第2話 噂をすれば……

「不動産屋ではないか?」


「たぶんね」


私達は軽く目で合図をかわした。

ヨキは私の膝から降りて、前のソファーに移動した。

人の形になるのが面倒な時は、こうやって猫の姿のままでいる。

猫又の姿だと、私以外誰の目にも触れないし、妖力も節約できるのだ。

お兄さんは?と聞かれても「外出してます」で済む。

ソファーで丸くなるヨキを見ながら、私は衝立からヒョイと顔を覗かせた。

漆原さんなら、わざわざ出ていく必要はないかな、と思ったのだけど……。


そこにいたのは、漆原さんではなかった。


「……どっ……どうして、ここに?」


私の驚愕の声を聞いて、ヨキがサッと身体を起こし、警戒体勢をとる。


「……久しぶり……芙蓉……」


ばつが悪そうに笑ったのは、さっき話に出た元カレ……織井おりい研吾だった。

噂をすればなんとやらなのか。

それとも、やはり茶柱の魔力なのか。

何かそら恐ろしいものを感じていると、ヨキがドロンと人の形になった。

私の動揺を感じ取って、助けてくれようとしているのだろうか。

良かった……一人で対処するには突然すぎて、無理だ。


「芙蓉。どうした?客か?」


「あ、う、うん。そうみたい」


衝立の後ろから、ゆっくりとした動作でヨキが立ち上がる。

私は視線を泳がせながら、歩いてくるヨキの後ろに陣取った。


「いらっしゃいませ。当画廊に何かご用ですか?」


ヨキの言い方は丁寧だ。

でも、重い。

いつも漆原さんと接している時の様子とは少し違う……って、私もそうなんだけど。

ヨキに威圧された研吾は、一瞬たじろいだ後、今度は負けじとはっきりと言った。


「ええ。実は、藤山美術館の館長から、こちらを薦められたんです」


「館長が?何で?」


私はヨキの後ろから口を挟んだ。

それは、わざわざ私に会いに来たんじゃなかったという安心感と、館長がどうして円山画廊を薦めたのか、という疑問からだった。


「絵のことで相談に行ったんだよ。そうしたら、円山画廊のオーナーが詳しいって言われてな」


「詳しいって……何に?」


私はヨキを見上げた。

彼にもさっぱり見当がつかないらしく、首を傾げている。

そんな私達二人の前で、研吾は手に持っていた頑丈そうな紙袋から、小さめの四角い物を取り出した。

不織布で丁寧に包まれた四角い物。

研吾がゆっくりと不織布を開いていくと、中には一枚のキャンバスがあった。


「油絵?……男子生徒の自画像かな……?若い子が描いたって感じの荒くて強いタッチだね」


「そうだよ。俺の生徒……美術部の子が描いたものだ」


研吾は懐かしそうに、でも、少し悲しそうに呟いた。

これは、何か込み入った事情がありそうだ。


「取りあえず……どうぞ?こっちに座って?」


そう促すと、研吾は「うん。ごめん」と力なく言った。

その顔に私は驚いた。

さっきは動揺して気づかなかったけど、良く見ると顔色は悪く、疲れている気もする。

付き合っていた頃は、ハツラツとしていて自信たっぷり、嫌味なくらい何でも出来る男だったのに。

会わなくなって一年しか経ってないけど、こんなに変わるものなのかな?

それほど、世間は厳しいってことなのだろうか?

私、美術教師にならなくて良かったかもしれない。

ヨキのお腹を撫で回す毎日の方が断然健康にいいからだ!


そうして、ヨキと研吾と私は、応接のソファーに座って話を始めた。

口火を切ったのはヨキだ。


「まず、何の相談に藤山美術館へ行ったのか、聞いてよいか?」


「はい。あ、その前に……失礼ですが、あなたはどなたでしょうか?ここのオーナーは芙蓉ですよね?」


研吾が尋ねた。

その様子は挑戦的にも見えた。


「……うむ。オーナーは芙蓉だ。私は芙蓉の兄、ヨキだ」


「あれ?……お兄さん、いたっけ?」


研吾が鋭く私を見る。

あ……。

思わず声が出そうになったのを、必死で呑み込んだ。

研吾は私の家族構成を知っている。

海外を渡り歩く美術商の両親と、全寮制の男子校にいる十六歳の弟。

画廊をしている祖父のことも、なんとなく話していた気がする。

つまり、と知っているのだ。


「あ、の、え……とね。いとこのお兄さんよ!もう、兄みたいなものだから、兄って言っちゃうのよね?ね?ヨキ!?」


「お!?……おう」


事情のわかっていないヨキは、一度面食らって頷くと、すぐに状況を理解した。


「すまぬな。言葉が足りなかったようだ」


「……いえ、そうですか。いとこのお兄さん……ですか」


研吾はふぅんと軽く首を捻った。


「それで、研吾。今度はヨキの質問に答えてくれない?」


疑問を追求するヒマは与えない!

私が本題に戻りつつ、話題を逸らすと、途端に研吾は歯切れが悪くなった。


「あ、うん……藤山美術館へはこの絵の相談に行ったんだよ」


「この絵?普通の絵だよね?」


私は応接テーブルに置かれた絵を見た。

上手いと言えば上手いけど、特に何の変哲もない自画像。

ただ、一つ思うのは、何か訴えてくるような迫力があると言うことだ。


「普通じゃないんだ。これ、呪われてるんだよ」

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