26 雅ちゃん

「庭キャンをやるぞ」


 小太郎の人生が壊れた、その日の放課後。


 ネタバレで一人の人生を壊した男の、開口一番がそれだった。


 放課後とはいえ、終礼が鳴り止んだ直後である。講師が退出していない中、慣れたように窓からカノンが出入りしてくるその光景。その登場に視線を一斉に集めるも、すぐにそれは散っていった。


 関わり合いたくない。そんな空気が教室に充満している。同時にカノンの奇行に慣れてしまったとも言える。


「ニワキャン……?」


 実際、ソフィアが抱いた疑問は、その登場にではなく聞き覚えのない単語にだった。


「庭でキャンプの略だ」


「唐突だな。インドアのおまえが、またなんで?」


「前に勧めた、キャンプをするアニメのことは覚えているか?」


「……ああ、そんなのも勧められたな」


 女子高生がキャンプをする作品らしく、キャンプブームをもたらすほどにヒットしたとか。


 今度それの二期が始まる。絶対に面白いから一期を予習しろと言われていた。現行のアニメも消化しなければいけないのだ。次から次へと勧められても消化が間に合わず、ついぞ見ることなく最期を迎えてしまった。


「この奇跡なければ、今頃あれの二期を見ていたんだろうな、とふいに思ってな」


「それで急にキャンプがしたくなったわけか」


「だが今すぐキャンプ場へ行くぞ、と言うわけにはいかんだろう? 妥協案として、庭キャンをしようというわけだ」


「……おまえ、キャンプとかしたことあるのか?」


「任せろ。アニメだけで終わらず、原作のマンガも読み込んでいる」


 自信満々にメガネをクイッとする渡辺。なぜここまで自信に満ち溢れているかわからない。


 そんな話をしていると、鈴木と田中がやってきた。


「二人とも、庭キャンをやるぞ」


 当然、開口一番にそんなことを言われても首を傾げるだけだ。発言の張本人から聞き出すのを早々に諦めたのか、二人の顔はこちらを向いた。


「オタクはすぐアニメの影響を受ける」


 簡潔に答えると、二人はすぐに納得した顔をする。


「寒空の下、わざわざ防寒対策をして庭で寝るっていうの? 私は絶対嫌よ」


 いかにも嫌そうな渋面を鈴木は浮かべた。


 ここは関東地方ではなく北国。そろそろ五月だというのに、最低気温は未だにマイナスだ。そんなクソ寒い中、わざわざ庭で寝るとか正気ではない。


「わたしは賛成。折角の広々とした庭がある。活用しない手はない」


 鈴木の反対に対し、田中はまさかの賛成派。俺や鈴木だけではなく、庭キャンをやるぞと言い出した当人すら驚いている。


「本気で言ってるの田中? 明日の最低気温もマイナスよ」


「白い息を吐きながら起きるなんてごめんだな」


「鈴木も佐藤も、キャンプを誤解してる。テントで一夜を明かさないと、キャンプにならないわけじゃない」


 そういえば田中は両親の影響で、アウトドアに強いのを思い出した。


 初めてその本領を見たのは、大学の先輩に誘われ、キャンプへ行ったときの話だ。


 先輩の横の繋がりで、二十人という大所帯となったその集まり。アウトドアはズブの素人であった俺と比べ、テキパキと動ける田中はあっという間に輪の中心に溶け込んでいた。


 なお、渡辺もそのときのキャンプに誘われたのだが不参加だった。


「リア充陽キャの集会はちょっと……」


 と言って来なかったのである。おそらくそのときは、キャンプ熱が冷めていたのだろう。そして二期を間近にして、再燃したというところか。


 男と女の割合は半々。しかし軟派な雰囲気はない。人を選んだのがわかる健全な集まりである。


 田中はそこで原野雅と出会ったのだ。


 原野雅は田中のように両親の影響を受けている、アウトドア畑の美人である。純粋にアウトドアが好きなのだが、恵まれた容貌も相まって男に絡まれやすい。それもあってシモネタが大嫌い。だから男女混合で集まりながらも、健全に楽しめるのは貴重な場なのだ。


 顔がセクハラと揶揄されてきた田中は、女に期待せず端から諦めている。下心を持たぬゆえに、同好の士として原野雅とは大層話が盛り上がっていた。連絡先の交換は、彼女から持ちかけられたらしい。


 美人な上に趣味も一緒だ。こんな良縁は二度とないだろう。


 何度もデートを重ね、手も繋がないプラトニックな関係は一年間ほど続いた。だがある日、ついには向こうから手を繋いできたのである。それは原野雅の心を掴んだ、その瞬間だったのかもしれない。


 田中の我慢強さもあったろうが、やはり鈴木の功績も大きかろう。女心と扱いをまるで知らぬ田中のために、鈴木がサポートについていた。田中の恋を全力で応援していたのだ。


 だから俺も鈴木に倣って、全力を出すことにした。


 原野雅が参加する飲み会に潜り込み、近くの席をキープし、彼女の知らない田中の顔を語ったのだ。


 例えば家の鍋で性具を温めるとか、人の家に性具を置いていくとか、人の誕生日に性具や避妊具を送ってきたとか。極めつけはネカマとして男を陥れるのを生業にしているなど。


 あくまで近くの席の者たちに語りながら、原野雅に聞こえるよう盛り上がったのだ。


 原野雅はシモネタが大嫌いな潔癖な女の子である。田中との関係に不和が訪れるのは言うに及ばず。田中の人生唯一のチャンスは、無事にこうして潰れたのである。


「外で焼き肉を楽しむくらいの気軽さでやればいい。雰囲気を出したいならタープでも張れば充分。庭でちょっとやるくらいなら、ホームセンターで道具は揃う」


「そうだ。実は俺も、そのつもりで庭キャンをやろうと提案したんだ」


「絶対に嘘。渡辺のような影響されたオタクは、必ず形から入る。道具をまとめて揃えるところから始め、いざ始めてみれば準備や下調べ不足で、ぐだぐだになる光景が容易に浮かぶ。氷点下のテントの中、適当に選んだ寝袋で凍えてくたばれカス」


 便乗されたことに相当イラっときたのだろう。田中にしては珍しい圧を持って中指を立てている。あの渡辺が息を飲みながら一歩引いていた。


「そういうわけで今日は庭キャン。それでいい?」


 田中の提案に、首を横に降るものは誰もいなかった。

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