第2話 新宿歌舞伎町
(一)
17時、終業のアナウンスが流れた。
準公務員で残業はそもそもなし
同僚たちはさっさと道具を片付け更衣室へ向かった。
ビルの中のオフィスからも、ばらばらと人が出てくる。
作業着をたたんでレジ袋に入れた。
仕事後、そのままロッカーにいれる同僚もいるが
持ち帰って毎日洗濯しないと汗臭いからだ。
ロッカーからダークスーツを出して着替える。
ラフな格好で出勤してもいいんだが、40年以上の習慣でスーツでなければ落ち着かない。
水色のネクタイをしめ、革靴に履き替えてビルを出た。
仕事先は西新宿のビル群の中にある。
家路を急ぐ人や、買い物や遊びにきた若者など
多少、外国人が増えている以外は変わらぬ新宿の景色。
人の流れに乗って駅へと向かう。
新宿はじめ、首都圏の町の様子は変わらないが、その駅は技術革新によって大きな変貌を遂げている。なんと、通勤に電車を使うことが無くなったのだ。
5年前に開発された空間転送装置は交通革命を引き起こした。転送装置間で人を光より速く運べ、しかも理論上は運べる人数や距離に制限がない。3年前、首都圏の各駅に転送装置が導入されると、あっという間に電車は使われなくなった。もちろん、首都圏以外の地方にまで設置できておらず、旅行ニーズもあるので、国内に電車そのものは残っているし、海外との人の行き来には政治的なものなど難問が多く、空間転送装置の前に技術的にはもはや無用の長物だが、飛行機も船も未だに残っている。
切符こそ無くなったものの転送装置の利用にはICカードや定期を使う。転送装置は各駅に1~5基あり、ICカードの場合は行き先を選んで転送装置に入る。定期の場合はそのまま入れば自動で運んでくれる。私たち準公務員は高額のICカードなど持てず、政府から支給された定期のみ持っている。ちなみに住んでいるのも国営の安い団地で、お金の余裕もないので家と職場を往復する日々。休日はと言うと、缶コーヒー1本持って近所の公園で日がな一日ぶらぶら過ごしている。
死ぬのを待つだけの日々のようだな…。
まるで奴隷になった気分だ。
「目覚めよ!人が人として生きる意味が今こそ問われているのだっ!」
誰かが西口公園で拡声器を手に叫んでいる。公園のブルーシートの数はここ数年で倍増した。セーフティネット打ちきりで、ホームレスに追い込まれる者が激増しているからだ。
今の自分は奴隷のようだが、ホームレスになるよりましだと思う。
しかし一生懸命な、何の宗教だろう。叫んでいるのは男?女?ホームレスくらいしか聞いてないな。まぁ何事にも深く関わらないのが私の流儀だ。
私は必死に叫び続ける声を避けるように駅へと急いだ。
(二)
「竹田さん…竹田さんってば!」
聞いたような声に呼び止められた。
目の前に黒革のライダースーツに身を包んだ細身の男が立っている。
「ああ、上杉さん。いま帰りですか?」
正直、あまり関わりたくないタイプだ。
「おお、竹田さんも今帰り?」
「はい。」
「家ってどこ?」
「町屋の方です。」
「荒川か…下町だぁ、意外だなぁ。」
はぁと気の抜けた返事をした。この面倒な相手をやり過ごし早く帰って眠りたい。夕飯はたしかカップ麺が残っていたはずだ。
「上杉さんは?」
そう聞かれた上杉は、なぜかうれしそうだ。
「俺、俺は八王子だよ。家は先祖代々のもので持ち家だが山の中でね。八王子駅までバイクで通ってるんだよ。」
上杉は両腕を前に出し、子供みたいにバイクにまたがっているアクションをした。やっぱり苦手なタイプだ。
「なぁ竹田さん…ここで会ったのも何かの縁だしさ。今から飲みに行こうよ。」
パターンだな。昭和のノミニケーション。でも余分な金はないし、あってもあんたとだけはごめんだ。
「せっかくのお誘いですけど…明日も仕事ですし。」
上杉は案の定しつこかった。
「いいっていいって、まだ18時前じゃない。良い店あるんだよ。俺おごるからさ…。」
そう言うと私の肩を抱いて強引に歩き出す。
