43 どんぐりの背比べ

 カノンの肉体が私にひれ伏す。


 面白いものというものを見て、初めて笑ってしまった。


 その高揚でつい気に入ってしまい、玩具として抱えておこうとしたが、一時の気の迷いだった。


 冷静さを取り戻した今、例えカノンの肉体とはいえ、もう側に置きたいとは思わない。その中身は気持ち悪いが、だからといって目にしたくないというわけでもない。


 一定の距離感を持って見るだけにとどめよう、そう結論づけたのだ。


「しかし意外ね」


 リビングに戻り、椅子にならんと必死な渡辺を無視して、出窓に腰掛けた。


「ソフィアが生娘じゃなかったなんて」


 カノンやクリスティアーネたちほどではないとはいえ、ソフィアの才能は中等部時代から一目を置かれ続けてきた。それがずっとソルの落ちこぼれに寄り添う様は、周囲の注目を引いてきた。


 ソルの落ちこぼれに恋するシエルの女。


 大きく天秤が傾いている様への陰口が、私の耳にも聞こえてくるくらいには有名な話だ。


 そんな恋する乙女がまさか、既に男と営み済みだなんて。相手が煌宮蒼一ではないことくらいは、佐藤たちの口ぶりと雰囲気で察せられる。


「ずっと一途な女かと思っていたから、少し面を食らったわ」


「ソフィアは蒼一一筋だ。あれは決して本意ではなかった」


「……どういうこと?」


「そうだな、まずはリーゼンフェルト家の闇になるが……」


 渡辺から彼女の暗い過去が語られた。


 親から売られ、黒の器の試験体となったこと。


 人道なき実験を繰り返されたこと。


 今でこそ役目から開放されているが、消えない過去きずをその身に宿していること。


 そしてなぜあそこまで、健気に煌宮蒼一を想い続けたのかを。


 全てそれを聞いた上で、本意ではなかったという、その意味にすぐに思い至った。


「なるほど……試験体として、全部奪われたのね」


 重苦しく頷く渡辺。


 あんなに健気に一途な女の過去に、そんな闇が眠っていたとは。


「ただこの世界のソフィアは、処女であることが確認できた」


 と、急に手のひらがくるっと返ったのである。


「ユーリアたんには難しい話になるが、この世界には成人向けの他に、全年齢版、アニメ版というものがある。全年齢版のソフィアは道具でだけ尊厳を奪われており、アニメ版では性の実験そのものがないこととなっていた」


「渡辺いわく、ソフィアはアニメ版仕様らしいわ。痛くて苦しい過去はあったけれど、女としての尊厳は無事みたい」


 それだけが救いだとばかりに鈴木は微笑んだ。


 今更であるが、この世界は物語の世界。その物語の登場人物にすぎない私には、思いも寄らないことがあるようだ。


 成人向け、全年齢版、アニメ版。


 よくわからないが深く考えるのは止めておこう。


「本人の口から処女であることは確認した。アニメ版であることは間違いない」


「あんな純真な娘から、よく聞き出せたわねそんなこと」


「誠意を見せて聞かせてもらった」


「誠意……?」


「君は処女なのか、処女膜はあるのか、って叫びながら土下座してた」


 女の子たちを虜にしてきたカノンの顔に向かって、田中は人差し指を突きつける。


「世界一気持ちの良い土下座だった」


「あの有様は、それこそ貴女好みの光景ね」


 私の顔は今、一体どんな顔をしているだろうか。


 こんな男に目をつけられている身の危険性を改めて実感した。


 どうやら鈴木と田中も現場にいたようであるが、見た目は女とはいえ中身は男。


 男三人に囲まれ、生娘であるのか有無を問いただされたソフィアのことを思うと、哀憐の情が止まらないというものだ。


「ちなみに佐藤にはこの真実を伝えていないわ」


「佐藤にはちゃんと成人版仕様だと伝えている」


「アニメ版仕様と知れば、秒で手を出すからな」


 土下座によって引き出された真実は、どうやら歪められて佐藤へと伝わっているようだ。


「そんなの放っておけばいいじゃない。別に佐藤が女と報われたからと言って、誰か死ぬわけじゃないでしょう。むしろ友人なら、そこは見守るところじゃないの?」


「友人だからこそ。わたしと渡辺はむしろ、佐藤の命を守っているとも言える」


「命を守っている?」


「佐藤に女ができれば、最悪殺人事件に発展するんだ」


 冗談でもなんでもなく、田中と渡辺は生真面目に言った。


 つい鈴木を見るも、


「佐藤が悪いわ」


 とだけしか言わない。


 どういうことだと再び田中たちに目を向けた。


「貴方たちの争いの根っこには、一体なにがあるのよ」


「わたしたちの争いは、そう……それこそ前世まで遡らなければいけない」


「あれは俺たちが命を落とした、その一年前ほどの話だ」


 壮大な物語のような謳い文句。それが冗談ではないのだから、また凄い。


「今はこの有様だけど、佐藤が一番信頼していたのは鈴木だったし、その逆もそう。お互いのことはお互いが一番知っている。ツーカーで通じていたし、傍から見ても本当に仲が良かった。二人はまさにベストパートナー。今みたいなに争うことなく、なにかあれば手を取り合っていた。……そう、あの事件が起きるまでは」


