第3話 上野公園へ

(一)

 翌日、私は西新宿で半日清掃の仕事をして、グループリーダーから当日限定・行き帰り先限定のICカードを受けとると、転送装置で霞ヶ関へ向かった。半年に一回、厚労省で仕事に関する面接があるからだ。現在の仕事に関する報告や不満、派遣職種変更希望など形式的には何でも相談できるが、実際は不満のガス抜き程度にしか機能していない。面接担当者がどう見ても新卒のぺーぺーなのも、役所がこの問題に真剣には取り組んでいない証拠だろう。

 今日で面接は5回目になる。面接時間は1人30分間設けてあるものの、まともに取り合ってもらえないのでみんなだんだん短くなる。面接日は17時まで働いたとみなされるので、形ばかりの虚しい行事は切り上げさっさと帰った方が得だろう。

 面接会場は厚労省の大会議室で、部屋の奥のパーティションで仕切られただけのプライバシー配慮に欠ける5スペースで一人ずつ面接が行われる。椅子に座って順番を待っているのは100名くらい。13時面接開始で1時間ほど待たされ、やっと私の番がやってきた。

 右端のスペースでは、ニコニコした女性官僚が座って待っていた。黒いスーツに白いブラウス、昔の女子高生みたいなおかっぱで、ややぽっちゃりした若い子だ。

 労働事務官 松本嘉穂

 立って挨拶、胸の名札を示して着席を促してきた。感じのいい娘だ。公務員って人種には、自分が偉いと時々勘違いしている者がいて嫌な思いをしたことは数多い。

「竹田さん、勤務状況を確認したところ、大変真面目にお勤めくださっているようです。この調子で頑張ってください。」

 彼女はパラパラ書類をめくりながら顔も上げずに言った。

「健診結果にも、えーと大きな問題は無いようですね。竹田さんから何かありますか?」

 私は首を横に振った。彼女は露骨な愛想笑いを浮かべると、終わりでーす。もういいですよ。と朗らかに言った。

 一礼して席を立った。そう言えば昼飯がまだだった。町屋で久しぶりに牛丼でも食べようかと思った。

 会議室を出ようとしたとき、バンバン机を激しく叩く音がしんとした室内で響き渡った。

「お前、それでも公務員かよ!ちゃんとこっちの話を聞けよ!」

 聞いたことのある声、嫌な予感しかしなかった。

(二)

 ばらばらっ

慌てた様子で数名の男たちが会議室に走りこんできた。

声のしたスペースの方へ一斉に向かう。

「お客様っ、何かございましたか?」

緊急対応マニュアルどおりなんだろう。一番年長に見える男が外から声をかけた。

「何がお客様だよっ!」

 覗いた顔を見てやっぱりかと思った。スペースの中からは、女性のすすり泣きが聞こえてくる。

「こちらへ…詳しい話を私がお聞きします。」

これもマニュアルなんだろうな。一人がそう言っている間、他の男たちはじわじわ、クレームをつけた男を囲みに入っている。

 その様子に気づいた男が怒鳴る。

「お前ら、何するつもりだっ!」

 年長らしい男は薄気味悪いくらいニコニコしてる。しかし、よく見ると冷たい光をたたえた目の奥は笑っていない。

「落ち着いてください…我々はきちんと話がしたいだけです。」

 その間も男たちの包囲の輪は縮まっていく。

「俺に手を出してみやがれ!お前ら全員訴えてやるからな!」

 クレーム男の叫びに男たちの動きが止まった。年長らしい男が明らかに動揺している。訴訟と聞いて怯むのは、事無かれ主義公務員の一般習性らしい。

 隙を見つけたクレーム男は、ついでに廊下に出ようとしていた私も見つけた。

「ああ、竹田さんじゃないか…いいところで会った。」

 やれやれ、…気付かれてしまったか上杉さん。

(三)

