第20話 あの時の真実

ラズベリーパイはどうなるんです?

心の中で私は泣いた。

睨み合う三人の視線に押され、既に手は呼び出しベルから遠く離れてしまっている。

一体何が起こっているのか……それすらもわからず困惑は増すばかりだ。


「芙蓉と二人で話をしたいんですよ!」


二人の重圧に負けず研吾が言うと、ヨキが意味深なことを言い返した。


「お前ののために、芙蓉が悲しむのを見たくはない!」


「え?」


「ヨ、ヨキさん?」


私と漆原さんはポカンとした。

どうして漆原さんがポカンとしたのかは知らないけど、私の方はヨキの言ったことの意味がさっぱりわからなかったからである。

贖罪?悲しむ?

研吾は私に何か謝りたいことがあったのかな?

しかし、いくら考えてみても、覚えは一つもない。

私は研吾の様子を窺った。

その表情は固く、反論する気もないようだ。


「……ヨキ、漆原さん。ちょっと席を外してくれる?」


「芙蓉!?」


「芙蓉さん!?」


驚く二人に私は言った。


「大丈夫。話を聞くわ」


「聞く必要はない。こいつは、自分が楽になりたいだけなんだ!お前が傷付く必要はないのだ!」


ヨキは必死で止めた。

その表情は、いつもの難しい顔や仏頂面じゃない。

家族を心配するような、切な気な表情だった。

ヨキ、私のこと心配してくれてるの?

そう思うと、心の奥がほんのりと暖かくなる。

その暖かさは、どんな出来事にも耐えられそうな強さを秘めている気がした。


「ヨキ。大丈夫!」


私は力強く微笑んで見せた。

何を聞いたって、それで傷付いたって、後でヨキを撫でたら忘れるじゃない?

最強の癒しがいるんだから絶対大丈夫!

私の決意が固いのを見て、ヨキはとうとう根負けした。


「はぁ……この頑固者め……隣の席にいる。何かあったら呼べ。不動産屋、行くぞ!」


「ええっ!?あ、は、はい」


ポカンとしていた漆原さんは、やっと事態を飲み込み、立ち上がるヨキを追う。

そうして大男二人は、隣の二人掛けの席から心配そうにこちらを窺っていた。


「……さてと。で、一体何?」


私は視線を研吾に移す。

すると、微妙にその視線を外しながら、研吾は話し始めた。


「……徳英学園の採用試験を受けたよな?」


「うん。受けたね。それが何?」


若干当たりがキツいのは、ラズベリーパイを食べ損なったせいである。


「覚えているか?あの時、一次試験が終わってから……学園から連絡がなくて、お前、落ちたと思ったんだろ?」


「えー……うん。受かってたら二次試験の案内を郵送します、って言ってたからずっと待ってたわね。でも、来なくて……それが、どうしたの?」


なんでそんな昔の話を持ち出して来たんだろう?

私は怪訝な顔をした。

そんな私を、研吾は今度は真っ直ぐ見て言った。


「すまない……俺がお前に届いた二次試験の案内を……捨てた」


「……ん?……は?……ぇえええ?」


一度考え、二度考え、三度目で把握すると、私は思わず叫んでいた。

ちょっと……いや、まるで意味がわかりませんが!?


「ど、どういうこと!?」


間髪入れず問う私の前で、研吾は姿勢を正した。


「俺の夢は美術教師になることだった。だから、給料も待遇もいい、徳英学園の採用試験を受けた……黙っていたのは、結果的にお前と被ってしまって申し訳なく思っていたからなんだ」


「う、うん。それは何となくわかる」


「手応えがあった!と喜んでる芙蓉を見て……実は俺、一度、徳英を諦めようと思った。でもな、お前のマンションに行った時、郵便受けに入った二次試験の案内書を見て……魔が差したんだろうな……気付いたらポケットに入れていたんだ」


「……ま、待って?それって、自分が受かる確率を上げるために、私を蹴落としたってこと!?」


茫然自失……とはまさにこのこと。

怒るとか、悲しいとかそんな感情は全く芽生えず、私はひたすら呆れていた。


「そうだ……でも俺はあの頃、お前との将来をちゃんと考えていたし、俺の就職が決まったら、それで養っていけるだろうと思っていたんだ」


「……わー。勝手な思い込みね」


「わかってる……だから、破綻した。俺は後ろめたい思いを抱えて芙蓉と一緒にいることが出来なくなった……最低なんだ……全ては俺のせい……お前の人生を変えてしまったのは俺だ!」


ああ、なるほど。

私はやっとヨキの言ったことを理解した。

研吾は私の未来を変えてしまったことで、後ろめたい思いを抱えて生きることになった。

そして、今、私に謝ることで、その罪悪感を軽くしようとしている。

でも、真実を知らされた私は、自分の人生を歪められたことを知り、傷つく……。

ヨキはそう考えたわけだ。

どうして研吾の抱える罪の意識を知ることが出来たのか?

それについては妖怪の能力の成せる業としか言えない。

でもこれで、ヨキが虫けらの如く研吾のことを嫌っていたことに納得がいく。

ただの気まぐれじゃなかった。


私は一通り頭の中を整理すると、項垂れ、悲痛に顔を歪める研吾をキッと睨んだ。


「研吾のやったことは最低よ!本当に最低最悪のクズだと思う!」


「……ああ。許されないのはわかってる。だから、お前の気の済むように……」


「そう?じゃあ黙って聞いて?」


私は研吾の言葉を遮ると、にっこり微笑んで言ってやったのだ。


「あのさ、私が一番腹が立つのはね?研吾がしたことよりも、人生を変えられた私のことを不幸だ!可哀想だ!って決めつけてることよ!」


「……いや、でも……なりたかったんだろ……美術教師……」


「まぁ、ね。でも、あのまま二次試験を受けて採用されるとは限らないし、結果的にやっぱり研吾が採用されたかもしれない。未来なんてわからないものよ。だからね、私にしたことに後悔するのはいいとして、こっちの人生勝手に憐れむのやめてくれない?私、今が楽しくてたまらないんだから!」


そう、これは心から言えること。

あのまま採用されて美術教師になっていたら、私は円山画廊で働いていなかった。

ということは……。

ヨキとの出会いはなかったし、不思議な出来事との邂逅も、ありえなかっただろう。

未だに、オカルトめいたことに踏み込んで行くのは少し怖い。

だけど、そんなのヨキがいれば大丈夫だと思えるから……。

晴れやかな私の顔を見て、研吾は目を見開き、やがて何かを納得すると、笑みを浮かべて言ったのだ。


「お前の強さはその心の広さと、真っ直ぐなところだな。他の誰にもない柔軟な感性は画廊のオーナーにはピッタリだと思うよ」


「ふふっ。私もだんだんそう思えるようになったんだよね!」


私と研吾は顔を見合わせて笑った。

考えてみれば、過去の罪を抱えて生きてきた研吾と、ヨキとバタバタしながらも楽しい日々を送ってきた私。

どちらが幸せだったかと言えば、そんなの一目瞭然だ。


視線を逸らせると、近くで見守っている大男二人がいる。

ほら、やっぱり私って、幸せじゃない?

そう思いながら、私はヨキと漆原さんに手招きするのだ。

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