37 この世界は空想世界

 煌宮蒼一たちの中身が変わってしまったのではないか、と疑い始めたのは、屋上でカノンに詰め寄った次の日だった。


 四月の頭から煌宮蒼一、クリスティアーネ、サクラの三人と行動を共にするようになったカノン。初めこそは蒼き叡智を手にした、煌宮蒼一を見定めるためだと思っていた。サクラは置いておくとしても、クリスティアーネが彼に近づいたのも不自然なことではなかった。


 ただ、すぐに困惑することとなる。


 彼らと行動を共にするカノンの姿。そこには優等生としての仮面を被っていることもなければ、外した本当の顔を見せることもなかった。


 日常を楽しそうに謳歌するただの少年だ。


 遠目からそれを眺め続けていた私は、ついに痺れを切らし、彼を問い詰めたのだ。その結果、私をその気にさせた男が、本当に変わってしまったことを思い知らされた。


 その晩、私は彼を憎み続けた。それこそ呪いに昇華してしまいそうなほどの憎悪が、この胸に渦巻き、眠れない夜を過ごしながら今日までのカノンを振り返り、思い至ったのだ。


 カノンが変わってしまった内面は、思想でも、性格でも、嗜好でもない。


 文字通り、中身の人間が変わってしまったのではないか。


 そういう意味では私は、カノン・リーゼンフェルトという人間を信用していたのだろう。黒の賢者に育て上げられた、その心。選ばれた者という自負と優越感と特権意識を。


 だから私は強く思ったのだ。


 人間関係一つで、カノンがあんなアホになるわけがない、と。


 煌宮蒼一たちと接する中で変わってしまったより、中身が丸ごと変わってしまった、のほうがまだ説得力がある。


 そうするとあの日、屋上で起きたこと全てが腑に落ちた。


 そもそもカノン自身が『次元を越え、ついに辿り着いたこの世界』とか言っていたではないか。


 意味がわからなかったが、そのままの意味を受け止めればよかったのだ。


 以来、私は彼らをよく観察するようになった。


 そうすると見えてきたのは、カノンだけではなく、煌宮蒼一、サクラ、そしてあのクリスティアーネも同じなのだと。


 仲が良いのだか悪いのだか、レベルが高いのだか低いのだか、わからない小競り合いを繰り返す彼ら。


 まるで旧知の仲。彼らの関係性は、一ヶ月やそこらで辿り着くそれではない。


 煌宮蒼一へと、クリスティアーネへと、サクラへと、そしてカノンへと。佐藤、鈴木、田中、渡辺と呼び合う彼らへと、中身が入れ替わってしまったのだ。


 地球の魔導師がカノンたちの身体を、なんらかの魔法で奪い取ったのか。


 はたまた、御伽話にある転生魔法が実在して、その結果煌宮蒼一たちに成り代わってしまったのか。


 ローゼンハイムの御老公のこともある。蒼き叡智が色を取り戻したのをキッカケに、前世の記憶に目覚めたのではないか、など。


 可能性を張り巡らせ、あらゆる可能性を検討した。


 そんな中、煌宮蒼一が他の三人に騙され、危機に陥った。彼らの内側に潜り込むのなら、絶好の機会であった。


 だから私は煌宮蒼一に、もっともらしい言葉で取り入った。


 彼らの内側に潜り込み、もっとも近い場所で彼らを観察する機会を得た。


 時間をかけてでも真実を知るつもりだったが……時間をかけるほどではないと、ものの数時間で実感した。


 彼らの人間レベルがあまりにも低次元である。正面から堂々と突くだけで、十分な気がしたのだ。 


 そして私はついに、彼らへと問い詰めた。


 突拍子もない話だと最初は否定し粘っていたが、


「本物のカノンはこんなアホじゃないわ」


 と指摘したらあっさりと認めたのだ。


 彼らの人間関係が垣間見えた気がした。


 そうして煌宮蒼一とカノン……いや、今は佐藤と渡辺といったか。二人が主となり、彼らの身に起きたことを語ってくれた。


 死後の転生。


 蒼き叡智が色を取り戻したその前後に、彼らは佐藤たちとして目覚めたようだ。


 まるで奇跡のようなことであるが、可能性として検討していた範囲内であり、私はあっさりとそこは受け入れられた。


 セレスティアでもない、この地球でもない異世界人。


 また別の地球より運ばれてきた魂の漂流者。


 そのくらい驚くことではない。可能性の範囲内にあった話だ。


「この世界が、物語の世界……ね」


 ただし、そこまでの可能性は検討していなかった。


 この世界がまさか、空想として産み落とされた世界などと誰が思おうか。


「しかもエロゲ。この世界はエロを楽しむために作られた」


「蒼グリはシナリオゲーだ! これだけこの世界を満喫しておいて、まだそれがわからんのか田中!?」


「どれだけ綺麗事を並べ立てようと、R18として始まったのは覆らない」


「くっ……!」


 しかも淫猥を楽しむために作られた物語。


 この世界を素晴らしいなどと思ったことも、尊いなどと感じたこともない。それでもこれには頭が痛くなる。


「信じられないか?」


「信じられないというよりは、信じたくない話ね」


「だろうな。俺も自分の世界が、『おまえの世界は官能小説から生みだされた世界だ』と言われたら信じたくない」


 佐藤からかけられる声は、同情のそれだった。


「でも、信じるしかないのでしょうね」


「あら、案外あっさり納得するのね」


「貴方たちの隠し事は、中身が入れ替わっているのと、その経緯よ。隠したいことがあるなら、セレスティアでも地球でもない、また別な世界の人間だ、でいいじゃない。わざわざ追求してくれと言わんばかりの、こんな馬鹿げた話を盛り込む必要なんてないわ」


「それもそうね」


 かつて対抗意識を抱いてきた女の顔で、あっさりと鈴木は納得した。


「なにより、私の力の本質が当たり前のように知られているんだもの」


 あれには本当に驚いた。


 自分ですら天性の特性は、属性による水そのものだと信じて生きてきた。それが液体操作こそが自分の特性だと気づいたのは、中等部に上がって少しするまで。


 誰にも知られず伏せてきたそれを、カノンだけではなく煌宮蒼一にも、当たり前のように知られている。


「あそこまで見てきたように語られたら、もうお手上げね。三井小太郎の件もあるし、投げやりな気持ちで受け止めるしかないわ」


 最早、諦めに近いそれだ。


 この世界で命を謳歌している者たちからすれば、とんでもない話である。それこそ価値観が足元から崩れ落ちるかもしれない。


 だが私はこの命にも世界にもあまり執着はない。


 幸福に満たされる未来への希望と期待と一時的な快楽だけが、今日までこの世界に生命を繋いできただけ。


 むしろ世界の真実を知ったことに、胸をひっかくいつものあれが、少しばかし深く削った。珍しく消化不良を起こさなかったことに、一つ、満足感を覚えたほどだ。


 この世界は淫猥を楽しむために産み落とされた空想世界。


 大層なことを口にしながら、そんな世界を終わらそうとしていた男がいた。


 アホみたいな男にその身体を奪われ、人格ごと消え失せた彼のことを思うと、バカみたいでクスリと笑えた。

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