?」


 田中がかけている訳のわからぬ罪を佐藤は聞き返す。


「快楽主義者が純潔であり続けるために生まれた、水ニーの発想が天才すぎた。ユーリアの性感帯は絶対処女膜」


「ああ、ユーリアのエロシーンの話な。風呂場でやるあれだろ?」


「なんで今ので通じるのよ!?」


 渡辺同様、佐藤もまた当たり前のように私の恥部を知っている。なんだそんなことか、と言わんばかりの表情がまたたまらない。


「前に熱弁する渡辺に、公式ホームページに載ってるのを見せられたことがある」


「公式ホームページ? 載ってる?」


「全世界に、そのときの写真が公開されているようなものだ」


「全世界に、公開……?」


 さらっと、佐藤はとんでもないことを言い出した。


 私の恥部。


 その写真が、全世界に公開しているとこの男は言った。冗談でもからかうでもなく、極平然と、珍しくもないことのように。


 すとんと、足元から力が抜けへたれこんだ。


「……ああ、そう考えるとユーリアには凄い話だな」


 声を失い、顔から血の気が引き、そして瞳の焦点すらあわなくなったこのあられもない姿。そうなってようやく、佐藤は私の置かれた状況、その悲哀を悟ったようだ。


「ゲームなら声付きで一部始終見られるからな。知らぬ間にAVデビューしているようなものか。しかも盗撮ものだ」


「ユーリアは人気キャラ。ヒロイン昇格で誰もが待ち望んだその痴態。その感動に全世界が抜いた」


「ユーリアたんには散々お世話になった。百回以上回想したな」


「それを見て喜んでいる男が目の前にいるとか……うっわ、きっつ。私なら自殺ものね」


 あいも変わらず好き勝手に言い散らす男ども。


 私はこの世界が物語の世界だと知った。


 淫猥を楽しむために作られた物語。


 バカみたいな世界だと笑ったが、それにはとんでもない爆弾が潜んでいた。


 カノン、クリスティアーネ、サクラ、そして煌宮蒼一。


 この世界から消え去った彼らに哀憐の情を抱いたが、今やその逆。


 痛くもなく、辛くもなく、そして苦しむことなく、早々に世界から足抜けしていることを羨んだ。


「な、な、な、な」


 震える声を絞り出した。


「なんなのよ、貴方たちの世界は……!?」


 その先のことはもう、覚えていない。

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