第8話 夏海の話
やがて注文したケーキがテーブルに揃い、私は抹茶フロマージュで小腹を満たした。
漆原さんも研吾もケーキをペロリと平らげ、夏海も楽しそうにガトーショコラを食べている。
甘いもので、和やかな雰囲気になったのを見計らって、私は話を切り出した。
「じゃあそろそろ本題ね。夏海さん、あなたは弟さんと仲が良かった……それは間違いない?」
「……はい。仲は悪くなかったと思います。双子だし昔から何をするにも一緒で……でも」
「でも?」
夏海はアイスミルクティーのグラスを両手で持って傾けた。
溶けかけた氷がカランと揺れる。
すると、それが合図かのように、夏海は語り始めた。
「病気がわかってから、真は運動はおろか学校に通うことすら難しくなってしまいました。休学して入院して……やっと退院しても薬に頼らないと通学できない状態で。それなのに、双子の私は何の問題もなく健康だなんて、真にしてみれば……きっと……」
「あなたを羨んでいたかもしれない、そう思うの?」
先を読んで言ったけど、夏海から帰ってきた返答は少し違っていた。
「羨む?私なら羨むどころか憎むと思います。不公平過ぎる運命を呪って」
もともと優しげな夏海の表情は、その時、びっくりするくらい変化した。
それが、昨夜の真の姿と重なり、私は背筋が寒くなるのを感じた。
こんな表情まで似るものなのか。
それなら、抱える思いも感情も似ているのかもしれない。
「弟さんはあなたを憎んでいる、と思う?」
「さぁ、どうでしょう……私なら、っていうだけで、真の本音はわかりません。もう本人に聞けないし……」
先程の様子から一転し、夏海の表情は悲哀に満ちた。
憎まれているかもしれないと思っても、同じ時に生まれた、ただ一人の弟である。
その死が悲しくないはずはない。
俯いてしまった夏海に、これ以上質問はしたくなかった。
でも、あとひとつ、聞かなければいけないことがある。
「ごめんね。もうひとつだけ聞かせて?なんで絵を貰わなかったの?あなたに自画像を貰って欲しいっていうのが遺言よね?」
「……責めてるような気がして……」
「責める?何で?」
聞き返すと、夏海は黙って俯いた。
今まで聞いた話の内容から推測すると、憎まれてるかもしれないから、というのが妥当な線だ。
でも、それだけで遺言を叶えないとは思えない。
死際の最後の願いを無視するほど、夏海が冷酷な人間にはどうしても見えなかったのだ。
私は黙ったままの夏海を見つめた。
どうしたら、話してくれるだろうか?
それを考えていると、夏海のスマホがピコンと鳴った。
一度だけだから、メールかメッセージだと思う。
夏海は、慌てて画面を確認すると、頬を緩めて私に向き直った。
「ごめんなさい。ちょっと今から待ち合わせで……」
「あ、そうなの!?お友達と?」
「……は、はい。まぁ……」
おや。あら。なんだか様子が変だ。
言葉を濁す夏海の目は泳いでいるけど、口角は上がっている。
とまどいと喜び、類似点のない二つの感情が垣間見えて私はピンときた。
「男」だ。
これはきっと間違いない。
夏海には好きな人がいて、さっきのメッセージはその男から。
付き合っているかどうかはわからないけど、少なくとも、夏海には恋愛感情があるようだ。
「遅れたらいけないから行って?今日はありがとう。また話聞けるかな?」
肝心なことは聞けていない。
次までに、口を割らせる手を考えておかなくては。
私は心の中で、策を巡らせながら夏海に言った。
「はい。また、今度」
弾けるように答えると、夏海は鞄を持って席を立ち、自分の分のお金を払おうとした。
しかし、漆原さんが「構わないよ」と言うと、申し訳なさそうに頭を下げながら、駆け足でファミレスを出ていった。
「新しい情報はなかったな。俺が最初に言ったことと、ほとんど同じだ」
硝子戸の向こうを駆けて行く夏海を見ながら、研吾が言った。
「そうね。でも、何か重要なことを隠している。そんな気がしたわ」
「そうですね。彼女は大事なことを話してない。そして、絵を貰うのを拒んだことと、それは直結してる」
突然話に加わった漆原さんに、私と研吾の目が釘付けになった。
話の概要は全く知らないはずである。
夏海と私の会話だけで、推測したのかな?
それにしては自信たっぷりで言ってるけど。
不思議そうな私の表情に気づき、漆原さんはハッとして言った。
「あっ!すみません、わかったようなことを……」
「いえ。でも、どうして夏海さんの秘密と絵の件が直結していると?」
私は身を乗り出した。
「うーん。僕は背景を知らないから踏み込んだことは言えないけど……芙蓉さんが絵のことに触れた時、あの子、すごく動揺していたんです」
「え?そうでした?黙り込んだだけでしたよ?」
「あ、そっちからでは見えませんよね?彼女、目線が真下で瞳が泳いでた。かなり後ろめたいことがあったんじゃないかな?」
「良くそんなことまで……」
研吾が唖然として言った。
その言葉には私も同意である。
でも、パーフェクト営業(本当は社長)の漆原さんなら、相手の表情を読むことなど容易いのではないか?
ひょっとすると、それを見越してヨキは漆原さんを同行させたんじゃ……。
「さて、用は済みました。芙蓉さん、帰りましょう」
「へ?あ、あ、はい」
思案の途中で促され、咄嗟に腰を浮かす。
すると、研吾が私の腕を掴んだ。
「待って!ちょっと、待ってくれ、俺、芙蓉に話が……」
「申し訳ありません。芙蓉さんはこれから急ぎの用事があるんですよ」
漆原さんが、私の腕を掴んだ研吾の手を更に掴む。
急ぎの用事ってなんだっけ?
首を傾げた私は、顔を歪めた研吾と、その手をギリリと掴んだ笑顔の漆原さんを見て困惑した。
三つ巴の緊迫状態は何秒か続き、やがて、研吾が諦めたように手を離した。
「会計は済ませておきますので。それでは失礼します。さ、芙蓉さん」
「あ、はぁ……研吾、それじゃあね」
仏頂面で座り込んだ研吾に軽く挨拶すると、笑顔で強引な漆原さんと共に、私はファミレスを後にした。
ーーーそして。
車の中で聞いたのだけど「急ぎの用事」これはヨキからの御達しらしい。
その御達しが、猫缶を用意することだと知ったのは、それから一時間後のことである……。
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