第6話 坂上 真

ー円山画廊。午前一時。


軋む廊下を歩きながら、私とヨキは幽霊の探索に乗り出した。

私室を出て、台所へ。

昼間とは全く違う様相の画廊(自宅側)は、さすが築六十年という不気味な存在感がある。

幽霊とか妖怪が出ても何の不思議もない、おどろおどろしい雰囲気に、私の足取りは重くなるばかりだ。


「ねぇ。やっぱり電気つけちゃダメ?」


肩に乗るヨキに尋ねた。

幽体は光を嫌う……ということはないらしいけど、電灯を付けると少し見えにくくなるというので、今は小型のペンライトで探索している。

私としては、見えにくくなった方が怖くなくていいのだけど、ヨキは首を横に振った。


「つけない方がいいな。幽体の性質にもよるが、怯えて逃げたり、反対に襲いかかってくるものもいる。性質がわからない以上、下手に刺激せぬ方がいい」


「うっ!そ、そうね。わかったわ!」


突然襲われてはたまらない。

素直にヨキの言うことを聞くと、私は台所からそっと画廊側の扉を開けた。


画廊はしんと静まり返っていた。

月明かりも差さない部屋の中は真っ暗で、飾っている絵も、心なしか恐ろしく見える。


「いないね……」


私は小さく呟いた。

別に誰かに遠慮しているわけではない。

単に怖かったからだ。

その呟きに答えることもなく、ヨキは、肩から降りて辺りを徘徊し始めた。

その間、私は持っていたペンライトで順番に絵画を照らしていった。


昔から懇意にしている作家さんの風景画。

新人作家さんの前衛的な街角の絵。

祖父の友人である日本画家の大作。

その横へ、何も考えずにライトを滑らせた瞬間、私は「うっ」と短く呻いた。


ライトに照らされた先には、あの自画像に描かれた男子生徒、坂上さかがみしんが青白い顔で立っていたのだ。


「……っ!よ、よ、ヨキっ!」


私のしわがれた声に、真がギョロリと視線を向けると、聞き付けたヨキもやって来た。


「芙蓉!」


勢いよく私の肩に乗ったヨキは、分析をするようにまじまじと真を見つめる。

そして、程なく言った。


「これは……なんともはっきりとした幽霊だな。余程強い執着があるらしい」


「執着?えっと、地縛霊か何か?悪霊じゃないでしょうね!?」


「一歩手前かもしれんな……芙蓉。何か話しかけてみろ」


「……何でよ。ヨキが話せばいいじゃない」


幽霊に話しかけるなんて嫌に決まってる。

だって、取り憑かれたくないもん!

断固拒否の姿勢を見せる私に、ヨキが言った。


「猫に話しかけられるより、人間に話しかけられた方が普通だろう?」


「相手は幽霊よ?猫だろうが、人だろうが関係ないでしょ?」


「それは違う。幽霊だろうが何だろうが、こいつらはもとは人間だ。生前と同様、考え方も同じなのだ。人間は普通、猫と喋らないだろう?」


「猫は喋らないんだよ、普通はね」


私達の不毛なやり取りを、真は表情も変えず眺めている。

何も聞こえてないのか、感じていないのか。

その感情はまったく見えなかった。


「なんだか、ぼーっとしてるね?」


「そうだな。自分がどういう状況にあるか、理解していないのではないか?だから、手当たり次第動きまわっているとか?」


ヨキの見解は一理ある。

死んだ人が死んだと言うことを理解しないのは、ドラマや小説でもよく描写されている。

真の反応の薄さもそのせいなのかもしれない。


「生前に関係のあった人の名前とか聞かせてみれば?何かに閃くかも」


「関係のあるやつ?……お前の元カレとか?」


ヨキは薄目をして睨む。


「元カレ……研吾じゃインパクトないわよ。家族の方がいいわ、えっと、お姉さんがいたわよね?確か……夏海なつみ!」


私が叫んだ瞬間、反応の薄かった真の様子がガラリと変わった。

目は大きく見開かれ、ガタガタと震え出し、両手で自身の肩を抱きしめて踞る。

それからフリーズしたように動きを止めると、いきなり立ち上がり私とヨキに迫った。


「なつ……み!!……ゆる……さないゆ……るさ……な……い!」


低く恐ろしい声が、画廊中に響き渡る。

まだあどけなさが残る真から出た声とは思えないほどの迫力に、私は尻餅を付いた。


「きゃ!!」


「おっと!芙蓉!!」


ヨキは瞬時に人の形になり、私を引き寄せると、真から距離をとった。

依然真は不安定なまま、震えてわけのわからないことを叫んでいる。

辛うじて聞き取れるのは恨みの言葉で、それは「夏海」に向けられていた。


「あの子、お姉さんと仲良かったんでしょ?でも、恨んでるように聞こえるよ?」


「言葉尻だけを捉えるとそのようだな。とても強い感情を感じるが……」


ヨキはそう呟くと立ち上がった。

そして、何もない空間からスッと黒刀を取り出すと抜刀した。


「今夜はお帰り願おう。まだ、冷静に話を聞ける状態ではないようだ」


「……切るの?」


オドオドと私は問いかけた。

樹海の悪霊達と違い、坂上真は高校生そのままの格好をしている。

それを、切るということが何か嫌な気分にさせた。

すると私の表情を見たヨキがやんわりと微笑んだ。


「芙蓉。心配するな。刀を近付ければ、自ずと引くだろう。それに退治屋の持っていた退魔刀とこれは性質が違うからな」


「そ、そう?なんかよくわかんないけど……うん」


ホッとして言った私の後ろから一歩出て、ヨキは刀を翳した。

闇の中で見る刀は、自らが発光するように銀色に煌めいている。

澄んだ気配と、柔らかい光が辺りに満ちると、真は震えるのを止めこちらを見た。

そして、一瞬で白い光になると自画像の中へと消えた。


「すごい……」


私はポカンとして呟いた。


「ふふ。まぁな。これで、今夜は出てくることはないだろう」


「うん。ゆっくり眠れそう……でも……」


「……そうだな。早々に解決しなければ、悪霊と化すのも時間の問題だ……」


私とヨキは顔を見合わせた。

出来るだけ早く、真が何に思いを残しているか、突き止めなくてはならない。

それには……。


「たぶん、鍵は《夏海》ね?」


「うむ。明日はそっちから話をきくのがいいだろう。して、芙蓉よ、わかっているな?」


ヨキはどろんと猫に戻ると、コロンと猫缶を転がしてきた。


「……あ、うん。はいはい」



ー円山画廊。午前二時。


こんな時間に食べたら、朝は食べられないだろうなー、なんて、余計なことを考えながら、私はヨキの猫缶サバ・ダ・バダを開けるのであった。

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