 意外な佐藤と鈴木の一面に驚いた。


 私は彼らのいがみ合っている姿ばかり見てきた。それがちょっと前までは、信頼しあい心底仲が良かったと言われても、到底信じられなかった。


 仲が反転するほどの事件とは、一体どのようなことが起きたのだろうか。


「どんな事件が起きたというの?」


「佐藤が鈴木の知り合いに手を出した」


「はあ?」


「佐藤も後ろめたさからデート前日に白状したんだが、やはり隠れてやりとりしていたのが不味かったな。ブチギレた鈴木がそのデートを台無しにして、佐藤はその台無しの仕方を咎め、ついには罵り合いにまで発展したんだ。以来、二人の関係は険悪なものになり、やったやられたの戦争に発展したんだ」


 一体どんな事件かと思えば、あまりのくだらなさに声を失った。


「ほらね、佐藤が悪いでしょう?」


 そして鈴木は得意げである。今生にも引きずる戦争は、自らにこそ大義があるとばかりだ。


「あれは佐藤も悪かったけど、根っこを辿れば鈴木が一番悪い。それこそ中指を立てたガンジーが、助走をつけて君死にたまえと言うレベル」


「今までやってきた妨害工作を聞かされ、先を越されるのが気に食わないと言われたならな。あの聖人も、大義を掲げてキレて当然だ」


「正直鈴木には、いい加減にしてもらいたい。佐藤もあれで鈴木にはゲロ甘だったんだから、誠心誠意謝れば許してくれるはず」


「いい加減鈴木のほうから折れろ。一緒に謝ってやるから、な?」


「絶対に嫌。向こうから頭を下げてくるのが筋じゃない」


 などと、鈴木は力強く意地でも折れないと決めているようだ。


「鈴木が悪いなら、なんで佐藤を陥れるのを付き合っているのよ。貴方たちがなにかされたわけじゃないんでしょう?」


 話を聞く限り、佐藤に非はないと渡辺たちはわかっている。


「鈴木は常にスクールカーストの天上に君臨してきた。わたしと渡辺はその最底辺。佐藤の友人ということで、その庇護下に入れてもらっていた」


「底辺には苦痛でしかない行事ごとも、リア充の餌食にならず済んだからな。暗黒の中学時代と比べて、高校時代は快適そのものだった。俺たちにとって鈴木は、友人である以上に恩人なんだ」


 本人の前で恩人だなんて言えるくらい、この二人は鈴木に助けられてきたようである。大学生になった後も、その信頼関係は続いたようだ。


「だから今日まで、鈴木に肩入れしてきたの?」


「佐藤に彼女ができると人死が出る。鈴木が破滅するのは見過ごせなかった」


「田中はその結果、佐藤の怒りで人生唯一のチャンスを潰されたからな。原野雅の件はあまりにも哀れだった」


「渡辺も同じ。佐藤の恨みを買ってるばかりに、次元を越えて得たチャンスを邪魔されてる」


「どの口が言う。その佐藤と一緒になって、あれだけの邪魔をしておいて」


「空が蒼いと言うだけで、腹パンしてくる渡辺が悪い。ここは民主主義国家、言葉狩りは許されない。そんなリョナカスDV野郎に粘着されたユーリアを、わたしは絶対に見捨てたりはしない」


「貴様ッ!」


 必要に腹部を狙う渡辺と、それを抑える田中。


 くだらない争いをする横で、バカみたいだとため息が出る。


 どうやら今生に引きずる佐藤の女問題は、鈴木が諸悪の根源のようだ。


 常に妨害を受けるものだから、当然佐藤が憤る。そして逆襲にあうなどして、憎しみの連鎖を積み上げてきたというところか。


「貴方たちの関係性はなんとなくわかったわ。ソフィアのことも、あのカスみたいな発言を考えると……隠されて当然かしらね」


 佐藤を可哀想だと一瞬思ったが、すぐに思い直した。


 真実を知った上でのソフィアのキープ発言。最低な父親の血を継ぐ私から見ても、遜色ない最低な人間性である。


 彼ら四人グループ。


「佐藤にはあの娘ではない相応しい相手がいるわ」


「佐藤にこんな形で男として報われてほしくない」


「佐藤の身の程を想った、俺たちなりの親心だな」


 どうやら全員揃ってどんぐりの背くらべのようだ。

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