44 誰が永遠によ!
カノン、クリスティアーネ、サクラ、そして煌宮蒼一。
彼らはどれも名高い人物。学園内だけでは収まらない、輝かしい未来を嘱望された若者たちだ。
それが今や、低次元な争いを繰り返すバカみたいな男共に身体を奪われてしまった。
そして彼らの身に降り掛かった全ての不幸のおかげで、私は初めて幸福というものを手に入れた。その器に穴が空いていないとわかったのである。
カノンたちの犠牲の上で得たそれは、あまりにも天秤がつり合っていない。
私は自分がよければそれでいい、快楽主義者である。
どうせ消え失せた彼らに大きな思い入れなどはない。
どこかでしっぺ返しを受けそうなものだが、ここは素直に喜ぼうか。
と、気を取り直した私だったのだが、そのしっぺ返しはすぐにもたらされる。
屈辱と羞恥と恥辱と憎悪などの負の感情に、つい押しつぶされてしまうほどに。
消え去った四人。その生命が軽く思えるほどに、私はこの後それを思い知らされることとなる。
「親心で思い出したのだけれど。最近、初めてお父様のお声がかかったわ」
親心だなんてフレーズから、ついあの気味の悪い声と顔を思い出した。
「ユーリアのお父様って……あの助平ジジイのこと?」
「まるで見てきたかのように言うのね」
「クリスティアーネの記録にね。ニタついたいやらしい目で見られてたから、家の件を抜きにして嫌いだったようよ」
よりにもよってあのお姫様の口から、そんな台詞が吐き出されつい吹き出してしまった。
リリエンタール家の後塵を拝しているも、一応は蒼の賢者の末裔と主張する一族だ。蒼き叡智が色を取り戻すのに合わせて、お父様は沢山の側室を娶り、私たちを産ませた。側室と子供は歴代最多を更新しても、それを咎める者は誰もいない。
そんな更新した記録を、ラクストレーム家の悲願のためと言えば聞こえはいいが、あれは根っからの色情魔である。これ幸いと、趣味と実益を兼ね、次から次へと側室を迎えていた。
仮にもリリエンタール家は我が家にとって、目の上のたんこぶであり、怨敵のようなもの。そんな家の女、それも娘と同じ歳だというのに色目で見ていたとは。あれはもう病気である。
そんな父親と、その背中を見て育った兄弟を持ってみたらいい。偏った男の価値観を持ってしまうのも仕方ない話だろう。女の尻に敷かれて性的欲求を満たせるような男がいると、なぜ思おうか。
「そう、そのお父様よ」
「そんな男を、よく影でもお父様と呼べるわね」
「長年の教育による弊害ね。これでも一応、私はラクストレーム家のお嬢様なのよ」
尊敬の念を持ってそう呼んでいるわけではなく、コロコロ相手によって人の呼び方を変えるのが面倒なだけだ。憎悪でも抱いていればまた別だったのだろうが、私はお父様が憎くも嫌いでもない。独り立ちするまでは生きていて貰わないと困る、ただそれだけの存在だ。
「そしてあのお父様の血を引く唯一の娘。まあ、あの人のことだから本当のところはわからないけどね。渡辺、私の姉か妹は知らないかしら? いるなら是非会ってみたいわ」
「エステルがそうだ」
「皮肉のつもりだったんだけど……呆れたわ」
答えなんて期待していなかったのに、まさか本当に姉妹がいたとは。
それもよりにもよってエステル。ダーヴィットにあてがわられたあの母体が、まさか私の姉だったなんて。近親交配をさせ子を生ませようとしているお父様には、つくづく呆れたものだ。
そして呆れたといえば、この男は本当になんでも知っている。文字通り、この世界の生き字引といったところか。
そんな呆れた生き字引。これこそが私に幸福をもたらしたものであり、この後それに負けない不幸をもたらす、とんでもない牙を隠していた。
おぞましいあの部屋など、ただの入り口。その入門編に過ぎなかったのだ。
「なら、訂正しましょうか。建前上、私はお父様の血を引く唯一の娘。今まで捨て置かれていた、名前も呼ばれたことがない女なの。それが最近になって、初めて名指しで呼び出されたわ。鈴木、田中、これがどういう意味か、わかるかしら?」
「助平ジジイのことだから、いい歳になった娘に手でも出そうとしたの?」
「元を考えると十分ありえる。めくるめくエロゲエロ同人あるあるが行われようとした」
「あの人の好みは肉付きのいい女。こんな貧相な身体はお呼びじゃないわ。もしあったとしたら、今頃私は親殺しよ」
「こうして生きていられてよかったわね、渡辺」
「ユーリアを騙して性的搾取を行おうとした渡辺は、本来始末されてしかるべき存在。その寛大なる心にもっと感謝するべき。さあ、今すぐユーリアを聖女と崇め、神殿を築く仕事に戻るんだ」
「そんなのとっくに完成している。そう、あの部屋こそがユーリアたんを崇め奉る神殿だ」
自信満々にメガネを光らせる渡辺に、鈴木と田中は処置なしと肩をすくめた。
「あんなおぞましい神殿はとっとと取り潰して。――それで、渡辺ならなんで私を呼び出されたのかわかるかしら?」
「家督をちらつかせて、煌宮蒼一を籠絡しろと迫られたのだろ。自分の血を引く娘が、蒼き叡智を手にした男の血を引く子をなす。これによってラクストレーム家は、リリエンタール家を出し抜き、正当な蒼の賢者の末裔と名乗れる。それが自分の直系、代から生まれるのだからな。歴史に名を残そうと必死なわけだ。
