第9話 自画像の中

「特に収穫はなし……ということか……」


画廊の応接ソファーの上で、猫缶を食べ終えたヨキが言った。

「余は満足である」とでもいわんばかりの態度で、ソファーの背もたれにデデンと体を預け、お腹をペロペロと舐めている。


「うん……もうひと息だったのよねー。時間さえあれば答えを引き出せたのに!残念だわっ!」


私は、玉子たっぷりの親子丼を食べながら、さもベテラン鬼刑事のように言い放った。

……とんでもない大嘘である。

例えあのあと、夏海に用事がなかったとしても、彼女の口を割らせることは至難の業だったろう。

ヨキはそんな私の大嘘など、まるっとお見通しだったようで、へぇーと抑揚もなく真顔で言った。


「とにかく、だ。夏海が喋らぬのは困ったことだな。事は急を要するというのに」


「そうね。また、今夜も出るのかな?……怨霊になって欲しくないけど……」


結局のところ、夏海に喋って貰わなくては、真の方の謎も解けはしない。

最後の一口を食べ終えて、私はお茶を飲み溜め息をついた。

すると、ヨキが飄々と言ったのだ。


「仕方ないな。こちらから行ってみるか」


「ん?行ってみる?」


どこにだろう。

夏海のところかな?

さっき行ったばかりだし、それはないか。

……ん?それって、も、もしかして!?

私はいきなり理解した!


「絵の中!?自画像の中に?」


「そうだ」


横座りから姿勢を正したヨキは、私の隣の座席に置いてある自画像を見つめた。


「真も己の世界の方が、安定しているのではないかな?上手く話を聞ける可能性もある」


「可能性……」


確かにそうかもしれない。

誰だって(霊だって?)ホームの方がリラックス出来るもの。

でも、私には少し心配なことがあった。

今まで入った絵は、全て人物有りの風景画である。

独自の世界観がある絵の中なら、なんとなく想像も出来るけど、今度は背景真っ白の人物画メインだ。

どんな世界になっているのか、正直怖い。


「ね?ヨキは人物画メインの絵に入ったことあるの?」


「あるにはある。しかし、そんなに数はない」


「なんで?……あっ!そうか。日本画には自画像少ないもんね。油絵には多いのに」


「そういうことだ。自画像なんぞは自己主張の塊だからな。入った途端辺り一面極彩色だとか、真っ黒だとか、変わったのが多いな」


「極彩色……それはキツいね……あ、もしかしてさ、本人の気持ちが表れてるのかな?」


自画像の背景なら、世界に本人の心情が反映されていても珍しくはない。

ただ、極彩色の心情って?と考えると果てしなく謎なんだけど。


「かもしれんな。まぁ、不思議な世界には違いない……真の世界はどうなんだろうな……」


ヨキはひょいと応接テーブルに乗り、不織布の掛けられた自画像と向き合った。

薄い不織布から透けて、力強い色味の線が見える。


「本人はいるの?」


私はヨキに問いかけた。

中に色があるのはわかったけど、人がいた、とは聞いていないからだ。


「たまにな。おそらくだが……満足して逝った者はとどまらないのだと思う。私が出会った者は、何かしらの後悔や懸念を残した者が多かったからな」


「後悔か……じゃあ、真がいるのも、そういうわけね」


「うむ。絵に憑依し成仏出来ん霊としてな」


ヨキは絵から目を逸らすと、のっそりと私の膝に乗ってきた。

プニッとした肉球が、膝の上を移動する度こそばゆい。

そうして、定位置を見つけたヨキはゴロンと寝転がり、くわっとアクビをした。

これは、仮眠をとる体勢だ。


「一時間程寝る。起きたら行くぞ?」


「うん。私も少し休むわ」


「それがいい」


ヨキはそう言って目を閉じ、数秒後にはくぅくぅと寝息をたて始めた。

……あ、丼、片付けてないや。

目の前には、さっき食べた親子丼の器がポツンと残っていた。


「……ま、いいか」


膝のヨキを起こすのは忍びない。

私は軽く背伸びして、ソファーに深く腰かけるとヨキと惰眠を貪ったのである。

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