15 渡辺の成り上がり

「それで鈴木。貴様は今、なにか言いかけていなかったか?」


 ゾッとしている鈴木は、一生懸命身振りで否定する。渡辺のヤバイスイッチを再認識したのか、鈴木はそれ以上の追求は止めたようだ。


「ま、いい機会だ。この世界と、俺たちの世界。調べた限りの違いを伝えておこう」


 設定のガバなどなかったかのように、渡辺は落ち着きを取り戻す。


 俺たちの世界とは、生前の世界との違いを指している。


 大事な話なので、皆が渡辺の言葉に耳を傾けた。


「まず門が開いた二十年前、それ以前の歴史だ。門が開く以前のアニメやゲーム、マンガなどの歴史は、俺たちの世界と変わらない」


 だというのに、語り始めたのは得意分野の歴史。鈴木が聞いていることを考慮してか、具体的な作品名まではあげていない。


「異世界の存在は世界中に衝撃こそ与えたが、それ以上の情報は全て伏せられてきたんだ。創作者たちに実感がわかず、八十年代の作品への影響が少なかったのも頷ける」


 マンガやアニメの歴史はともかく、その辺りは蒼一の記録に一般教養としてある。どんな異世界なのかだけではなく、魔法の存在すらも伏せられてきたのだ。


「門が開いて三年後、セレスティアという異世界、魔法の存在、それを学ぶ学園を二年後に開校する。その全ての情報が公開された。九十年代の作品へ与える影響は計り知れない。……が、異世界ブームはすぐに落ち着きを見せた」


「マナの問題ね」


 鈴木の鋭い答えに、渡辺は満足げに首肯する。


「地球へもたらされたマナは、日本列島どころか、この北国を覆いきるほどではなかったからな。恩恵のない国民にとって、異世界も魔法も、身近なものではない。それこそ他人事だ。作品に与える影響は、俺達の世界と大きく乖離するまでに至らなかった。オタク文化の歴史は、似たような歴史を辿りつつあるんだ」


 両手を大きく開き、これがどれだけ素晴らしいことであるか、と言わんばかりの鼻息の荒さ。どうやら渡辺にとってここからが本番らしい。


「似たような設定やキャラが人気を取り、順調に文化は育っていった。ついに第四世代に突入しようとしている現在のオタク文化は、市民権を得るまで秒読みだ」


 メガネをクイっとする渡辺は、不敵な微笑を零した。


「俺はそこでオタクせかいの神になる」


「神……?」


 その宣言の意味がわからぬ鈴木は、なにを言っているんだこいつ、とその顔に描きながら眉間に皺を作った。


「ま、まさか……渡辺」


 田中は未だ苦しみから脱せずいるが、絞り出すように声を出した。渡辺が言わんとしていることに、思い至ったのだろう。


 俺もまた、渡辺が思い描いた図はすぐにわかり、田中の意思を継ぐように口を開いた。


「先人のヒット作をパクる気か……?」


「ふっ、人聞きの悪いことを言うな。リスペクトと呼べ。その先で俺はミリオンを連発し、声優と結婚してみせる」


 したり顔の渡辺は、人の努力の結晶をかすめ取る、実にカスみたいな所業を行うと宣言した。


 二次元を愛する渡辺が、創作者としての一面を持つのは穏当な帰結だ。イラストで小遣い稼ぎをできるくらいには絵が上手い。


 ただし渡辺は二次元熱に反し、自らの才能にはドライであった。創作者として食っていけないと、早々に見切りをつけている。好きな創作だけをして、小遣い稼ぎでとどめているのだ。


 創作者として大成することを諦めていた渡辺に、芽が出た。オタク業界が同じような道を辿っているのなら、渡辺の脳内はまさに業界の宝箱。


 これこそが異世界転生、タイムリープものの醍醐味と言わんばかりに。二次元業界での大成を目論んだ。


 これぞまさに、渡辺カスの成り上がりである。


 先人たちの大作を尻に敷く様は実にカスであるが、その野望には誰も興味がない。


「はいはい、勝手に頑張りなさい」


 呆れたように鈴木はそう呟くと、


「そういえば佐藤。私たちに、なにか言うことはないの?」


 なんて突拍子もなく話が飛んだ。


 一体なんの話だと数瞬悩むも、


「くたばれカス共?」


 カス共への恨みしか出てこない。


「報告、といってもいいわね」


 鈴木は気を悪くすることなく、口元をほころばす。


「佐藤、今日から学生寮を出るんでしょう?」


 他愛も無い日常の一コマを語るかのような口ぶり。


 俺はそれに、声を失った。それこそ恐ろしい怪物に見つかってしまったかのように、この目を剥いたのだ。


「なんでも学園が、貴様のために一軒家を用意したらしいな」


「わたしたちは友達。そういう報告がないのは悲しい」


 渡辺、田中の耳も入っていたのか、どこか優しげな眼差しが向けられる。その眼球の奥に眠るおぞましいものを、俺はひしひしと感じ取っていた。


 そんな三人の目から逃げるように顔をそむけた。


「な、なに……どうせ気ままな一人暮らしだ。わざわざ報告する――」


「女を連れ込む真似はさせないわよ」


 鈴木はずばりと言った。


「落ちこぼれが蒼き叡智を手にしてから、本編が始まるまでの空白の二ヶ月。煌宮蒼一は

軟禁生活を余儀なくされた。なぜなら……は横に置くとして、貴様がその期間に、学園と交渉したのは既に調べがついているぞ」


「奨学金の給付と、一軒家の借り上げを要求したようね」


「自主退学をチラつかせながら、蒼き叡智を盾にして要求を通す。流石、佐藤。貴方らしい要領の良さ」


 三人とも、讃えるように言った。


 軟禁生活の二ヶ月間。バレるまいとしていた学園との交渉が、あっさりと漏れていた。


 この学園の個人情報管理はどうなっている。2000年代はこんなにもザルなのか。現代なら一発アウトだ。


 満面に喜色を描きながら、鈴木は両手を鳴らした。


「今夜は皆で引っ越し祝いね、佐藤」

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