41 歪んだ愛の形
通されたその部屋は、ユーリア・ラクストレームが広がっていた。
ただ、そう表現するしかない光景である。
壁一面の壁紙から始まり、カーテンや寝具などのインテリア。小物から人形の数々。デフォルメ化し描かれた物から、見に覚えのない写真を流用されたものまで、とにかくこの部屋の全てが私で埋め尽くされていた。
「二次元に来てまでオタクの痛部屋作ってるぞこいつ……」
「本人が実在している世界だから、むしろドルオタの部屋」
「いやいや……ただのストーカー部屋じゃないこれ、怖っ」
慄きに近い上ずった声が背中から聞こえてくる。
どんな面白くて笑える愛の形、表現なのだろうか。
声を上げるほどに笑える光景を期待していたはずが、逆に声を失っていた。
「これが俺なりの君への愛の形、その表現だ」
恥ずべきものなどまるでないとばかりに、渡辺は得意げだ。
一度目を閉じ考え込む。
この部屋の存在は、私の理解を超えている。人間が持つ根源的な恐怖、おぞましさを呼び覚ます呪いに近い。
三人の案ずる声は正しかったのだ。
……ただ、だ。
こんな部屋を一生懸命に作り、日夜過ごしているのはカノンの身体。選ばれた者という自負と優越感と特権意識の塊が宿っていた肉体。それが私を投影された枕を抱きしめ眠りにつくのだ。
「……中々、じゃない」
「君に喜んでもらえてなによりだ」
滑稽である。滑稽なのだ。こんなバカみたいな部屋を喜び尊んでいるカノンの顔が、とても滑稽だ。
とても……笑えるではないか。
「冷静になれユーリア、そこは無理するところじゃない。顔も声も完全に引きつっているぞ。その感情にもっと素直になれ」
「本当にヤバイのはこの部屋じゃない。これを本人に見せて喜んでもらえると思っている、その思考回路が一番ヤバイ。貴女はそのヤバさを認識するべき」
「うっ……!」
佐藤と田中が真っ当な言葉に声が詰まった。
何度もあれはカノンの身体と言い聞かせて、自分を誤魔化したような気がする。
カノンの肉体を奪ったアホな男。
彼が向けてくる愛情の歪みは、この部屋を見て思い知らされた。真っ当なものではない。
素直になろう。
この部屋は心の底からおぞましい。
こんなおぞましい部屋を平気で作り上げるその精神は、一体どんな心の歪みを抱えているのか。
これが俺の愛の形だと見せつけてくるその精神性は、絶対にまともなものではない。
だけど、
「こ、こんな部屋でカノンが過ごしているのよ……? 面白い、じゃない」
「いくら笑えても、あれの中身はただの渡辺、気持ち悪いオタクだ。あの男にだけは好意を持つのはやめておけ」
「でもあれは、カノンの身体なの……それがこんな様を演じるのはとても滑稽なのよ! 笑えるのよ!」
「いい加減にしろユーリア! いつまでもカノンを引きずっていないで、ちゃんと現実を見るんだ!」
「わたしたちは貴女のためを思って言っているの。あの男だけは絶対にダメ。一緒にいると、貴女のためにならない」
聞き分けのない娘を叱り飛ばすかのように、佐藤と田中はたしなめてくる。
後から振り返ると、このときの私は正気ではなかった。むしろこんな部屋を見せられて、正気でいろというほうが難しい。
笑えるものだとして、自分に言い聞かせるしかなかった。
一度は私に取り入れたとして、渡辺は自信満々。おまえたちの言葉に私は聞く耳を持たんぞとばかりに、ニヤニヤと佐藤たちを眺めていたくらいだ。
渡辺に危機感を覚えたのは確かだ。
それでも面白い玩具と見て、気に入ったと口にした。その前言をすぐに撤回するのは、自らが節穴だったと認めるようでシャクだったのだ。
「い、いいわ。次は、その忠誠と覚悟を見せてもらいましょうか」
「こんな部屋を見せられてまだ懲りないの?」
呆れたような鈴木の声を私は無視した。
