09 辿り着いた世界

 渡辺とは、高校生からの付き合いだ。大学までの流れは大体鈴木たちと以下同文。ヘドが出て、悪趣味なカス色で、悪友カスだ。決して親友なんかではない。


「俺は奇跡を得た」


 塔屋から降りてきた渡辺は、まずはそう口火を切った。


「奇跡を超えた奇跡。画面に手を伸ばし、次元を超える奇跡を経て、この世界へと辿り着いた。俺の人生観を大きく変えた、ずっと焦がれ続けてきた蒼グリの世界に、俺はついに辿り着いたんだ」


 そうしてまた哄笑を周囲一体に響かせる。


 こいつに話のペースを握らせると話はいつまで経っても進まなそうだ。


 それを感じ取ったのか田中は口を開いた。


「そもそもなんでこの世界に渡辺がいる?」


「俺は誰よりもこの世界に相応しい、しかるべき愛を持っている。この世界がついにこの俺を選んだのだ。むしろ愛なき貴様らがなぜここにいる?」


 軽視しながらも渡辺は心底不思議そうにしている。


 鈴木と田中は黙って俺に目を向けた。オタクは面倒だから、おまえが説明しろとその目は言っている。


 俺は掻い摘んで、これまでの経緯を渡辺に説明した。


「なるほど。田中にそう伝えられたのなら、そう思ってもおかしくはない。こいつもこいつで、俺が戻ったときには寝ていたからな」


 渡辺はメガネをクイっとする。


「あの後、戻ってきたの?」


「家の鍵が入った鞄を忘れてな。アニメのリアタイ視聴は責任であり義務。そこから帰っても時間に間に合わないから、そのまま止む無くあの家で視聴していたんだ」


 腕を組んだ渡辺は、あまりにもあっさりと、あの日あの家にいた事情を語った。実に渡辺らしい理由である。


「そのまま蒼グリの再放送を見ていたら、大きな地震が起きてな。慌てて玄関から飛び出たら、トラックが目の前に迫ってきていた。次の瞬間には、カノン・リーゼンフェルトとして目覚めていたというわけだ。まさに結果オーライだな」


 メガネをまたもクイっとしながら、渡辺の最後の記憶は語られた。


「結果オーライじゃねーよ!」


 さらっととんでもない事実を告げた渡辺の胸ぐらを掴み上げる。


「じゃ、じゃあ私たち……全員死んだの?」


「あんなトラックに突っ込まれたら、ボロ屋などひとたまりもない。禍を転じて福と為す、だ」


 死にかけの金魚のように、口をパクパクする鈴木へ、渡辺は幸福そうな顔を向けた。


 ボロ家呼ばわりされたあの平屋は、大学から徒歩十五分、3LDKでありながら、月二万という破格の物件である。


 美味い話には裏があり、過去に一家心中や集団自殺など、合計十六人の死者が出ている。取り壊そうと何度も試みられたようだが、心霊現象としか思えぬ不調が、機械や人間に起きて、ついには取り壊しを断念。


 そんな長い間、借り手が付かなかった事故物件を、大学進学を機に借りたのが俺である。


 古いしボロいし曰く付きだし、耐震構造大丈夫なのかと思うも、あれだけ広い家がたった二万。即決で契約した。


 いざ入居してみれば、懸念していた心霊現象などはない。どれだけ凄惨な過去があり、リビングの床に血のシミが残っていても、実害がなければ住めば都である。


 大学から徒歩十五分の神立地。凄惨な過去を恐れぬ者たちのたまり場となるのに、時間はかからなかった。


 特に鈴木は、実家から大学まで一時間半。連泊を重ね続けている内に、気づけば住み着き部屋の一室を占拠していた。食費と光熱費は向こう持ち。貧乏性な俺は、最後まで鈴木を叩き出せずにいた。


「まさか俺たちが、あの家の二十人目の死者になるとはな。あの家はよほど、死を招き寄せるようだ」


「それにしても死に方が雑」


「怪我の功名とはこのことだ」


 俺や鈴木と違い、田中はあっさりと事実を受け入れ、渡辺はひたすらポジティブな言葉を吐いている。


「死んだ……本当に死んだのか俺たち……」


 可能性はあったとしても、死はどこか他人事に思っていた。それがこんなあっさりと事実を突きつけられて、動揺せずにはいられない。鈴木もまた、同じである。


「なにをそう落ち込んでいる? この世界に辿り着いたんだぞ。素晴らしいことではないか」


「おまえの頭はハッピーセットか! 残した家族や友人に、なにか思うことがないのか! こちとらこの世界に、そこまで思いれなんてないんだよ!」


「にわかが。これがどれだけ素晴らしいことであるか考えてもみろ」


 渡辺は胸ぐらを掴んだこの手を払う。


「差し迫った就職活動の大変さは、先輩たちを見てきてわかっているだろう? しかもそれがゴールではない。大手に入れたところで、待っているのは受験戦争以上の出世争い。仕事ができたところで、上に妬まれ煙たがられたら一発終了。仕事中だけ馬車馬のごとく働ければ、どれだけ楽な人生か。真面目に働くだけで報われる国ではないのは、貴様たちもよくわかっているだろう。


 その点、この世界は贔屓目抜きにして素晴らしい。リーゼンフェルト家の名前一つだけで食べていけるんだからな」


 渡辺は好きなことを喋るときの、特有の早口を発揮した。


「鈴木と田中はそういう意味では俺と同じだ。なにせクリスもサクラも、名家に生まれたキャラだからな」


「死んでラッキー」


 田中はこれからの生き方を検討して、ガッツポーズをしている。


 あの鈴木ですら、口元に手を置きながら、この世界の可能性を検討し始めていた。


 だが俺は家族思いの良識人である。残した母を思うと、簡単に気持ちが切り替わるわけがない。なにより蒼一は庶民である。渡辺たちのような生き方はできない。


「対して佐藤。煌宮蒼一は確かに庶民の生まれだが、蒼き叡智がある。貴様はそれだけで一生、選ぶ側として食っていけるぞ」


「ぬっ……!」


 もたらされた甘言に、気持ちが切り替わりそうになった。


 だが、俺には尊敬する母がいる。


 幼い頃に父を亡くした俺を、苦労しながらも必死に育ててくれた。身体の強い母ではなく、生活は決して楽にはならない。俺は勉強する傍ら、少しでも母が楽になればとバイト代を家計にいれてきた。その生活に遊びはなく、二宮金次郎さながらの苦労少年だったという自負がある。


 片親であることの苦労はあっても、辛いと思ったことはない。なぜなら俺には、そんな素晴らしい母親がいたのだから。


「おまえら薄情者と一緒にするな! 残した親を思うとそんな簡単に――」


「なにより、借りた奨学金が全てチャラだ」


「戻らぬものをいつまでも愚痴愚痴言っても仕方ない。人間、何事も切り替えが大事だな」


 そんな母も高校三年の中頃に、素晴らしい出会いをもって再婚した。向こうの家族と上手くやっているし、一歳になろう種違いの弟もいる。


 義父たちがきっと、母さんを支えてくれるはずだ。

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