08 ラスボス

「メインヒロイン三人は、既に脱落した。ヒロインはもういない。佐藤はどうするの?」


「追加されたヒロインに賭ける」


 蒼グリには原典の三人のヒロインだけではない。ファンディスク以降、沢山のヒロインが追加されてきている。


 俺は主人公だ。犬も歩けば棒に当たる。その内ヒロインとめくるめく出会いがあるはずだ。


 ただそれに至るためには、やることがある。


「そのためにはまず、カノンをどうにかしなければならん」


「カノン?」


「蒼グリにはクリス、サクラ、ソフィア。各々をメインに据えた三つの展開がある。いずれも大きな事件が起きて、命を賭けた戦いを乗り越えた先に、ハッピーエンドが待つ。そんな物語だ」


「よくある流れね」


 鈴木の首肯を見届けると言葉を継ぐ。


「三ヒロインルート一様に、大きな事件はいずれもカノンが引き金になる。と、渡辺が言っていた」


「そういえばクリスティアーネの記録にもある名前ね」


 カノンの名に、鈴木はすぐに思い至ったようだ。


「カノン・リーゼンフェルト。クリスティアーネが蒼の賢者の末裔なら、カノンは黒の賢者の末裔ね」


「サクラの記録にもある。三月に黒き黎明を手にした、煌宮蒼一に並ぶ話題の人物」


「煌宮蒼一とは違って、カノンは一流。いずれ世界最高峰の魔導師として、セレスティアを牽引していく存在だ」


 流石は三大ヒロインに目覚めた二人。カノンのことはヒロインたちの記録にしっかり残っている。


 わかっているなら話が早いと、この口は続きを開く。


「だが黒き黎明とは黒の賢者の魂そのもの。その意思に従ってカノンが世界を終わらせんとする。蒼一とクリスがそれを止める、というのがアニメの大筋だ。他ルートの筋はわからんが、渡辺を信じるんなら、全てカノンを起点に事件は起こるらしい」


「……世界が終わって死ぬ、なんて結末は避けたいわね」


「カノンはまだ、力を上手く使いこなせている段階ではない。どうにかするなら、早期に動いたほうが楽なのは確かだ」


 この二ヶ月、俺はヒロインとイチャコラすることだけを考えてきたわけではない。そこに辿り着く道程から、目を逸らす真似はしなかった。


 真っ当に主人公をやるのなら、痛いだろうし、苦しいだろうし、そして辛いことも沢山ある。困難な道がその先にはある。それを乗り越えてやっと、ヒロインの愛が一つだけ手に入る。アニメの蒼一は、そうやってクリスティアーネと結ばれた。


 俺は蒼一のように、その場所へ辿り着くことはできない。痛くて苦しくて辛いのはごめんだ。その先の困難を乗り越えられる、強い精神力など持っていない。


 だからといって、カノンを放っておくわけにはいかない。二次元へ来たのだから、その先の平和と幸せが欲しい。魔法があるこの世界で、インスタントでいいからヒロインたちといちゃらぶしたい。


「だからこの先、平和に暮らしたいなら」


 立ち上がると、二人の顔を順に見た。


 序盤のカノンの力は未知数だ。俺一人ではカノンに届かない可能性があり、ずっとカノンをどうするか悩み続けてきた。そう、鈴木たちとこの世界で再会するまでは。


 クリスティアーネとしての鈴木。


 サクラとしての田中。


 力を持った気心知れた仲間がいれば、きっと未知数という困難を乗り越えられる。


「カノン・リーゼンフェルトの暗殺を、俺たちでやるしかない」


「暗殺って……」


 物騒な単語に出てきたことに、鈴木はつい眉をひそめた。


「ちなみに説得して、決裂したら戦うという方針は?」


「ない!」


 田中の方針をバッサリ切り捨てる。


「戦う、というのは痛みが伴うものだ。一発貰えばそれで苦しみ悶え、二度と立ち上がれん自信がある。そうなったら負けだ。世界の平和を手にする方法は、カノンの不意をついて葬り去る。これが最善手だ」


 人の命を奪う。それは確かに平和な世界で生まれた者にとって、覚えていてしかるべき良識である。しかしこのまま放っておけば、世界は終わりの道を辿ってしまう。それをどうにかできるのは、今、俺たちしかいないのだ。


 命を奪う覚悟はこの二ヶ月で決めてきた。


 いずれやらなければならないのなら、早ければ早いほどいい。ならば痛くもなく、辛くもなく、苦しむことなく、ラスボスには楽な方法で退場してもらいたい。人を殺めてしまった葛藤は、終わってからすればいい。


