第5話 その夜の出来事
--円山画廊、深夜零時。
私は日課である夜の読書を終えると、部屋の電気を消し、就寝するためにベッドに潜り込んだ。
何回か右に左に寝返りを打ち、ベストなポジションを見つけると、ゆっくりと目を閉じる。
眠りに付くのは早い方で、今夜も何も考えずに安眠出来るはず……と思っていたのに、今日に限って全く眠れなかった。
その原因は、画廊の応接ソファーに立て掛けておいた「自画像」である。
ヨキと相談した結果、今夜一晩、不織布を掛けたまま置いておくことに決めたのだ。
絵に残る想い、残滓の類いならば、不織布から出さなければ悪さは出来ない。
しかし、この状態で不思議な現象が起こるのなら、それは「本物の霊」の可能性が高い、とヨキがいったからだ。
……本物の霊……。
頭の中で考えると、ブルッと身震いがした。
絵に取り憑いた霊……漆原さんを取り込んだ樹海の悪霊のようなものだと思うと、鼓動が早くなり目が冴える。
こんなの、一人で眠れない。
何かあったらヨキがすぐに来るって言っていたけど、本当かどうかなんてわからない。
昼間にかりんとう饅頭を食べすぎて、満腹で爆睡してるかも。
いろいろ、余計なことを考えて、私は絶対眠れない予感がした。
あ、そうだ。
こんな時こそ、羊を数えてみたらいいかもしれない。
私はすぐに頭の中で羊を想像した。
『羊が一匹』……『羊が二匹』……『羊が三匹』。
三匹まで数えたところで……ピシッ……という音がした。
家鳴り?かな?
新築によく起こるっていうけど、円山画廊は築六十年の年季が入ったオンボロ……お、趣のある建物である。
壊れかけているのかもしれない、という新たな恐怖に怯えながら、引き続き羊を数えた。
『羊が四匹』……『羊が五匹』……。
そこでまた音がした。
今度はピシッでなくバシッという重い音。
更に音は頻発し、部屋のあちこちで鳴るようになった。
「ひっ!……な、なに?……なによぉ……」
私は怖くなり、頭からシーツを被ってカブトムシの幼虫のような姿で震えた。
すると、部屋の雰囲気が一変し、今度は耳鳴りがするくらいの静けさが襲う。
恐怖のあまり、冷や汗をかき、
ヒュッ。ヒュッ。ヒュッ。
軽い息の音は、真後ろまでやって来た。
そして……。
何か冷たいものが背中にピタッと触れた。
声を出すことも出来ず、振り返ることも怖くて出来ない。
私は気を失いそうになりながら、一生懸命思考を巡らせた。
……これはやっぱり、あの男子生徒の霊?
何かに未練を残した霊が、望みを叶えたくて夜な夜な悪さをしているのか……。
または、誰かを恨んで呪って、怒りの感情をぶつけているのではないだろうか!?
「にゃぁーん」
そう……にゃぁーんと鳴きながら、男子生徒はこの世の全てを憎み……は?
毎度、お馴染みの声を聞いた私は、シーツを剥いでゆっくりと振り返った。
「……ヨキ……?」
「うむ。どうした?泣きそうな顔をして」
香箱座りをしたヨキは、呑気に尻尾をくねらせてこちらを見ている。
私はガバッと跳ね起きると一気に捲し立てた。
「……し、心霊現象!?いや、ラップ現象が起こったのよ!……まさか、ヨキの仕業じゃないでしょうね?」
「違うな。私は、つい今しがた、夜食の猫缶を食べようとして取りに行った帰りだ。ほれ?」
ヨキは体を起こすと、前足で猫缶を転がした。
見ると『小腹がすいたらサバ・ダ・バダ!』という、ふざけた名前の猫缶がベッドに転がっている。
確か昨日買った新商品だ。
でも、いつからヨキはここにいたのだろう。
ラップ音がしている時から?
「……ヨキ、ずっといた?いつからいた?」
「いつ?と聞かれてもな。やって来た時、お前の背中が隙だらけだったので、背後から近づき猫缶を押し当ててやったのだが……」
「コラーー!!ヨキの仕業かー!寿命縮まったわよ!」
あの背中に触れた冷たい感触、軽く小さな息遣い。
あれはヨキの仕業だった。
「起きていたとは知らなかったのだ。すまんな。しかし……私がここに来る直前、何か白いものが部屋から出ていったのを見たぞ?」
「し、し、白い……白いもの?」
その情報は知りたくなかった……。
これで、耳鳴り以降の出来事はヨキのせい、それ以前の出来事は幽霊のせい、ということになってしまった。
「あの男子生徒かな?」
「そうだろうな……」
私は小さく息を吐き、カーディガンを羽織った。
それを見てヨキが尋ねた。
「探しに行くのか?」
「うん。怖いから出来れば行きたくはないけどね……でも、何か困ってるんなら、助けてあげられるかもしれないし。もちろん、ヨキも一緒に来てくれるよね?」
「仕方あるまい。だがっ!後でサバ・ダ・バダ!をちゃんと開けるようにな!」
「はいはい。わかりました」
納得したヨキはベッドからスタッと降りた。
そして、震える足の私の肩に乗り、勇んで道案内を始めたのである。
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