これは面白い玩具、これは面白い玩具、と自らに何度も言い聞かせながら、簡単に手放すわけにはいかないと己を奮い立たせる。
対等な関係になるつもりはない。向こうが一方的に愛情を抱いているのだから、それを上手く制御できればいいのだ。
「渡辺、椅子になりなさい」
「椅子に、だと?」
驚くように目を見開く渡辺。
「犬のように這いつくばって、無様な姿で私の椅子になるの。貴方にはこの屈辱、どれだけの時間耐えられるかしら?」
渡辺も男だ。いくら私に愛を捧げているとはいえ、無様な姿で女の尻に敷かれるような真似、屈辱の極みだろう。
与える屈辱に耐える忠誠と覚悟。それさえあれば、これからも楽しい玩具として遊べるはずだ。
なにより屈辱に歪みながら、私の尻に敷かれるカノンの顔を見るのは抱腹ものだ。
だというのに、
「止めろユーリア。こいつにとってそんなのご褒美だ。報われ喜んでいる渡辺の姿なんてヘドが出る!」
「貴女のやろうとしていることは、禁煙中のヤニカスにヤニ、断食中のピザにピザを与える行為。屈辱どころか、喜ばせるだけでなんの意味もない」
佐藤と田中は、喜ばせるだけだと否定した。
「女の尻に敷かれて喜ぶ男なんているわけないじゃない」
「そうだ、俺にも男としてのプライドがある。女の尻に敷かれるのは屈辱だが……ユーリアたんに忠誠と覚悟を示すためなら……俺はッ!」
「ほら見なさい。いくらなんでも貴方たちは大袈裟すぎるわ」
悔しそうに顔を歪める顔を指差しながら、私もまた佐藤たちを否定する。
男なんていうものは、根っこのところで女を下に見ているプライドの塊だ。
どれだけ綺麗な言葉で取り繕うが、男が女に道具のように扱われるなんて、屈辱でしかない。ラクストレーム家で生まれ育ったことで、身に沁みるほどに思い知っていた。
すぐにそれが、極端な家に生まれたゆえの視野搾取であったことを思い知る。
井戸の中で育った私は、外の世界をあまりにも知らなすぎた。
「騙されるなユーリア! そいつは椅子どころか足を舐めろと言ったら喜んで舐めてくる男だぞ! むしろ金を払ってでも舐めたがる! もし、風呂の残り湯をこいつに売るような真似をしてみろ! すぐに巨万の富が築かれるぞ!」
「貴女は空間を共にしてるだけで、渡辺に性的搾取されているようなもの。椅子にするのだと言うのなら、本来渡辺から札束を差し出して『どうかお願いします座ってください!』と土下座するのが筋の話。貴女のお尻はお金が取れる。そんなお尻をタダで性的搾取されるさまは見過ごせない」
「黙れカス共、ユーリアたんを惑わすな! 俺という存在は、男のプライドが擬人化したと言っても過言ではない! 魂の嫁に忠誠と覚悟を見せるため、それを捨てんとする男の生き様を、なぜ黙って見届けようとしないのだ!?」
畳み掛けるように次から次へと必死に主張が繰り出される。
佐藤と田中の話の主張は、男としての誇りの前に、人としての誇りを捨て去っている。渡辺はそれを否だと叫んでおり、私もその通りだと思うのだが……佐藤と田中を信じられない以上に、渡辺のこともまた信じきれずにいる。
もう、なにを信じていいかわからない。
「さあ、座ってくれユーリアたん! どれだけの屈辱と汚泥に塗れようと、君へに捧げる渡辺彦一郎の愛と魂、その忠誠と覚悟をここに示そう!」
私の注文通り四つん這いとなり、カノンの無様な姿が晒された。
忠誠と覚悟を見せろと言ったのは私ではある。
何度もこれはカノンの身体と言い聞かせるも、座るのが躊躇われた。
そうやって座れずクズクズしていると、
「いいだろう、そこまで言うなら渡辺。おまえの化けの皮を剥いでやる」
佐藤もまた四つん這いとなったのだった。
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