18 この作品の登場人物はすべて20歳以上


「かんぱーい!」


 高く掲げられる銀の缶。


 ぶつけ合うことで生まれるその音は、新たな門出を祝う音色となる。


 各々がペースで一杯目を喉の奥に流し込む中、真っ先に缶から口を離した鈴木。


「しかし田中の絵面は、なんか犯罪ね」


 田中を横目に、ついそんな感想を漏らしていた。


 あどけなさを残したサクラの顔立ちだが、呷った350ミリ缶をあっという間に空にする姿は、あまりにも男らしすぎる。愛らしい少女がこのように飲酒する姿は、まさに絵面が犯罪的だった。


 わかりきっていた光景であるが、乾杯前に渡辺が、


「いいか。蒼グリの原典はエロゲ。この作品の登場人物はすべて20歳以上だ。パッケージやゲームの始まりにもちゃんとそう明記されている」


 と言っていたので、絵面があれでも問題はない。


「ぷわっ」


 声色とは対照的に、空の缶をテーブルに叩きつけるその姿は男らしさが溢れている。


「不味い。二杯目は無理」


 そして一気に飲み干しておきながら、眉をひそめながらそう言った。


「右に同じく。やっぱり身体が変わると、味覚も変わるようね」


 田中に倣うように、鈴木もまた苦々しく顔を歪める。


 確かにいつもよりビールの味が苦く感じた。そういうビールなのかと思ったが、やはり味覚の問題らしい。ただしそういうものだと思えば、不味いというほどでもない。渡辺の顔色を横目で見ると、同じような感想なのが伺えた。


「やはり頼んでおいて正解だった」


 田中は立ち上がると、冷蔵庫へと足を向ける。市販の氷とパックのオレンジジュースを取り出すと、ガラスの水差しにそれらを全部注ぎ込む。


 サクラの舌は子供舌であるので、諦めてジュースへ走った。わけがない。


 ウォッカをそこに注ぎ込んだ。スクリュードライバーの完成である。


 「他に飲みたい人はいる?」と言う田中に、鈴木だけが手を上げた。元々ビールが美味しいのは最初の一杯だけ、後は惰性、が奴の持論である。ただでさえ美味しく感じないのだ。無理やり飲んだりしないのも穏当な流れだろう。


 残った俺と渡辺は二杯目もビールで続投だ。なぜか。ビールとウォッカ以外、酒は買い込んでいない。買い出し班俺と渡辺が無能だっただけの話だ。


 結局あの後、あがいても仕方ないので観念することにした。


 文句や不貞腐れる資格はあるが、覆らないものは覆らない。ぐだぐだ言っても仕方ない。


 女をいざというときに連れ込めない、ということにさえ目を瞑れば、贅沢な生活を送れるのだし悪くはない。三人は生前の庶民から一転、湯水の如く金を扱える貴族組。後は適当に揃えさせた、という調度品も目に見えて良い物ばかりだ。


 いいご身分となったものだと羨んだが、テーブルに並ぶのは宅配ピザと寿司の出前。贅沢の結果がこれな辺り、庶民脳から抜け出せていない。貴族の宴とは程遠い。


 田中はグラスに注いで、ソファーに腰掛ける鈴木に手渡した。


「ありがとう。――うっわ、濃っ!」


 田中特製を口にした鈴木は、吹き出すのをこらえている。


 それを見て、もうクリスは改めて死んだのだと実感した。仕草一つとってもそうだが、ノースリーブのシャツにジーンズ、その上にカーディガンを羽織っているその姿。かつての前期の嫁の面影はない。ただの鈴木であり、生前の顔がダブってすら見える。


「ん、確かに少し濃い」


 鈴木を尻目に、田中はがぶがぶ飲んでいる。田中の少しは、常人の少しではない。鈴木の反応を見るに、度数は十度の後半はいってるだろう。


 そんな田中の服装もまた、鈴木のように私服へと着替えられていた。白と黒のワンピースはお嬢様風。ぺたんこ座りをしながら女であることを全力で楽しんでいた。


「前から思っていたんだが、ビールと寿司って合わなくないか?」


 一方渡辺は、チノパンに黒のTシャツとシンプル。かと思われるが、そのTシャツがこれまた酷い。


 誰かしらのキャラを象ったシルエットの上に、蒼き叡智の魔導書グリモアールと書いてある。いわゆる痛シャツだ。しかもこの世界には確実にないグッズである。間違いなく特注で作ったのだ。


