10 だから貴様はにわかなのだ
奨学金がチャラによって天秤が傾いたところで、とある疑問が頭をよぎった。
「そういえば渡辺。おまえ、大丈夫なのか?」
「大丈夫……とは、なんのことだ?」
「黒き黎明は黒の賢者の魂なんだろ? それが今、おまえの中にあるってことは、その影響は無視できんだろう」
「にわかにしては良い疑問だ。だが、貴様の心配は杞憂だ。黒の賢者との対話は、既に終えている。そもそも黒の賢者とは――」
「あっ、そういう長いのはいらん。簡潔にまとめてくれ」
渡辺が早口になり始めたので、早々に止める。
俺と田中の前では、聞いてもないアニメの話をベラベラと捲し立てる渡辺であるが、鈴木の前では自重しやすい傾向にある。
不愉快そうに顔を歪める渡辺であったが、鈴木の前ということもあって大人しく従った。
「魔神を倒した、六賢者については貴様らは知っているか? カノンの記憶を引き継いだ俺と同じであるならば、一般教養として頭に入っているはずだ」
「サクラの記録にある。力を合わせ魔神を倒した。世界に平和が訪れ、めでたしめでたし」
「そのめでたしの後に、黒の賢者は他の賢者たちに殺されたんだ」
歴史に隠された真実を渡辺はあっさりと告げた。
これは歴史がひっくり変えるほどの真実であり、誰しも耳にすれば驚くべきことだろう。
渡辺はしたり顔だ。賢者たちになにがあったか気になるだろう、聞きたいだろう、と言わんばかりにちらちらこちらの様子を伺っている。
「それで黒の賢者は、一度は救った世界へ復讐しようとしたわけか。そんな復讐者をどうやって説得したんだ?」
所詮はゲームの設定だ。鈴木も田中も、冷めた表情でまるで興味を抱いていない。
苦虫を噛み潰したような顔をする渡辺は、渋々話の顛末を語る。
「この世界で俺の知らぬことはない。黒の賢者が知り得なかった真実を告げただけだ。全てを知った黒の賢者が、世界を滅ぼそうとすることはもうない」
「つまり論破したのか」
「そんな軽い言葉で片付けるなカスが! 信じ、愛してきた者に裏切られる苦しみ、葛藤、その辛さが、どれだけ黒の賢者へ絶望を与えたと思っている! そんな失意から一度は滅ぼさんとした世界を、今を生きる者たちに罪はないと思い直すことが、どれだけ尊いことであるか。蒼き英智を手にした貴様こそが、それを理解せねばならんことがわからんのか!」
渡辺は目頭を濡らし、人を殺さん顔つきで胸ぐらを掴んできた。
所詮はゲームのキャラだろ。
そう言った瞬間、殺人事件に発展するだろう。動機はゲームキャラの思いを理解しなかったから。実にカスみたいな理由である。
「渡辺。その辺にしなさい」
「だが鈴木! こいつは蒼の賢者、その転生体。こいつにこそ、黒の賢者の想いをわからさねばならないんだ!」
「蒼の賢者の転生体だがかんだか知らないけど、それの中身は佐藤よ。貴方が熱くなるほど好きになった作品を、ちょっとだけ触れた男。知ったかぶりでその気持ちがわかると言って、本当にいいの?」
「貴様は所詮、ただのにわかだ。黒の賢者の想いなど、一生わかってまるか」
小馬鹿にしたように鼻で笑い、渡辺は手を離した。
気持ち理解しろと言ったり、わからんだろうなと言ったり、実に忙しい奴である。
そもそも蒼一が蒼の賢者の転生体だったとか、初めて知った。
好きなことで周りが見えなくなるほど白熱する癖が渡辺にはある。それが好きの象徴である世界に来て、公害レベルに悪化していた。
「黒の賢者については、この先害はない。それでいいんだな?」
「うむ。自分がかつて救ったこの世界。その未来を見守ってくれるとのことだ」
ただし、その熱狂的な作品愛一つで世界は救われた。オタクは世界を救うを地で行ったのは実に渡辺らしい。
話が一つまとまったとばかりに、鈴木は両手を打った。
「ま、渡辺がこの世界にいると言うのなら、それで良かったわ。貴方は誰よりも、この世界に詳しいもの。世界のナビゲーターがいるのは素直に助かるわ」
「この世界で俺の知らぬことはない。各キャラの身長体重スリーサイズ、隠し設定から死に設定まで、細部に至る情報が俺の頭にはある。大船に乗ったつもりでいろ」
その動作が気に入っているのか、メガネをクイっとする渡辺。
鈴木にドヤ顔を向ける渡辺だったが、しかし数秒後、すぐに複雑そうな顔をする。
「しかし、よりにもよって鈴木がクリスか……」
鈴木の姿を上から下まで見ると、渡辺はやるせなさそうな胸中を吐露した。
「鈴木が嫁キャラになった気分はどうだ、佐藤」
「ここにいるのは醜悪な魂が宿った、ただの生ける屍だ。どう土に返そうか考えているところだ」
「作品とキャラへの愛が足りんな。今目の前に嫁キャラがいる。それだけで貴様は泣き、喜び、そして感謝すべきことだ。中身が鈴木に変わったくらいで、手を引く? だから貴様はにわかなのだ」
「なら、おまえは蒼グリ第三の嫁となった、田中ですら抱けるというんだな?」
「TSものに手を出す俺には容易いことだ。中身が田中とはいえ、身体はサクラ。それで抱けねばなにが嫁だ!」
絶対なる信念のもと、渡辺はそう言い切った。
中身が男、それも友人であろうとも抱けると言い切った。これが本物。あまりにもその様は男らしかった。
「幸い、田中はネカマのスペシャリスト。中身が男であると忘れさせてくれるはずだ」
「そう、わたしのキャラには女が宿る。身を任せて。必ず渡辺を満足させてみせる」
渡辺の手を取ると、田中はそれを柔からな胸に当て両手で包み込む。
無表情キャラ、サクラ。ルートに入ったその先で見たであろうその微笑みに、渡辺は満足そうに微笑んだ。
次の瞬間、渡辺は空いた片手で田中をビンタした。
「このカスが! そっちから言い出しておいてどういう了見だ!」
「すまん、俺が間違っていた。大事なのは魂だ。あのセクハラ面が脳内にちらつくと、萎えるしなによりムカついた。俺のサクラは死んだ。おまえが鈴木に抱く気持ちがよくわかった」
胸ぐらを田中に掴まれながら、渡辺は冷静にこちらへ顔を向けた。あっという間に掌返しをするその様は、ある意味男らしい。
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