19 そういうこと

 リビングに入ると、ソフィアは放心した。二人きりを期待してやってきたその家には、既に女が上がりこんでいたからだ。


 鈴木たちは俺たちが持つ袋を見て、ソフィアの訪問理由をすぐに察した顔をする。


「……ソーイチ?」


 悲しげな顔をソフィアは向けてきた。


 引っ越しは二人だけの内緒と言っておきながら、いざ来たらこの様だ。裏切られた気持ちになっても無理はない。


「俺もまさか、こんなことになるとは思わなかったんだ……」


「こんなことに……?」


 思いもよらぬ単語が出て、ソフィアは首を傾げる。


「この家は既にリリエンタール家の持ち物。家主は私。彼はその居候なの」


 得意げな笑みを鈴木はソフィアへ向ける。


「居候……それって、もしかして」


「ええ、今日から私たちはひとつ屋根の下で暮らすのよ」


「そんな……」


 鈴木とは真反対な、今にも泣きそうな表情がソフィアには浮かんだ。


 私たち、という辺り鈴木の性根の悪さが伺える。それではまるで、蒼一とクリスの二人暮らしのように聞こえる。


 想い人がまさか女と二人暮らし、というショックをソフィアは受けた。


 渡辺と違い、鈴木はソフィアになんの思い入れもない。俺のあらゆる芽を潰せるなら、ソフィアへその牙をかけるのに容赦はない。


「その私たちは、俺を含めての全員だ」


「か、カノン様」


 肩越しに振り返ると、トイレから戻った渡辺がいた。俺たちが出入り口を塞ぎ、中に入れずにいる。


 道を作ったソフィアを横切る渡辺を、鈴木は面白くなさそうに見た。


「俺の前で、嫁キャラソフィアを悲しませるやり口を取るとは、いい度胸だな鈴木」


 メガネをクイっとしながら、渡辺は鈴木と対峙する。


「はんせーしてまーす」


 顔をそむけながら、鈴木は投げやりに白旗を上げた。


 普段のパワーバランスは鈴木が圧倒的に上であるが、今はこの世界。鈴木と第四の嫁。渡辺がどちらの味方をするのは口にするまでもない。


「まずは座ってくれ。説明をしよう」


 カノンの姿にそう促されると、ソフィアも従うしかない。小動物のようにびくびく俺の袖を掴みながら、寄り添うように腰を下ろした。


 渡辺は卓上に平手を向けながら、


「ああ、晩飯はまだろう? 適当に摘んでくれ」


「あ、ありがとうございます……あの、よろしければ、わたしが持ってきたのも皆さんで……」


「ありがとう。飲み物は……ソフィアに出せるものがないな。ひとっ走り行ってこよう」


「あ、あの……! クリスティーネさんと同じ物で大丈夫です!」


「そうか……? ならグラスはこれを使ってくれ」


 差し出されるがままにグラスを受け取るソフィア。渡辺はそれに酌をする。


 甲斐甲斐しく率先し渡辺は世話を焼く。あまりにもカノンという人格に相応しくないその有様は、ソフィアにとって恐怖体験である。


 恐怖を鎮めるかのように、注がれたそれをすぐにぐいっと飲む。


「ごほっ!」


 ソフィアは思わず渡辺に向かって噴き出した。


 オレンジジュースかと思っていたそれは、鈴木ですら濃いと思うほどのカクテルだ。想像と違う物を口にして、噴き出してしまうのは当然である。


「も、申し訳ありませんカノン様!」


 次期リーゼンフェルト家当主であり、黒き黎明を手にした世界最高峰の魔導師に、口に含んだものは顔面に吹き掛けたのだ。


 ソフィアの胸中は、あらゆる負の感情で渦巻いているだろう。


「大丈夫だ、ソフィア」


 水滴が滴るメガネをクイっとしながら、


「このくらいただのご褒美だ」


 渡辺は胸の奥から湧き出す思いを口にした。


 第四の嫁が口に含んだものを、顔面にかけて頂けたのだ。田中に差し出されたティッシュ箱を「このままで構わん」と辞する姿はまさに本物である。渡辺クラスになると、ビンタをされても触れて頂けたと喜ぶだろう。


 ソフィアは狐につままれたように呆然とするだけで、気持ち悪いと思う暇もないようだ。


「さて、ソフィア。俺たちの共同生活を聞いて、驚いただろう」


「は、はい……」


 顔面に水滴を滴らす渡辺に、ソフィアは落ち着かなそうだ。


「知っての通り、煌宮蒼一は蒼き叡智を手にした。なんの後ろ盾もない、地球に生まれた一般人がだ。それがどういう意味か、君ならわかるだろう?」


「ソーイチが……まさか、そういうことですかカノン様……!?」


「そういうことだ。煌宮蒼一は今、難しい立場にある」


 両手で口を押さえたソフィアに、渡辺は深刻そうにかぶりを振った。


 そういうことだとは、一体どういうことなのか。


 ツッコミたいところであるが、先を見守ることにした。


「俺たちがここに集まったのは、つまりそういう経緯だ」


「そういうことだったんですね。皆さん、ソーイチのために……」


「そういうことだ。なに、この程度の憎まれ役、大したことはない。だろ、皆?」


 メガネをクイっと上げて、渡辺は周りに振った。


「そういうことよ」


「そういうこと」


 ふたりともそういうことだと頷いた。


 だからそういうことって、どういうことなのか。


 ソフィアは感動したように目頭を濡らしながら、俺の手を両手で包んだ。


「そういうことだったんだね、ソーイチ。……ソーイチが無事でいられるなら、わたしはそれが一番嬉しい」


 ソフィアの中での俺の立ち位置は、どういう状況に立たされているのか。


 渡辺をちら見すると、ただ黙って頷いているだけ。


「心配かけてごめん。俺もさっき知ったばかりだが、そういうことだったらしい」


 ソフィアの濡れた目頭を拭う。


 ともかくそういうことらしいので、そういうことにしておこう。

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