14 目覚め

「カスカスカスカスカスカスカスカスカスカスカスカス」


 カツカレーを咀嚼しながら、ひたすら呪詛を唱え続ける。


 ハーレムルートのレクチャーの際、渡辺の興が乗った早口は、これから現れるヒロインの情報もさらっと吐いていた。ハーレムルートは潰されたが、そこでへこたれることなく、他のヒロインを攻略しようとした。


 先週の優樹菜から始まり今日もまた、ヒロインとフラグを立てるのを阻止された。たった

一週間で、ハーレムルートを含めてこれで六度目。


「これで俺が口を滑らせたヒロイン全てのフラグは潰れたな」


「これにて一段落」


「ひとまずは落ち着けそうね」


 など、横目ではわいわい楽しそうな談笑が行われている。


 咀嚼より呪詛を唱えるのに忙しかった俺は、皆に遅れながら完食した。気づけば席を立っていた渡辺は、戻ってくるなりトレイをテーブルに置く。


「学校でプシュってやり、乾杯とはいかんからな。代わりにこれで祝おう」

 それは人数分のパフェだった。


 逆三角形のガラスの中身は、赤や白で彩られ層を形成している。クリームで山なりとなった頂上では、暖色系の果物の数々が乗っていた。


 出された物は頂くが、憎々しげ寄った眉の皺には、なんの慰みにもならない。


「機嫌を治せ佐藤。俺もやりすぎたと反省はしている」


「覚えておけ渡辺。おまえのことは末代まで呪ってやる」


「渡辺としての人生は、もう末代で終わっている」


 気の利いた冗談を言えた自分に、渡辺は愉快そうだ。


「ま、言葉で反省していると言っても、貴様は納得せんだろう。誠意は形で見せよう」


 渡辺は自らのパフェの頂上、果物の房を掴み、ちょこんと俺のパフェに乗せてきた。


 さくらんぼだった。


「今の貴様に最も相応しいものだろう?」


「野郎、ぶっ殺してやる!」


 テーブルに乗り上げ、渡辺の胸ぐらを掴んだ。揺さぶられるがまま、渡辺は腹を抱えて大爆笑をしている。


「ふっ、……ふっ、ふふっ。渡辺……そういう不意打ちは止めて……!」


 鈴木は口元に手を当て体を痙攣させている。


「ごほっ、っほ! ……ぐふっ!」


 田中は早速手につけていたパフェを噴き出し、むせている。


「佐藤。私も誠意を見せるわ」


「ごめんなさい、佐藤。誠意を見せる」


 表情筋を痙攣させながら、カス二人は渡辺に倣った。


 そんな騒がしいこの有様は、当然周囲の注意を引いている。


 ただ騒がしいだけだからではない。この席には、学園の有名人が上から四人集結している。


 クリスは蒼き叡智を手にすると期待されていた才媛だし、サクラは武蔵の孫ということで、あらゆる者たちの興味を惹く。黒き黎明を手にしたカノンなんて、いずれセレスティアを牽引する逸材だ。そこに蒼き叡智を手にした学園の落ちこぼれ、煌宮蒼一。


