38 歴史の裏、その真実

 そこで一つ、思い出したのである。


「渡辺と言ったわね」


「ユーリアたんが、ついにこの俺の名を呼ぶときが来たか! よく考えれば自己紹介もまだだったな。俺は渡辺彦一郎。次元を超えてやってきた、君の夫だ」


「貴方、黒の賢者との兼ね合いはどうなっているのよ」


 色々とツッコミどころが多い発言だったが、今はそんなのに構っている暇はない。


 中身がアホな男に成り代わったとはいえ、身体はカノンのものだ。


 黒の器の完成品。黒の賢者の魂を宿す身体。


 あのカノンの内面を育て上げたのは黒の賢者である。話を聞く限り、渡辺はただの一般人。その影響を無視できるとは思えない。


「君の心配は無用だユーリアたん。確かに黒の賢者は世界に終わりをもたらさんとしたが、真実を知った彼女にその意思はもうない。信じ、愛した者に裏切られ、絶望から一度は終わらそうとしたこの世界。今を生きる者たちに罪はないと思い直し、尊きこの世界をこれから見守ってくれるとのことだ」


「……ちょっと待ちなさい。少し考えさせて」


 次から次へと口にする渡辺に、私は待ったをかけた。


 真実? 裏切られた? 世界を見守る?


 あのカノンの内面を作り上げた黒の賢者。それがこんなアホな男の言葉一つで、ひっくり返ったというのか。しかも黒の賢者のことを、彼女と呼んでいなかったか。


 歴史がひっくり返りそうなことをさらっと話され、私は混乱していた。


「オタクの早口がキモくて、ユーリアもドン引きしている」


「脳みそがペラペラの貴様と違って、ユーリアたんは思慮深い。ユーリアたんは重くこの話を受け止めているだけだ」


 黙りこくってさっきの話を頭で反芻していると、田中と渡辺が言い合った。


 そう、この世界は彼らにとって物語の世界。そして渡辺は、この世界で知らぬことはない、と言い切っていた。


 どうやら彼は、歴史に隠れた全てを知っているようだ。


「黒の賢者に、一体なにがあったのよ」


 カノンに話を持ちかけられ、世界に終わりをもたらさんとする黒の賢者の意思を知った。ただそれに至る経緯までは知らなかったし、知ろうともしなかった。


 歴史の裏に隠された真実。


 私の問いかけに渡辺は、メガネの山を押し上げるなりニヤリと笑った。気のせいかレンズが光ってさえ見える。


「少し長い話になるが君に全てを語ろう。そもそも六賢者と語り継がれている彼らだが、かつては五聖賢と呼ばれていたんんだ」


「五聖賢……?」


「当時魔神軍と戦い続けてきたセレスティア人だったが、戦況は防戦一方。魔物は疲弊することも死を恐れることもない。それを束ねられ明確の意思で攻めてくる魔神軍は、当時のセレスティア人にとってあまりにも凶悪すぎた。


 世界の危機だ。セレスティアでも名高い魔導師たちが一同に介し、魔神軍に対抗するための研究を推し進めてきた。それこそが五聖賢と呼ばれた、後に賢者として語り継がれる魔導師たちだ。


 その成果として、彼らは一つの魔導術式を生み出した。オドを介さず、直接マナに働きかける秘法。無限に等しい魔力を振るえる秘技」


「黒き黎明ね」


「うむ。際限なく魔力を扱えるその力があれば、魔神軍との戦況はひっくり返る。だが黒き黎明は人の身、その魂で耐えられる術式ではなかった。五聖賢の手にもあまるほどだ。黒き黎明の運用は不可として諦めんとしたが、後に朱の賢者と呼ばれる魔導師がこう言ったのだ。『人の身で扱えぬのなら、扱えるヒトを創ればいい』」


「まさか、黒の賢者って……!」


「そう、禁忌に手を染めた賢者たちに生みだされたホムンクルスだ。賢者たちが力を合わせ魔神を倒したと語り継がれているが、真実は違う。彼女一人の手によって戦況をひっくり返し、ついには魔神を討ち取ったのだ。黒の賢者こそが世界を救った、たった一人の勇者だったんだ」


「ならなんで自分が救った世界を黒の賢者は……いえ、そういえば裏切られたと言っていたわね」


「たった一人で世界を救うほどの、神がごときその力。平和の世に神などいらぬと、五聖賢は黒の賢者を裏切ったんだ。そして奪われたのは命だけではない。その栄光は六賢者という形で等分され、黒の賢者の謀殺は歴史の闇に葬られた。


