第10話 溢れて、溢れて……

それからちょうど一時間後。

ヨキ渾身の肉球パンチで起こされた私は、頬に可愛らしい跡を付けたまま、坂上真の自画像へと入ることになった。


「では、行くぞ」


「う、うん」


小さな前足を持ち頷くと、お馴染みの揺れる世界がやって来る。

何度も体験しているけど、毎回毎回心持ちがまるで違うのは不思議だ。

ドキドキしたり、ビクビクしたり、突然だったり。

きっと、絵に入るという段取りは同じだけど、そこで出会う人が違うからなのだと思う。

そうやって、考察を重ねている間に、私は自画像の中へとやって来た。


「何、ここ……」


私は思わず呟いた。

中は極彩色ではないし、黒一色でもなかった。

ドーム型になった空間一面に無数のモニター。

モニターの中では、いろんな場面が繰り返し映像化されていた。

一番近くのモニターを見ると、幼稚園くらいの女の子が、誰かと手を繋ぎ公園で遊んでいる。

その女の子が夏海だというのは、すぐにわかった。

幼いけど持っている雰囲気が今も同じだったからだ。

夏海は画面に向かって花が溢れるような笑顔を向け、突然、体を反転させ走りだす。

そんな夏海を映像はどこまでも追いかけていく。

ビデオカメラの映像なのかな?

と考えて、私はすぐにそれを否定した。

常に夏海と同じ目線で、ビデオを取り続けるのは至難の業だ。

とすると、結論は一つ。

これは真の視点なのだ。


「ヨキ。この映像……真から見た過去の思い出よね?」


「うむ。これだけのものを構築するとは。最近の若人の空想力は果てしない。いや、真の思いがそれほど深いということか……」


私はヨキを抱き上げ、モニターの一つ一つに目を向けて、真と夏海の思い出を一緒に辿ってみる。

どれも思いやりに溢れる映像で、どの場面も夏海に対する愛で溢れていた。


これが全て真側の映像……真の思い出だとすると、夏海を憎んでいるなんてとても思えない。


「あ、ね、これ見てヨキ。何か揉めてる……」


私はふと見た斜め上のモニターを指差した。


「ん?……そうだな。何を揉めてるんだ?」


ヨキも興味を示し、私達は二人で斜め上を見上げた。


映像には、中学生くらいの夏海と夏海の両親が、リビングで何かについて揉めている光景が映し出されている。

カメラが真の視点だとすると、彼はドアのすき間から覗いているということになるだろう。

映像に音声は付いていない。

だから何が原因で揉めているのかは、細かくはわからなかった。


「何話してるんだろうね……?あっ!カットが切れた」


リビングから映像が切り替わり、真の手元へと焦点が合う。

真は学校で配るようなプリントを手にしている。

でも、そのプリントは一度強く握ったのか、しわくちゃになっていた。

なんとか読み取れたのはタイトルの「修学旅行のご案内」という文字だけだ。


すると、またすぐに映像が切り替わった。

リビングでは、両親が言った言葉に、夏海が顔を真っ赤にして言い返している。

ヨキは夏海の口の動きを読み、声に出した。


『わたしも行かない……真が行かないなら……絶対行かない』


夏海はそのあとソファーに突っ伏し、真は静かにドアを閉めて、映像はブラックアウトする。


見上げていた私とヨキはモニターから目をはずし、顔を見合わせた。


「真が病気で行けないから……自分も行かないって言ったのかな?」


「うむ。仲は本当に良かったのだな。だがそうなると、昨夜の真の言葉や夏海の態度も腑に落ちんな」


「そうよね。ほんとに何があったんだろうね……」


呟きながら、モニターに目を向けると、そこかしこに夏海の笑顔がある。

まるで、笑顔の洪水だ。

溢れて溢れて、止めどなく溢れて。

こっちの胸が痛くなるくらいの愛情を感じるのに。

なぜ真は、夏海を許さないなんて言ったんだろう。

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