 不意に、そんな覚悟を称賛するかのように、パチ、パチ、と拍手が二度鳴った。


 それは鈴木ではない。


 そして田中でもない。


「そうだ。それが今の貴様らが導き出せる最善手だ」


 いつからそこにいたのか。見上げると、塔屋の上には亜麻色の髪の少年が佇んでいた。


 一目でその名前は頭に思い浮かぶ。


 学園最高の魔導師。黒き黎明を手にした、平和な世界に薄暮をもたらす者。


「カノン……リーゼンフェルト」


 今まさに暗殺を計画していた標的がそこにいた。


 家柄と抜きん出た才能を持ちながら驕ることなきカノンは、端麗な容姿も相まって女の憧れの的。好青年そのものだ。


 ただしそれは表の姿にすぎない。


 今浮かべるのは、日頃の柔らかな微笑みではない。裏の顔の、弱者を嗤うそれだ。


「青の賢者の末裔クリスティアーネ・リリエンタール。真・二天一流の後継者サクラ・ローゼンハイム。そして蒼き英智を手にした煌宮蒼一。戦力は十分。万が一奇襲に失敗したところで、力押しで終わらすことはできただろう」


 カノンはメガネの山を中指で上げると、鼻で笑った。


「だが、残念だったな。俺は既に、黒き黎明の力を使いこなしている」


「なん、だと……?」


 つまり、既にラスボス仕様というわけだ。


 カノンがなぜこんなにも早く、その境地に辿り着いてしまったのか。原作を外れた行動をする俺たちが、カノンの覚醒を早期に促してしまったのだろうか。


 とにかく今のカノンは、俺たちがどうにかできる相手ではない。


 そう命の危機を感じていると、


「貴様らに改めて魔法とはなにかを講義してやろう。


 人間誰しも持っている魔力をオドと呼び、自然界に満ちている魔力はマナと呼ばれている。オドが火を熾すための火打ち石なら、マナはその火を燃え上がらせる空気であり燃料だ。古くから地球に魔法を扱う者はいたが、マナがない地球では、火花のような魔法を熾すのが精々。しかしある日を境に、地球へマナが流れ込んできた。そう、セレスティアの門が開いたからだ!」


 なぜかカノンは今日日小学生でも知っているような、この世界の常識を披露してきた。嬉々として語りたがる、最早懐かしさすら感じる早口だ。


「黒き黎明はそんなマナそのものを扱う力。オドとマナの間にあったやり取りが必要ないゆえに、無限に等しい魔力を制限なく扱える。


 対してマナがなくても、オドだけでそれに匹敵する魔法を扱える蒼き叡智は、オドを増幅する魔導術式かと思われてきた。だがその本質は、生命の源泉エーテルを扱う力だ。それこそが蒼き叡智の真の力であり、黒き黎明に唯一対抗できる理由だな。


 そんな蒼き叡智にも、黒き黎明と違い欠点がある。生命の源泉と言ったように、エーテルの極度の消耗は命に関わる。使い方次第では最悪、命を落とす諸刃の剣なんだ。


 まあ、今の貴様が至っている境地ではなさそうだがな」


「あっ……」


 上ずった声しかが出ない。


 全てを知る奴が恐ろしいのではない。悦に入りながら語りたいことを一気にまくしたてる姿にドン引きしたからだ。


「そしてクリスティアーネの真の力は、蒼剣ブラウエーデルシュタインを通じて、蒼き叡智の力を共有できることにある。それは思いが通じあった絆の力がもたらすものだ。今の貴様では、一生その力を発揮できんだろう」


「うっわ……」


 鈴木は地を出しながらその顔を大きく歪ませていた。


「一方サクラは、セレスティアに転生した宮本武蔵の孫であり、真・二天一流の継承者だ。二天一流に魔法を取り込んだ武蔵は、五輪書の先、九輪書まで書き上げた。天性の剣士であるサクラは、守破離に当たる破まで若くして辿り着いている。そしてサクラは九輪書の先に当たる境地へと達することになるのだが……貴様なんぞに離の境地へ到れまい」


「オタクの早口は相変わらずキモい」


 無表情の田中の口からは、聞き慣れた台詞が漏れ出していた。


「貴様たちの力はどれも中途半端だ。半端者がいくら集まろうと、黒き黎明を完全に扱えるこの俺に、負ける余地はないのだ!」


 勝利の哄笑を周囲一体に響かせる。


 一方俺たちは、その温度差に冷ややかな目を送るだけ。


 なぜカノンは真の力に既に目覚めているのか。どうやら一度は打ち捨てた可能性が、覆っていただけのようだ。


 この世界を誰よりも愛する男が、カノンの身体を得ることで、次元を超えてやってきていたのだ。

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