06 俺のキャラには女が宿る

「でも……田中がいるのは、予想通りといえば予想通りね」


「予想通り?」


 鈴木に向かって小首を傾げる田中。


 俺と鈴木が揃ったのは、俺たちだけが特別だからではない。あの家が特別だったのではないか、という仮設を田中に伝えた。


「わたしはそこまで深く考えていなかった。高等部へ上がってまだ一週間。蒼一とクリスが二人きりでいるのはおかしい。だから名乗ってみた」


 途中で切ったとはいえ、田中もアニメは視聴済みだ。クリスが敵意も向けず、蒼一と二人でいるおかしさに気づいたようだ。


 目を伏せ、幾ばくか考え込んだ田中は、気持ち眉をひそめながら、


「でもこの考えが正しいなら、渡辺はいないかもしれない」


 憐れむような声色で語った。


「二人が酔いつぶれた後、見たいアニメがあると言って渡辺は帰った」


「は?」


「え?」


 鈴木と共に、驚嘆したように一文字をその喉で鳴らした。


 確かにあの日、 最高の酒の肴がありながら、二杯ほど飲んだところでお茶へと切り替えていた。本当に帰ったなら、現象が起きたその範疇から抜け出したということだ。


 どこへ出しても恥ずかしい二次元オタであり、筋金入りの蒼グリ信者である渡辺。


 転生する数日前、やり込んだゲームに異世界転生して、無双しているアニメを一緒に見ていた。個人的には高評価で、原作にまで手を出している渡辺と、あのときは話が盛り上がったものだ。


 もし異世界転生できるなら。


 話題が盛り上がると、当然そんなたられば話になってくる。


 俺はそのとき、痛い思いも、苦しい思いも、辛い思いもしない、安易で楽なインスタントにハーレムを築ける世界がいいと語った。


 渡辺はそれに、


「俺は絶対に蒼グリの世界だな」


 躊躇うことなくそう答えた。


 蒼グリの主人公は、楽じゃないだろうと返したら、


「痛くてもいいんだ。苦しくても、辛くてもいい。どれだけ困難な道が待っていようと、俺は必ず乗り越えてみせる。俺が一番欲しいのは、魂の嫁、その愛だ。その愛一つ手に入るのなら、ハーレムなんて必要ない」


