42 化けの皮

「さあ、ユーリア。屈辱と汚泥にまみれたカノンの顔を見たければ、この背中に座るんだ!」


 親指で自らの背中を指し締めながら、佐藤がとんでもないことを言い出した。


「邪魔をするな佐藤! ユーリアたんの椅子という大役が、にわかに相応しくないのがわからんのか!」


「ふっ、早速化けの皮が剥がれ始めたな。このまま全て剥ぎ取ってやる。さあユーリア、今すぐ俺に座れ!」


「いいや、ユーリアたん。こんなにわかなど君の腰掛けに相応しくない! 君の腰掛けに相応しいのは俺だけだ! 手遅れになる前に早く! 早く座ってくれ!」


「渡辺に座るのは後からでも遅くはない。今の佐藤はさながら真実を映し出す鏡。これに腰掛けることで、渡辺の偽り、醜悪な心の全てが明らかになる。真実を明らかにするため、さあ早く。早く佐藤に座って」


 私を置いてけぼりにして、場はヒートアップしていく。


 椅子にするしないから、早く座ってくれと詰め寄られる。


「地獄絵図ね」


 鈴木が後ろで、気味悪そうにそんな私たちを眺めている。


 いっそ前言を撤回しようにも、場の雰囲気に飲まれている。自分はもっと冷静に物事を考えられる女だと自認していたが、この部屋がそうさせたのだろうか。最早正常な判断が利かない。


「うあぁあああああああああああ!?」 


 悲鳴にも近い絶叫が部屋に蔓延った。


「おのれおのれおのれおのれおのれ!」


 渡辺のものだ。


 どこまでも悔しそうなその顔は、本来渡辺に座ったときに見せてもらう予定だったものだ。


 それが今、佐藤の背中に腰掛けたことで浮かんでいた。


「渡辺、ユーリアの椅子になった感想を教えてやろう。柔らかくて、温かくて、後なんか良い匂もしてくる」


 勝利宣言がごとく、佐藤は自慢気に気持ち悪い言葉を吐き出した。


「佐藤! 貴様は絶対に殺してやる! 絶対にだ!」


 屈辱と汚泥に塗れたカノンの顔は、滑稽を通り越して気味が悪かった。


「ざまあ見ろ、散々俺の邪魔をしてきたカスが。よく目に焼き付けるんだな。おまえの魂の嫁が、俺の性的欲求を満たしている姿を! 二次元美少女ユーリアの椅子になるのは、最高な気分だぞ! ハッハッハッハ!」


 高らかに哄笑を上げる佐藤の姿に、もう声すら出ないのか。渡辺は何度も拳を床に叩きつけているだけである。


「凄いわね、佐藤の声が下からなのに上から聞こえてくるわ」


 開いた口が塞がらないとばかりに、鈴木はそんな地獄絵図をそう評した。


 佐藤と田中は正しかった。


 その提言は一から十まで正しく、渡辺は私に関することなら、男どころか人としてのプライドを持ち合わせていなかったのがよくわかった。


 そして、


「貴方も私に対して、だいぶ気持ち悪い思いを抱いているのね」


 尻に敷かれて性的欲求が満たされているとまで口にした男が、渡辺と同列なのもよくわかった。


「おまえが特別なわけじゃない。美少女相手で性的欲求を満たせるなら俺は誰でもいい」


「一体なにが貴方をそこまでさせるのよ」


「言いにくいことだが、純粋に性欲だ」


「言いにくいことなら濁しなさい!」


 訂正しよう。佐藤は更にその下をいっていた。


「俺はこの世界で必ず、二次元美少女と本懐を遂げてみせる!」


「あの娘、ソフィアとははどうなの? 貴方のことを……煌宮蒼一のことを好きなのは、傍から見ていてもわかるわよ。貴方から求めれば簡単じゃない」


 誰でもいいうというのなら、疑問である。


 太陽のように光を放つお姫様の美貌とは異なり、ソフィアにはそこにあるだけで美しい、月光のような冴え冴えとした魅力がある。情欲をそそるのに十分な肉付きをしているし、しとやかな女らしさは男を惹きつけてやまないだろう。


「ソフィアはすごくいい子で、可愛くて、胸も大きい。申し分ない」


 佐藤も十分それは認識しているようだ。


「ただ、折角こんな世界に辿り着いたんだ。初めは新品にこだわりたい」


「新品?」


「処女のこと」


 答えてくれたのは田中だった。


「そういうわけでソフィアはキープしている」


「最低のカスね」


 学園での罵り合いや諍いで、いつも三対一を強いられている佐藤を見てきた。勝手に四人の中では、一番まともだと思っていたがそうではなかった。


 類は友を呼ぶ。方向性は違えど、渡辺と田中の友人として遜色ない人格の持ち主といったところか。『祝・追放ものの主人公となった佐藤を慰める会』なんて看板を用意し、バカみたいなパーティーの幹事を務めていた鈴木が、今や繰り上げで一番まともに思えた。


「ところでトイレに行きたい。そろそろどいてもらっていいか」


 などと椅子から願いが乞われた。


「役目を自ら放棄するなど所詮にわかだな。やはり貴様にはユーリアたんの椅子に相応しくないのだ。さあ、そんなカスみたいな椅子ではなく、俺に座ってくれ。君のためならいつまでもこの背は、君を支え続ける!」


 佐藤の役目の放棄に、嬉々として渡辺は主張した。


 改めてそれをじっと見てみる。


 どれだけ中身があれでも、これはカノンの肉体。


 屈辱と汚泥に塗れて椅子になる、その姿が見たかった。だが、恍惚とした表情で尻を敷かれるカノンの姿は、それはそれで滑稽で面白そうだ。いっそ写真を撮って額縁に並べたい。


 佐藤たちから散々たしなめられたが、冷静になってきた気持ちが揺れ動く。


 少しばかし逡巡すると、


「気持ち悪いから、止めておくわ」


 気持ち悪さが勝ったのだった。

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