16 月白邸

 敷地を囲うのは、外界を拒絶するかのごとくそびえる煉瓦塀。かつては鮮やかな赤褐色だったであろう名残はなく、今は乾いた血のようだ。


 右手に煉瓦塀を置くのなら、左手には小山の斜面が見受けられる。立ち並ぶ木々はその道行きへ、腕のように枝を伸ばしている。鬱蒼とした影を落とすその様は、まるで光を拒む天蓋のようだ。


 天蓋を越え、直角に折れるがままに煉瓦塀を横手に進むと、辿り着いたその門塀の先にその平屋は現れた。


 昭和モダンな雰囲気を漂わす、庭付き10LDK。


 学園の開校発表と共に、こぞって周囲の土地の値は跳ね上がった。グレーを通り越し、黒い地上げ屋がこぞって活躍したのだ。


 代々この屋敷の主たちは、永きに渡り名家としこの土地に根を張っていた。


 けれど栄枯盛衰は世の習い。時代の波に逆らえず、強引な手段を持って、ついにこの屋敷は抵当に出された。


 一族の最後の末路は一家心中。恨みつらみを残しながら、この世を去ったのだ。


 以後、この家にその身を置いた者たちは、必ず不幸な最後を辿る。かつての家主たちの最後を象るかのように、凄惨な死を遂げるのだ。


 その死者数、実に百人。大台に乗った大事故物件である。


 学園寮は大体が徒歩圏内に立ち並んでいる。一方で、アパートやマンションなどは周囲にはない。一軒家ばかりである。セレスティア生まれの裕福層が、独占しているのだ。


 学園近くで空き家を探すというのは、凄く大変であった。


 見つかったとしても、どれも徒歩一時間以上。


 物件自体はどれも目移りするものばかりだが、折角だし利便性にもこだわりたい。


 その辺りをこだわり続けていると、学園側は事故物件ではあるけれど、と出してきたのがこの屋敷であった。


 内見して一発で気に入った。これだけの家、生前なら絶対に住むことなど叶わない。あのボロ家と比べれば、同じ事故物件でも凄いステップアップ。なによりハーレムを築いたとき、家が広いことに越したことはない。


 が、カス共にそのことを知られてしまった。家の場所まで知られている。


「また事故物件? 佐藤はどれだけ事故物件が好きなの?」


 道中、諦めながらどんな家であるかを語ると、呆れるでも面白がるでもなく、田中はそんな率直な感想を口にした。


 徒歩十五分、渡辺を先導に鈴木と田中に挟まれながら、新たな城に辿り着いたのだ。


「あの家と比べると、随分といい家になったわね」


 所詮はゲームの世界と高をくくってるのだろう。百人の死者が出ていることに、鈴木はなんの感慨もないようだ。


「広い庭があるのがまたいい」


 この家を前にしておどろおどろしさなど感じないのか。田中の声には、うっすらと喜びの色が乗った。


「やはりこうして改めて目にすると、期待に胸が躍るな」


 その中でも一番満足げというよりも、楽しそうにしている男がいる。まるで憧れの観光スポットに来たかのようだ。


「月白邸。ついにこの家を満喫する日がやってきた。感涙ものだ」


「月白邸?」


「うむ。ここはファンディスクの中でも、とりわけ名作と名高い、蒼き叡智の狂想曲ファナティカーに出てくる邸宅だ。


 大筋としては、ある日、寮の一角が焼け部屋に住めなくなった蒼一に、学園が用意したのがこの月白邸。蒼一だけではなく、七人のヒロインたちがこの月白邸に住むこととなり、共同生活が始まるんだ」


 かくして、目を輝かせた渡辺の早口は始まった。


 学生寮は、男子寮と女子寮が分かれている。なのに学園が用意した仮の寮が大事故物件。しかも男一人と女七人という、早速のツッコミどころがもたらされた。


「その顔は、今の筋からただのラブコメだと思ったか? ふっ、浅はかな。どのルートでも世界観が共有されている原典とは違い、ヒロインのルートによって月白邸の世界観が様変わりする。


 殺戮鬼編から始まり死霊編、諜者編に忘却編。地下迷路編、帝都軍事施設編などなど、ミステリ、ホラー、サスペンスを存分に堪能できるシナリオになっている。しかしそれだけではない。そのシナリオは全て一つの物語に収束し、ついには白き夢幻編へと繋がっていく。ファンディスクだなんて軽い言葉で出されたがとんでもない。これは実質、蒼グリ2だ。もちろん、ラブコメ編もあるぞ」