 渡辺はどこまでも爽やかな笑顔で、無駄にカッコイイ台詞を吐き、


「そのためにはまず、次元の壁を超えることから始めんとな」


 そう締めくくった。


 俺たちの中で、渡辺は誰よりもこの世界へと辿り着きたかった男。そんな男がまさか、俺達の中で唯一この世界に辿り着けなかったとは。


「渡辺……ッ!」


「可哀想な男ね」


「渡辺のことは忘れない」


 広がるこの青空、その次元の向こうにきっと渡辺がいる。俺たち三人は、そんな哀れな男を思いながら空を仰いだ。


「ま、これも日頃の行いだな」


「いないものは仕方ないわね」


「この世界もキモオタが来なくて安堵してるはず」


 三秒ほど空を仰いだ後、そんな渡辺を嘲笑うかのように腹の虫が声を荒げた。


「積もる話は食べながらにしたい」


 サクラ……いや、田中の腹の音であった。


 田中の腹の音を聞いて、今自分が空腹であることを思い出す。そして鈴木との合流を優先するばかりに、つい手ぶらで屋上まで上がってきたことも。


 つまりこの手には昼飯となるものがない。


 対して二人はビニール袋を手にしている。学園の購買部で、各自調達してきたようだ。


 田中の袋は鈴木と比べ、一回り大きい上にパンパンに膨らんでいる。


「サクラは燃費が悪い」


 視線に気がついた田中は、事情を説明する。アニメでも何個もパンを食べていた気がする。


「佐藤にやるエサはない」


 手ぶらの俺を見て、これから言わんとすることを察したようだ。中指を立てると、田中はその様を鏡写しにした。


「まったく、仕方ないわね」


 鈴木は田中の袋に手を突っ込むと、無造作に掴んだパンを二つ差し出した。


「これでも食べなさい」


「サンキュー鈴木」


「くたばれカス共」


 今度は両の中指を田中は立てる。


 鈴木のおかげで、昼飯抜きは免れた。屋上の柵に背中を預けながら、各々の食事に手を付ける。


「それで田中。その喋り方はなんなんだ?」


 小ぶりな口でパンをもぐもぐする田中に、素朴な疑問を投げかけた。


 田中がサクラ入りした衝撃と、紐パンへの絶句に忙しかったが気になっていた。俺たちだけしかいないのに、サクラの喋りを未だ模倣している。


「サクラの記録があるとはいえ、わたしの人格はあくまで田中。他人を、それも女を演じるのは凄い大変」


「だから俺たちの前でも、サクラの真似事を止めないのか」


「下手に使い分けて、なにかの拍子で地を出すと不審がられる。ならいっそ、サクラを貫いたほうが楽」


「鈴木もそれと同じというわけか」


 隣にいる鈴木へ顔を向けた。口に物を含んだ鈴木はそれに首肯した。


「その通りよ。佐藤は楽そうで羨ましいわ」


 ゴクリと飲み込んだ鈴木は、そんな皮肉を投げてきた。


 キャラの記録こそあるが、田中の言う通り、言葉の癖まで身についてるわけではない。蒼一の喋り方はこんな感じだったっけな、というふわっとした真似事で今日まで通してきた。


 蒼一の一人称は俺であり、特徴的な喋り方をするわけでもない。適当な真似事でも、ソフィアも不審がることなく受け入れてくれた。


「それに自分のものではない人間関係を引き継ぐのは疲れるわよ?」


 くたびれたように鈴木は肩を揺らす。


「ただでさえ家族関係で疲れるのに、友人関係もあるのよ? この一週間、煌宮蒼一をなぜ放っておくのかと詰め寄られて大変だったわ。どうやら煌宮蒼一を放っておくのは、クリスティアーネとして間違いみたい。……でもそんな面倒な娘たちのおかげで、貴方が佐藤だとわかって、こうして田中とも合流できた。なにが幸いするかわからないわね」


 困ったように頬を緩める鈴木。


 優雅な軟禁生活を送った後、ソフィアといちゃついていただけの俺と比べ、鈴木は苦労してきたようだ。


「わたしはサクラになって楽しい」


「だろうな」


「でしょうね」


 一方、田中はサクラになりきりった無表情を維持したまま、楽しそうにしている。


 顔がセクハラと中学生時代から揶揄されてきた男。そんな田中の趣味はネットで女になりきり、男を騙し地獄に叩き落すことである。


 今日日ネカマなど珍しくなく、その中身を疑い信じきれないのが常である。ただし田中くらいの上級者になると、チャットで性行為のロールプレイ、通常チャHと呼ばれるものにまで手を出し、男たちを虜にしている。


 中学時代から、ネトゲで数々のギルドの姫として君臨してきた田中。課金アイテムを貢がせるだけではなく、自分を巡った取り合いを意図的に煽り、ギルドの内部崩壊を幾多も招いてきたのだ。


 田中の名言の一つに、こんなものがある。


「俺のキャラには女が宿る」


 男を陥れることを趣味とする、実にカスらしい名言である。


 息をしているだけでセクハラと呼ばれたカスに、美少女の身体が与えられたのだ。まさに水を得た魚、女アバターを得たネカマである。


「佐藤。女の身体は凄い。貴方は負け組」


 見上げてきているはずなのに、田中の声はなぜか上からする。一人男の身体であることを煽られたのだ。


 女の身体がどう凄いのか。男性用性具を鍋で人肌に温めたり、よかったら使ってくれと風呂場に置いていくカスのことだ。どう凄いか追求せずとも、サクラの身体で日々なにを楽しんでいるかは想像に難くない。

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