 時は流れ、真の歴史を知る者がなきこの世界で、黒の賢者の意思は目覚めた。自らの魂を黒き黎明として仰ぎ、適合する器を作り続けてきた一族のもとでな」


「リーゼンフェルト家ね」


「黒の賢者自身、なぜリーゼンフェルト家に自らの魂が、黒き黎明として伝わったのかはわからなかった。自らを裏切った者たちは誰一人世界に残っていない。だが彼女は誓った。かつて自らを救ったこの世界を終わらせんとな」


「そんな復讐者になにを語ったの? どんな真実を伝えれば、世界を見守ろうだなんて思い直せるのよ?」


「確かに黒の賢者は世界を終わらさんとするほどの絶望の底にいた。ただしそれは、世界に裏切られたからではない。生みだされた後、自らを育てた親であり、師であり、兄であり、そして恋人であった者に裏切られたことこそが、黒の賢者を絶望へと堕としたんだ。だから俺は黒の賢者に真実を告げた。蒼の賢者は君を裏切ってはいない、とな」


「蒼の賢者が……恋人だった?」


「蒼の賢者だけは、黒の賢者の謀殺に関わっていなかった。終わった後に全てを知り、蒼の賢者は悲哀にくれながらも、黒の賢者の魂だけは保護できたんだ。そして蒼の賢者は黒の賢者を蘇らせんと決意した。ただしそれは当世で叶うものではない。ならばその願い、後世で叶えんと計画を打ち立てた。自らの血を引く末裔に、黒の賢者の魂を黒き黎明として伝え、その器を作らせる計画をな」


「待って……それじゃあリーゼンフェルト家こそが、正統な蒼の賢者の末裔だというの?  じゃあラクストレーム家とリリエンタール家は一体……」


「蒼の賢者、その破門された弟子の末裔だ。蒼剣ブラウエーデルシュタインは、破門された際にその弟子が盗み取ったものだ。


 長い時が流れる中で真実は歪み、リリエンタール家とラクストレーム家は蒼の賢者の末裔と騙られるようになり、リーゼンフェルト家は黒の賢者の末裔と呼ばれるようになったんだ」


「あれだけ誇りある血だと言われてきたものが、実はただの盗人の血だったなんてね。……でもなんで落ちこぼれであった煌宮蒼一が、蒼き叡智に色を取り戻したの?」


「蒼き叡智の力は魔導書に宿っているわけではない。あの魔導書は魂に刻まれた、蒼の賢者としての記憶を呼び起こすものにすぎない。そう、煌宮蒼一は蒼の賢者の転生体だったんだ」


「あの魔導書は初めから煌宮蒼一のための物、ね。我が家もリリエンタール家も、手に入らぬ物に振り回されてきたなんてバカみたい」


「蒼き叡智は生命の源泉たるエーテルを、魔力へと還元する力だ。後世への仕掛けを終えた蒼の賢者は、その生命を全て使い果たし、時代を指定し転生魔法を使った。その転生先で魂が宿った身体こそが、煌宮蒼一だったんだ」


「この時代を選んだことに、理由でもあるの?」


「この時代で黒の器が完成する予定だったからだ」


「まさか蒼の賢者は……」


「全ては黒の賢者とまた巡り合うため。そのためにこんな壮大な計画を立てたわけだ。しかし蒼の賢者の人格が煌宮蒼一に目覚めることはなく、失敗に終わってしまったがな」


 世界を救う役目を押し付けられ、最期には謀殺された黒の賢者。


 この世界を救ったのは彼女であるのなら、それを取り上げる権利は確かにあろう。例えかつての裏切り者たちはおらず、歴史の真実を知る者はいなくとも、行き先のない怒りの矛はこの世界で振り下ろすしかあるまい。


 ただし、彼女は真実を知った。


 愛した者がこの世界で、自分と再び巡りあわんとした計画を立てた。彼はこの世界で目覚めることはできなかったけれども、その魂は確かにこの世界に残っている。


 振り下ろした矛でその魂を傷つけんとすることが、彼女にはできなかったのだろう。


 黒の賢者はそういう意味では、いつの日か蒼の賢者が目覚めるのを期待しながら、世界を見守っているというところだろうか。


 学んできた歴史の裏に、こんな真実が埋もれていたとは。


 まさかこんな形で知ることになるなんて。


 流石の私も驚かされたというものだ。


「田中、ついでにビール取ってくれ」


「私、チューハイ。レモンのやつね」


「これ作ったら持ってくから待って」


 歴史がひっくり変えるほどの真実の語られた傍らで、興味なさそうにしている三人がいた。

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