本当に苦手なタイプだ。
(三)
上杉の言う店は歌舞伎町の奥にあった。
片翼のミカエル
いわいるオカマバーというやつ
「いらっしゃーい。」
椅子に埋もりそうな巨体が、カウンターの中で煙管を吹かしながら待っていた。
喪服のような漆黒のワンピース、黒いショールを肩にかけ、豊かな黒髪を大福のように膨れた白い顔の上でアップに巻き上げている。
長過ぎるつけまつげと、青すぎるアイシャドウが下品な感じ。若い頃、こんなオカマをフランス映画で見た気がする。
「上杉ちゃん久しぶり、こちらは……?ちょっと良い男だけど。」
オカマは注文も聞かずにブランデーを開けた。
「ママ、こちら竹田さん。独身らしいよ。」
オカマは表情も変えず、あら嬉しいと言った。
水屋からグラスを二つ取り出し、丸く削った氷をコロンと入れた。そのままブランデーをとくとくと注ぐ。
「あては何?いつものでいい?」
上杉が頷くと、どっからかオイルサーディンの缶を取り出し、缶切りで開けるとそのままコンロであぶる。
加熱されたオリーブオイルの香気が店内に広がった。
「はーいっ。お待たぁ!」
オカマはその巨体から考えられない器用さで、トングを使って熱々の缶をつかむと、とんとカウンターの上に置いた。いつの間にか割り箸も二つセットされている。
上杉に勧められるまま、ブランデーをくいとあおり、サーディンを口にする。
いける…。
びっくりした。あぶっただけでこんなに旨くなるのか!
「ママ、最近景気はどうだい?」
オカマが煙を換気扇へ吹き掛ける。
「ダメダメ、昔と比べりゃ全然よ。この辺も治安が悪くなったし、若い人なんか通りやしない。それに最近増えた外国のお客は払いが悪いわで…。」
上杉もタバコに火をつけた。
「上杉ちゃん、…昔は良かったねぇ。この国はいつからこんなに辛気くさくなっちゃったんだろう。」
もうもうたる煙の中、時が止まったかのような沈黙が店を包んだ。
(四)
「竹田さんさぁ…あんたっ何のために生きてんの?」
頬を赤くして、呂律の回らない上杉が聞いてきた。
「上杉ちゃん、あんた飲み過ぎよ!竹田ちゃん、気にしないでね。」
オカマはアンジェと言うらしい。アンジェのとりなしはともかく…そうだな、何のために生きているかと聞かれても…。
「俺は聞きたいんだよ!なぁ、人は何のために生きるんだよ。」
生きるのに必死で思わなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。
「たけだぁ、聞いてんのかお前!」
よろよろと、襟につかみかかろうとする上杉の腕を払いのけながらアンジェが申し訳なさそうに言った。
「こんな絡む男じゃなかったのにね。本当にごめん。竹田ちゃん、もう遅いし帰んなさいな。上杉ちゃんのめんどうは、あたしが見るから気にしないで。」
からんからん
ドアベルを揺らして外へ出ると空気が冷たかった。
深夜か…。酔いざましにはちょうどいいな。
空間転送装置に終電は無い。
歌舞伎町名物の、しつこい呼び込みをかわしつつ駅に向かった。
煌々と輝くネオンがうるさく感じる。
きゃっきゃと騒ぐ若い女たち
目付きの悪い日本人、そして外国人
道の端で座り込んで吐く若い男
昔と同じこの町の風景
空を見上げると赤みがかった三日月
夜は苦手だ。闇の中を歩いていると自分の惨めな状況と否応なく向き合わされる気がする。
駅へ向かう足取りはなんか重い…。
それに今夜は上杉の言葉がずっと耳に残っていた。
なぁ、人は何のために生きるんだよ?
家族のために生きる者はいる。
夢や目標のために生きる者もいる。
それじゃあ、家族もなく夢も希望もない者は…
私はいったい、何のために生きているんだ?
私はこれまで、何のために生きて来たんだ?
「考えてもしょうがないな…。」
自分に言い聞かすように呟いて駅へ入った。
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