第13話 不動産屋の調査部門
「おはようございまーす!」
「おう、不動産屋。朝から呼び出して済まないな」
「いえいえ。どちらにしろ、寄らせてもらう予定でしたから」
円山画廊、午前九時五十七分。
開店時間三分前にやって来たのは、漆原さんだった。
二人は入り口で、軽く会話を交わしたあと、応接セットへと腰掛ける。
私は画廊内の掃除をしながら、なんだ、漆原さんだったのか、とガッカリしていた。
いや……漆原さんが嫌だとか、そういうのじゃなくて、昨日、しこたま繰り広げた妄想が泡と消えてしまったのである。
残念ながら、にゃんにゃん大捜査は行われない。
夢は次にとっておこう……と、私は心に誓った。
「おい、芙蓉。そんなすっとぼけた顔をしてないで、こちらへ来い」
「すっとぼけ!?……あ、うん」
雑巾をギリギリと握りしめていた私の顔面は、いつの間にかすっとぼけていたのだろうか?
ヨキは呆れたような顔をし、漆原さんは菩薩のように穏やかな笑顔でこちらを眺めている。
私はサッと雑巾を片付けると、手を洗って、ヨキの隣に腰掛けた。
「それで、ご相談とは?」
漆原さんが言った。
「うむ。実はな、お前も昨日会っている坂上夏海。彼女の惚れた男をなんとか見つけられないかと思ってな」
「ああ。昨日の学生さんですね。あの子の彼氏を探したい、と。そう言えば、メッセージが来て浮かれてましたね?あれがきっと彼氏だったんでしょう」
私の表情を窺いつつ、漆原さんは呟いた。
さすが、状況を見逃さない男。
スマホが鳴った時の夏海の態度にも当然の如く気付いていた。
ただ……だからといって、漆原さんに何が出来るのか!?
漆原さんは不動産会社の社長であって、探偵社の社長じゃない。
不動産屋が、女子高生の恋人探しなんてしてくれるわけがないのだ。
今からでも遅くはない。
仲間を呼べ!
にゃんにゃん大捜査をするのだ!
と、私は懇願している。
「探せるか、不動産屋」
「はい。なんとかなるでしょう」
え……今なんと?
事も無げに言う漆原さんの顔を、私は穴が空くくらい凝視した。
その視線に気付き、何故だか顔を真っ赤にした漆原さんは、ゴホンと咳払いをして話を続けた。
「うちの調査部門を使えば、夕方までにはなんとか出来ます」
「ち、ちょうさ……ぶもん?」
私は聞き返した。
「ええ。扱う土地や物件に面倒なことが絡んでないか……を調査する部門がありまして、彼らに任せれば正確に報告書が上がります」
「わ、わぁ……探偵みたいですね。そんな人達までいるんですか?」
何から何まで凄すぎて、にゃんにゃん大捜査が頭からぶっ飛んだ……。
私の想像した「漆原不動産」は、ビルの一角に小さな事務所を構え、従業員が十人くらいしかいない中小企業だ。
でも、目の前で語られた漆原不動産は、調査部門という隠密を抱えた大企業である。
「うちは能力第一主義でして。調査部門には探偵上がりの人もいれば、公には出来ない仕事をしていた人もいます」
公には出来ない仕事、って何!?
疑問に感じたけど、はっきり聞くのも恐ろしい。
私は言葉を呑み込むと、そうなんですねーとひたすら笑って聞き流した。
「それでは、頼む。料金は芙蓉が払うので多少まけてくれると助かるのだが……」
「ええっ!私?……あー、そうですね……私ですね……はい」
ヨキがニッコリ笑ってこちらを見る。
そうだ、料金のことを忘れていた。
タダでやってくれるわけがない。
面倒なことを頼むんだからそれ相応のお金はいるわよね、と、私は項垂れた。
すると、爽やかに微笑みながら漆原さんが言ったのだ。
「お金なんて気にしないでください。円山画廊さんにはいつもお邪魔させてもらってるんですから!」
「……まさか、そんな。た、タダで?」
私は目を見開き漆原さんを見た。
馬鹿な!
世の中、そんなにうまい話があってたまるか!
何か、何か、思惑があるんでしょ!?
「あ、思惑なんかないですよ?ほんの善意です、善意」
ここぞとばかりに発揮される漆原さんのシックスセンスに、背筋が凍る。
私の思考がわかりやすいのか、はたまた漆原さんの勘が冴えてるのか。
いや、もうどっちでもいいや。
善意なら……うん、怖いけど、善意なら……。
そうして、私は無理矢理納得した。
「すみません。よろしくお願いします……」
「お任せください!出来るだけ早く、結果をお届けしますから!」
楽しそうに言った漆原さんは、風のように画廊をあとにした。
それを見て、ヨキはすぐに猫に戻り、私はソファーに寝そべった。
「良かったな、一円も払わず解決しそうだぞ?」
スフィンクスのように座りヨキが言う。
「……うん。でもね、タダは怖いよ、タダは……」
「いや、不動産屋にもメリットがあろう」
「メリット?何?」
「ふふふ。それは、そのうちボディーブローのようにじわじわと利いてくることだろうよ」
首を傾げる私を見ながら、ヨキは得意気に笑った。
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