17 楽しい新生活

 蒼グリの世界、その時代背景を改めて思い知った。


 今はガラケーという言葉が、世間に定着する前の時代だ。世はまさにガラケー最盛期である。スマホがまともに使い物となるのは、まだまだ先の話だ。


 スマホがあればなんでもできる時代から遡り、手にしたのは古代の遺産。


 果たして電話とメール以外で、これでなにができるのか。そもそも友人間でメールのやり取りなんてしたことがない。


 初めてこの世界に来て、不便の二文字を実感した。


 渡辺は両手に一つずつガラケーを持ち差し出してきた。どうやらへし折られることは織り込み済みだったようだ。


 一つは先程叩き折ったものと同じもの。


 もう一つは極彩色のスライド式。


 どちらか選べというようだ。諦めて俺は、先程叩き折った機種を手にしたのだった。


「最後は私ね」


 立ち上がると、満を持してとばかりに鈴木が言った。


 鈴木、か。最後に恨みを残して死んだのだ。真っ当な祝いを贈ってくるか、はたまたオチ担当となるか、難しいところだ。


「安心しなさい。お祝いでふざける真似なんてしないわ」


 悩ましげに眉を寄せてしまっていたのが、見て取れたのだろう。鈴木は腰に片手を当てながら微笑を浮かべる。


「私が用意したのは、生活家電一式よ。全部いいものを揃えたわ」


「おおぉ」


 新生活をゼロから始めるなら、買い足さなければならぬ必需品だ。中古でまとめて買おうとしたが、まさかそんな形で先回っていてくれたとは。


 流石は鈴木。長い付き合いなだけはある。


 恋路を妨害するカスではあるが、常にスクールカーストの最上位に君臨していた奴だ。


 俺が持たぬ全てを持っており、持つ者の余裕ゆえに選り好みが激しすぎる。放っておいても向こうから寄ってくる鈴木は、一度として恋人を作ってこなかった。


 俺を邪魔する始まりの理由はただ一つ。


 俺に先を越されるのが気に食わない。


 極めて理不尽な理由である。俺たちの不毛な争いは、鈴木を起因に勃発したのだ。


「丁度来たみたいね」


 ピンポン、なんて面白みのない音を耳にして、鈴木は肩越しに振り返る。


 ガタイのいいお兄さん方によって、続々とそれらは家内に運ばれていく。


 梱包された家電が目の前で露わになる姿は、一つのサプライズであろう。娯楽のようにワクワクする瞬間だ。


 そんな中でもやはり、一番楽しみにしたのは冷蔵庫だ。


 貧しい生活の中で身につけた料理の腕は、俺の自信でもあり誇りでもある。俺にとっての新品冷蔵庫は、子供にとっての玩具箱ようなものだ。


 リビングとダイニングキッチンは、L字になるよう吹き抜けて繋がっている。二人のお兄さんによって丁寧にリビングを介して、それはダイニングキッチンへと運ばれた。


 そびえ立つように君臨したそれは、少女の衣を脱がすよう丁寧に梱包が解かれていく。


「おおぉ……」


 それは上品なまでに黒く輝いていた。6ドアタイプで、高さも幅もこの煌宮蒼一の姿を安々と凌駕している。家電量販店でしかお目にかかれない、一生縁遠いと思っていた容量の冷蔵庫が今ここに現れた。


「家庭用では、業界最大サイズらしいわ」


「いいのか、こんなもの。ちょっと贅沢すぎないか? もっと小さいものでもよかったのに」


「このくらい大きな家だもの。大は小を兼ねるというし、あっても困らないでしょ?」


「それもそうだな」


 憧れたサイズの冷蔵庫。買いだめした食材や作り置き。たまり場となることを踏まえ、鈴木たちがこれから持ち込むであろう品々を省みても、そこに圧迫感は生まれないだろう。


 冷蔵庫の中のゆとりは心のゆとり。ここは素直に鈴木へ感謝の念を送ろう。


 子供のように目を輝かせる俺を横目に、鈴木も贈った甲斐があったとばかりに微笑んでいる。


「すみません、これもこちらでいいですかね?」


「はい。このまま隣へ並べてください」


 お兄さんたちに鈴木が指示を出した。


 先程見たように梱包をされた、巨大な物体が再び目の前に鎮座した。梱包が解かれていくと、なぜか同じ冷蔵庫が再びその姿を現した。


 扇風機の首振りみたいに、しげしげとそれらを見比べる。


「なんで二台も……?」


「このくらいの大きな家だもの。大は小を兼ねるというし、あっても困らないでしょ?」


 笑顔を堪えきれないとばかりの鈴木を見て、嫌な予感がした。


「いやいやいやいやいや。こんな冷蔵庫、二つもいらないって!」


「いやいや、やっぱりこのくらい必要よ」


 なおも口元をほころばせながら鈴木は、


「皆で日夜共有するものよ。冷蔵庫の二つくらいはないと、これから困るでしょ?」


 意味ありげなとんでもない台詞をはいた。


 引越し祝い。その言葉が初めに出たときの鈴木の台詞が脳裏をよぎった。


『この家の新たな門出を祝って、私たち一人一人から、引越し祝いを用意しているの』


 引越し祝いを、この家に用意している。そこに俺を指す意味合いは含まれていない。


「おまえらまさか……ここに住む気か……ッ!?」


「女を連れ込む真似はさせない、と言ったでしょ?」


 ようやく真相に気づいたか、と鈴木の目は嗤っていた。


「ふざけるなカスが! 誰がそんなこと許すと――」


「立場をわきまえなさい。この家はリリエンタール家が買い上げたわ。家主は私。貴方はただの居候よ」


 絶句した。


 目を丸くしながら肩越しに振り返る。


「まさか……学園が、この物件を紹介したのは……」


「俺たちの差し金だ。こんなお得な事故物件、貴様が見逃すわけがないからな」


「契約の中身を知ろうとせず、学園任せにしたのが佐藤の敗因」


 渡辺と田中の目は、バカめと言っている。


 学園だけではない。カス共の監視の手は、プライベート空間へまで伸びてきたのだ。


「誰がこんなカス共がいる家にいられるか! 俺は寮へ帰るぞ!」


 寮へ戻った後、明日また学園側に怒鳴り込もう。今度は遠くてもいい。自分だけの城を手に入れるのだ。


「無駄よ、佐藤。自主退学をちらつかせても、もう学園は貴方の言いなりにならないわ。学園は煌宮蒼一を私たちに託した。二度と寮も借家も用意してくれないわよ」


 鈴木は悪どい顔でにんまりとしている。 


 学園もグルだったのだ。


 煌宮蒼一の扱いを学園が困っていたのはよく知っている。へそを曲げられ、蒼き叡智を手にしたまま去られるわけにはいかないからだ。そこを上手く突いて俺は交渉し、要求を通したのだ。


 クリス、サクラ、カノンの家柄は、この学園では突出している。三人が徒党を組めば、学園側をどのようにでも言いくるめることができる。煌宮蒼一のワガママを聞かず留めるためなら、いくらでも学園は三人を支持しよう。


 学園はもう、交渉が通用する相手ではなくなったのだ。

 初めからこの家は罠だった。……いや、最初から、俺に選択肢など与えられていなかったのだ。


「さあ、佐藤。楽しい楽しい新生活を初めましょうか」


 このカス共は、徹底的に俺を封殺するつもりだ。

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