「そもそもな、国民年金廃止に加えて企業年金も廃止になったのに、なんで公務員年金と議員年金は残っているんだ!」

 上杉が牛丼を吹き散らしながら怒鳴る。

 店に迷惑ですよ。言いたいことはわかるけど…

「制度の混乱を避けるため、段階的に廃止すると聞いていますが…。」

 テーブルがドンと叩かれた。

「それ言って3年だぞ3年。廃止の議論すらされていないじゃないか!あいつらは、元から本気で廃止する気は無いんだ。議員の中には、議員年金は一般企業の退職金と同じだから廃止出来ないという声が根強いと聞いてる。退職金すら出ない企業が多いって言うのになあ!」

 そんなこと、みんなわかっていますよ。

 本音と建前、人間は弱くてずるい。

 私も、そしてあなたもね…。

 いま言ったこと、同じ霞ヶ関でも庁舎で言わずに、この牛丼チェーン店で話しているのがその証拠ですよ。

「ごちそうさま…。」

 家に帰ろう。付き合っちゃいられない。

「ちょつ…ちょっと待ってよ。」

 残った飯を一気に掻き込む上杉を無視して店を出た。

「待ってよ竹田さん…なんか気にさわったんなら謝るからさあ!」

 気になんかしてない。ただ私に構わないでくれ…。

「ちょっといいとこあるんだよ。なあ、今から一緒に行こうよ。」

 回り込まれた。仕方ない…

「どこへですか…。」

 上杉はホッとしたような表情を浮かべた。

「へへ…上野だよ、上野。」

私には無駄な金も無駄な時間もない。

我ながら珍しくかっとした。

「私は自由に使えるICカードを持ってません。上野になんかどうやって行くんですかっ」

 上杉はニッと歯を見せ、右足をぱんぱん叩いた。

「そんなもんいらないよ。俺らにゃこれがあるだろ。」

(四)

 こんなに歩いたのは前職で営業していたとき以来か。

霞ヶ関から北へ、皇居に沿って北東を目指し、大手町、神田、秋葉原、湯島、そして上野へ

恩賜公園に着いたときには日が西に傾いていた。

「アメ横にでも行くんですか?」

歩き慣れている様子の上杉に、肩で息をしながら聞く。

闇タバコがあるなら私も買うつもりだった。

めんどくさいこの男についてきたのは、上野と聞いて、もしや、以前聞いた闇タバコを買うのかもと期待したからだ。

上杉は沈みかけた赤い夕日を見ながら首を横にふった。

「いや、今日はここで年に一度の祭りがあるんだよ。」

 10月にそんな行事があったかな?

20年来住んでいる荒川は隣区だが、そんな祭りは聞いたことがない。

 辺りが薄暗くなるに連れ観光客や遊び客の姿は減り、この公園をねぐらにでもしているのかブルーシートを丸めて抱えたホームレスの姿が目立ってきた。何年も身体を洗っていない独特の異臭が立ち込める。

 ここ3年、公園にいるホームレスの数が激増しただけでなくその様子も変わってきた。男も女も高齢者の数は目立って増えた。シングルマザーとその子など親子連れの姿も見受けられる。精神を病んで働けない様子の若者も少なくない。そういった様々なホームレスが、ここ上野公園にも多いんだな。最初はそう思っていた。

 なんか…とてつもない数がいないか?

 冗談じゃなく、渋谷のスクランブル並みになっていないか?

 公園内のホームレスの数は見渡す限りでも2~3000人いる。

「上杉さん、こいつは…?」

 上杉はキザに片眼をつぶって言った。

「今日は年に一度の祭りだと言っただろう。」

 ぼっ…

 西郷銅像の辺りが赤く輝いた。

 モクモクと上がる白い煙も見える。

 公園内のホームレスがそちらへ一斉に向かっていく。

私の右肩がぽんと叩かれた。

「さあ俺らも行こうか。」

昼間と違うニコニコした上杉がそこにいた。





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