 一つの席にこれだけの者が集まり、このような乱痴気騒ぎを起こしているのだ。あまりにも異様である。


 かれこれこんな低レベルの小競り合いを、一週間ほど繰り返しているのだ。好奇心の矢で、弁慶の立ち往生が再現しても仕方のないこと。


 出る杭は打たれるが、こんな出過ぎた杭を打とうとする怖いもの知らずはいないようだ。


「そうそう、渡辺」


 業腹だが食べ物には罪がないとパフェをつついていると、鈴木が口を開いた。


「この世界について、ずっと気になっていたことがあるの。おそらく、設定、に関わることよ」


「設定だというのなら、俺に知らぬものはない。どんな些細な疑問であれ、全て答えよう」


 得意げにクイっとされたメガネは、照明の加減でキラリと光った。


 頼もしそうに「流石渡辺ね」と微笑を浮かべた鈴木は、


「結局、セレスティアの言語ってどうなってるの?」


 渡辺ですら絶句する、ついてはいけない重箱の隅をつついた。


「名前や道具はドイツ語ばかり。最初はそういうものかと思っていたけど、学内の差別用語のシエルとソル。これってフランス語よね?」


「あ……や、それ、は……」


「セレスティアって単語も確かラテン語だし……これから生きていく世界よ。その辺りの機微の違いを、ちゃんと知っておきたいの」


「あ、その……違い、は……」


 今にも過呼吸を起こしそうに渡辺はたじろいでいる。


 渡辺は蒼グリを神作品として祭り上げ、信者として信仰している。与えられる設定を素晴らしき神のお言葉として頂戴しているのだ。


 細かい設定の隙から目を逸らし、意味があるものだと勝手に補完する。そこをつついてクソだと言おうものなら、鬼神のごとく怒り狂う。


 ただし今回ばかしは鈴木に悪意はない。その答えはあるものだとして、純粋に教えを請うてるだけなのだ。


「そういう……設定なんだ……」


 死にそうな声を絞り出しながら、渡辺は曖昧に濁すしかない。


 なにせ蒼グリは神作品。綿密に組まれた世界観と崇める渡辺に、言語の交差に、意味なんてないとはいえないのだ。


「そういう設定とは、どういう設定よ? ドイツ語だけではダメだったの? むしろ異世界なのになんでドイツ語が主流なのかしら?」


 鈴木は小首を傾げる。


 決して腹の中でバカにしているわけではない。鈴木はただ、二次元業界にあまりにも疎いのだ。なぜドイツ語が主体の世界なのか。せめてなぜ言語を統一しなかったのか。


 冷や汗をダラダラと流し、頭を抱え唸りを上げる渡辺。今にも人格崩壊を起こしそうなほどの葛藤が、渡辺の中に渦巻いている。 


「単純な話。ドイツ語は響きがカッコイイ」


 そんな渡辺の横腹を刺すかごとく、口に物をいれたまま、田中は言葉のナイフを放った。


「カッコイイ?」


「中二病向けの作品は、武器や技にドイツ語を乱用する傾向がある。直訳したら安直な言葉でも、カッコよく聞こえる。例えば鈴木が持ってる、蒼剣ブラウエーデルシュタイン。『青い宝石』をドイツ語に訳しているけれど、英語に訳したらブルージュエリー。どちらがカッコイイかは明白」


 田中はどこまでも渡辺の心情を考慮することなく、あっさりと鈴木に告げた。


「なら、シエルとソル、そしてセレスティアは? ドイツ語で統一すればいいじゃない」


「ドイツ語で空はヒンメル。語感と雰囲気を重視した結果、シエルを選んだんだと思う。地を示すソルはそれに引っ張られただけ。セレスティアは……渡辺の顔色を見る限り同じ。原作者が異世界の名に、造語ではなくそれっぽい言葉選びをした結果と予想する」


 無表情かつ言葉数が少ないサクラ。抑揚のない声が田中によって饒舌に振るわれ、世界の理を分解する。


 田中の横で渡辺が発狂寸前だ。これが鈴木の質問でなければ、とっくに暴力に訴えかけていたに違いない。


「そうなの、渡辺?」


「あぁああああ、ああああああああ!」


 鈴木の問いかけに、渡辺は頭を掻きむしるだけで答えない。アイデンティティでも崩壊したかのように発狂した。


 そんな田中と渡辺を見比べながら、鈴木は呆れたように口を開いた。


「つまり蒼グリの――」


「つまり蒼グリの設定はガバガバ――ぐぅほっ!」


 鈴木に先じて、禁断の言葉を吐き出した田中は、悶え苦しむハメとなる。渡辺の腹パンが、田中に決まったのである。


 例え身体が第三の嫁であれ、中身は田中である。渡辺に容赦はない。


 苦痛で顔が歪んだ美少女の顔。無表情キャラから出るとは思えぬ、もがき苦しむその様に、渡辺は満足げに微笑んだ。


「ふっ、リョナに目覚めそうになるな」


 満足げな口元と違い、その目は一切笑っていない。

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