 こうして円卓を囲う様を見渡すと、田中以外服のセンスが変わらぬせいか、姿形は変われど見慣れた光景が広がっている。特に渡辺などその安定感が凄い。


 ビールを補充するため立ち上がるなり、「ついでに俺のも」という渡辺の声。キンキンに冷えたそれを手渡し座ろうとすると訪問を伝える、面白みのない音が響いた。


「佐藤」


 俺の名前だけを呼ぶと、それ以上鈴木はなにも口にしない。あんたが行って、と暗に言っているのだ。


 舌打ちをしながら、玄関へと足を向ける。


 まさかテレビの匂いを嗅ぎつけやってきた尖兵か、と苛立たしげに「はいはい」言いながらその扉を開いた。


「あ、ソーイチ」


 そこには制服より着替えられた、ワンピース姿のソフィアがいた。


「ソフィア? どうしたんだ」


 入居初の訪問客。教室ではいつも隣に座るその少女に、つい丸くした目を見せてしまった。


「ソーイチ……今日、寮から引っ越すって言ってたから」


 もじもじしながら顔を赤らめているソフィアは、目を少し逸らす。


 ソフィアには寮をその内出る旨を、進学した初日に伝えていた。この屋敷に決めたときも、すぐに話したのだ。


 この事故物件は学園でも有名であり、ソフィアもその存在は知っていたようだ。


 心配そうにしていたが、「二人だけの秘密だ、カス共クリスたちには内緒だぞ」と言うと、両手を合わせ嬉しそうに力強く頷いてくれた。


「引っ越してすぐだから……もしかしたらご飯の用意に困ってると思って」


 右手に持っていた袋をソフィアは差し出してきた。


 ビニール袋に印刷されたロゴに、すぐ思い至った。


 安くて美味い。作中でも出てきた惣菜屋のものだ。蒼一はそこの唐揚げとポテトサラダが好きという設定であり、ソフィアは当然心得ている。万年金欠な蒼一が引っ越し初日にピーピー言っていると思って、差し入れしてくれたのだ。


 寮から見て、惣菜屋の方角と、この家の方角は真逆である。ちょっとこの家に向かう途中で、というわけにはいかなかったはずだ。


 受け取るとずっしりと重い。一人分の量ではない。


「ありがとう、ソフィア」


 その好意は煌宮蒼一に向けられているものであれ、甲斐甲斐しさは胸を打つ。


「後……引っ越しのお祝い」


 後ろ手にもう一つ、ソフィアは袋を隠していたようだ。今度はそれを差し出すのではなく、両手で持つと、朱色に染まった頬を隠すように持ち上げた。


 これもまた、作中で出てくるケーキ屋のものだ。


 ホールケーキサイズとは言わないが、そこそこ大きい箱であることが見受けられる。およそ一人で食べる量ではない。


 鈍感系主人公ならいざ知らず、ソフィアの意図はすぐに察せた。


 よかったら上がっていかないか、という想い人の誘いを待っている。自分から上がっていい? と言えない精一杯の想いをそのケーキに込めた、乙女のいじらしさだ。


 ソフィアは期待している。


 進学して過剰なスキンシップを図る煌宮蒼一に、もっとその先を望んでいるのだ。


 このまま家に上げたら流されていただろう。ただしこの家はあのカス共の巣窟となっている。手を出せない環境は、果たして幸か不幸か。


 期待を寄せるソフィアの答えに窮していると、


「どうした佐藤」


 後ろから渡辺の声がかかった。


「宗教勧誘か? だったらこう言ってやれ。この世界の神は俺たちを選んだとな」


 トイレにでも用を足しに来たのか。リビングから一番近いトイレがこちらであるから、そのついでに声をかけたのかもしれない。


 ただし、その声はソフィアを慄かせる。


「カノン……様」


 あれだけ朱色に染まっていたその顔は、一気に血の気が引いていた。手にした袋を今にも落とさんばかりに、その腕からはガクンと力が抜けていた。


 俺にとってはただの渡辺だが、ソフィアにとってはこいつはカノン。ソフィアとリーゼンフェルト家の関係は今更言わずもがな。


「なんだ、ソフィアではないか」


 渡辺がこちらに近づいてくることに、ソフィアはビクンと肩を震わせた。


 目を合わせるのも怖いのか、顔を俯かせるソフィア。渡辺はそんな彼女の手に持つ物と、俺が手にした物に視線を往復させた。


「なるほど、引越しを祝いに来たのか」


 ソフィアの来訪の意図を渡辺はすぐに読みった。


「なら、いつまでも玄関口に立たせたままでいるな、このカスが。早く上がってもらえ」


 と、だけ俺に言い残し、渡辺はトイレにそのまま入っていった。


 あまりにもあっさりとしたその様に、ソフィアは呆気にとられる。え、それだけ、と拍子抜けしていた。


 俺も数瞬ばかしそう思った。ヒロインを渡さんとする渡辺は、追い返すような立場を取ると思ったからだ。だがよくよく思い出せば、ソフィアは蒼グリ第四の嫁だ、と前に言っていた。


 そんな渡辺がソフィアに辛辣な態度を取るわけがない。むしろ玄関口でグズグズしている俺に辛辣なくらいだ。


「上がって、いかないか?」


「あ、うん」

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