一方ユーリアたんは冷めた気持ちで、そんなの無理に決まっていると思ったわけだ。蒼一の側にはソフィアがいる。そしてクリスも黙っていない。コンプレックスでこそないが、君は自らの身体に女としての価値を感じていない。端から勝負にならないと切り捨てた。それ以上に家督にも、蒼き叡智にも、煌宮蒼一にも価値を見出してない。そもそもカノンと共に世界を滅ぼすつもりなんだ。それが跡継ぎだなんて鼻で笑える、というわけだ」
「……貴方、本当になんでも知っているわね」
「この世界のことで俺の知らぬことはない。君に関わることならなおさらだ」
そのときの心情を含めて、なにもかもその通りである。見てきたかのように言い当てられ、そして本当に見てきたのかと思い知らされた。
それが後少しで私に牙をむく。
幸福の器に穴が空いていないとわかった。そんな日に得た記憶を全て消し去りたいと思うほどに。
「全てその通りよ。そんなくだらないものより、カノンの計画のほうが楽しそうだったもの。この先に残らない物を、わざわざ作りたがるほど数寄者じゃないわ」
「そういえばユーリアは世界滅ぼしたい系女子だったわね」
「ユーリアはまだ、世界を滅ぼしたいと思っているの?」
「どうなのかしら、渡辺?」
鈴木や田中の疑問を、私のことならなんでも知っている男に振った。
「さて、どうだろうな。君はその場その場の面白そうなものを見つけては、それで器を見たさんとする気まぐれな猫のような娘だ。結局ユーリアたんが世界を滅ぼそうと貫いたのは、クリスルートだけ。他のルートではあっちのほうが面白そうだと、あっさりカノンを見放している。それが俺たちと出会ったことで、また大きく価値観が動いただろう。今の君の心の内までは流石に読めん。お手上げだ」
なのにその男は難しい顔をした。
「あら、この世界で貴方に知らないことはない。私のことならなおさらじゃなかったの?」
「俺がわかっているのは君が歩んできたパラレルであり、これまでの君だけだ。それだけを手がかりに『俺は知っている、今の君はこう思っているんだ』と気持ちを決めつけたほうがよかったか?」
「そうね。そんなこと言われたら、きっと八つ裂きにしていたわ」
「それでいい。俺も既存のレールにユーリアたんを導いて、君のことを全て知っている、などと叫ぶような真似はしたくない。この先のユーリアたんは俺にとって全てが未知だ。しかもそれは、渡辺彦一郎が接することで見られる新たな君の一面。そんな俺の知らないユーリアたんを知られることが、この世界へ辿り着いた、俺にとってのなによりの幸福であり褒美だと思っている」
どこまでも生真面目に、渡辺はそう言い切った。
本当、どこまでこの男は私のことが好きなのか。
男の愛なんてものは、つまるところ性欲が派生したもの。君を心から愛しているなんて嘯きながら、欲望を満たすありきのものだ。
私の知らない私の未来まで知り抜いているのなら、いっそ私のことなど手玉にとって、自分の思い通りにできそうなものなのに。まだ新しい私を知りたいなどと言う始末だ。
実際、あの屋上で私は伸ばされたその手を掴みそうになった。あれはきっと、手玉に取ろうと伸ばしたものではない。ユーリア・ラクストレームの苦悶を知り抜いていた、渡辺なりに施せる救済だったのかもしれない。
その先でまだ見ぬ私と出会いたい。そしてその愛が手に入れば言うことなし、くらいに考えていたのだろう。
そういえばこの男は、邪な気持ちだけではない、私の心を一番欲しいと叫んでいたか。
男がそんなことなど、心の底から思っているわけなどないだろうに。
でも渡辺ならもしや本気で言っているのではないか、と勘違いしてしまいそうだ。
「それでもなにか言えというのなら、思わず頬を膨らせてから噴き出す、そんな様は見たことがない」
「おかげさまで、幸福の器に穴が空いていなかったと思い知ったわ」
こっちは肩を落としているというのに、渡辺は満足そうに微笑んでいた。
幸福の器。きっと彼は、その意味を心の底から知っているに違いない。
気持ち悪いくらいの愛と魂を差し出して、この男は私の心を底から揺さぶってくる。ただしそれが、案外面白くて悪いものではないのだから、本当にシャクである。
男には端から期待してなどいない。
一生独りを貫くつもりであった。
どれだけ求めんと欲しても、恋や愛などこの身には宿らない代物だと信じていた。それでいいとすら納得していた。
それがもしかしたら……なんて、思ってしまった自分がなによりも悔しい。
「だから、そうね。今ならラクストレームの家督を貰ってみるのも、悪くはないと思えてきたわ。煌宮蒼一には興味は持てなかったけど、その中身があの男なら別ね。案外、面白おかしくやれるんじゃないかしら」
だからその悔しさから逃げるかのように、この男をからかうためにそんなことを言ってみた。
シャクでシャクで仕方ないけれど、生まれて初めての照れ隠しだ。
「そんなのはダメだ!」
悲鳴のように渡辺は叫んだ。
愛と魂を捧げているというなら、これは愛と魂の悲鳴といったところか。
さて、次はどんな悲鳴をあげるだろうか。
そのくらいなら俺を選んでくれか。
はたまた、鈴木への肩入れからか。
両方の思いが混ざりあったものか。
どちらにしても、今はこの男の苦痛に歪んだ顔さえあれば、少しはこの悔しさの慰めにもなろう。
「にわかなんぞにユーリアたんの処女は奪わせない! ユーリアたんは永遠の処女だ!」
「誰が永遠によ!」
とんでもない言葉を持って、私は辱めを受けることとなった。
しかも悪意がない。本当にそうあり続けてほしい、そんな熱量が伝わるほどの雄叫びだ。
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