 恍惚とした表情を浮かべる渡辺は、早口を止められず満足そうだ。


 そんな話を聞かされた俺たちだが、興味など惹かれるわけもない。ツッコんでいてはキリがなく、早々に抱いた感想はただ一つ。ただしそれを口にすると、最後である。


「クソゲー臭が凄い――ぐほっぁあ!」


「リョナも悪くない」


 この通り、腹パンが飛んでくる。


 サクラから出るとは思えない低いうめき声をあげながら、田中はその場で崩れ落ちた。仮にも第三の嫁の身体だというのに、渡辺はその頭に足を置いている。その目には、愉悦の色が宿っていた。


 渡辺と田中を放って、さっさと家へと上がる。


 これほど広い屋内だ。一度内見しただけでその全容がわかるものではない。かつて足を踏み入れた記憶を頼りに、リビングへとまずは足を向けた。


「実はね、佐藤」


 リビングへの引き戸を開けようとすると、


「この家の新たな門出を祝って、私たち一人一人から、引越し祝いを用意しているの」


 鈴木がそんなことを口にした。


 引越し祝い? その言葉の意味を受け入れる前に、その光景は目の前に広がった。


 寒色系の市松模様が、縦横に敷き詰めらるよう走っている。内見のときに目撃した、床材に染み付いた血の跡。それがカーペットによって隠されていたのだ。


 隅にはソファが置かれ、その前には重厚なローテーブルの姿が見受けられた。大木の切り株に足をつけたような、アンティーク品のような佇まいだ。


「これらは……わたしから」


 腹を押さえながら、四つん這い姿の田中。ここまで這うようにしてやってきたようだ。


「いくら事故物件が気にならないといっても、あんな染みが憩いの場にあっては気になる。センスは佐藤の趣味に合わせたつもり」


「おおぉ」


 ボロ家時代のリビングは畳であった。その上に引いた安物のカーペットは、まさに市松模様の寒色系。その上には折りたたみの丸テーブルを置いて、よく皆で囲んだものだ。


 目頭が熱くなる思いとはこのことである。


 一国の城を手に入れたとはいえ、奨学金という形で給付されるそれは高が知れている。バイトをせずに済むのは素晴らしいとはいえ、贅沢な毎日を送れるわけではない。


 これから買い揃える家具は、厳かな家には似合わぬ三流品。全てが妥協の産物となったであろう。


 一体田中に、どんな心境の変化があったのか。


 大学に入って初めての誕生日。贈られたのは定価千円の一回使い切りの男性用性具。二回目は業務用の大量の避妊具。そして直近だと、ピンク色の電動性具をニヤニヤと贈ってきた。最初以外は見事に嫌がらせである。


 それがこんな良いものを贈られるのは素直に喜ばしい。


「次は俺だな」


 メガネをクイっとあげながら、渡辺は登場した。


「これからの情報社会を戦い抜くのに、一番必要なものを用意した」


「パソコンか?」


「もちろんそれもあるが」


 ニヤっとする渡辺。


「光回線の工事は既に済ませている。リーゼンフェルトの名を振りかざして、特急でやってもらった。今日から早速使えるぞ」


「なんでこいつ、勝手に人の家に工事を入れてるんだ」


「人間らしい生活は、全ては光があってこそだ。心配するな。契約の名義はリーゼンフェルトになっている」


 得意げな表情をする渡辺だが、こいつのやっていることは絶対におかしい。確かにあの家にポケットwifiを持ち込んでくれたが、やっていることの規模が違う。


「それと、もう一つ渡しておくものがある。俺たち現代っ子には、かかせないものだ」


「もしかして、これか」


「御名答だ。連絡はいつでも取れるようにしたいからな」


 平たい板を耳に当てる真似をする俺に、渡辺は首肯しながらポケットに手をいれた。カタカナ三文字を頭の上に浮かべていると、それは差し出される。


「これ、は……」


 想像していたのは、一枚板の携帯電話。表がディスプレイで、裏はリンゴマークのシルエットだ。


 なのに手渡されたのは、黒光りのカラーリングが施された、二つ折りの物体である。


「ガラケーだ」


 その正体は余計な長音符がついている、古代の遺産であった。


「二月に出たばかりの新機種だ。3.0インチのワイドディスプレイで、テレビが見られる機種だぞ。外部メモリは2GBまで対応していて、カメラはなんと二百万画素だ」


 渡辺の説明を耳にしながら、パカパカと開いたり、ポチポチとボタンを押したりする。ディスプレイ部分を横に力を入れると、抵抗なく九十度回転した。持ち手側と対比したときL字となることなく、T字となっていた。


 パカパカパカパカパカパカパカパカと何度もやり、最後には本来曲がらない方向へとへし折った。

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