呪われた絵
第1話 茶柱
「あ……」
円山画廊、午後三時。
小さく呟いた私を、徘徊中のヨキが振り返った。
「何だ?お茶に虫でも入っていたか?」
「……違うわよ」
三時のおやつに、どら焼と暖かいお茶を頂こうとソファーに座った私は、応接テーブルに置いたお湯呑みを凝視している。
それは、どうしてかと言うと……。
「ははーん?さては、お茶に映った自分を見て愕然としたのか?」
「はぁ!?どうして愕然とするのよ!?」
「突然面白い顔が映って、思わず声が出たのではなかったか」
「……」
じとっとした目の私を見て、ヨキはやれやれといった風で歩み寄ってきた。
そして、横のソファーに飛び乗ると、私の膝へと滑り込み、テーブルのお茶を覗き込む。
「にゃおうっ!お前、これ、茶柱が立っているじゃないか!なぜ、浮かない顔をしているんだ?」
ヨキは捲し立てた。
そうなのだ。
今日の私のお茶には、茶柱が立っている。
しかしそれは、幸運のサインではない。
少なくとも私にとっては……だけど。
「茶柱が立つとね……良からぬことが起こるのよ」
「……良いことの間違いではないか?昔から……かなり昔からそう言うぞ?」
猫又が言うと、説得力がある。
でも私は反論した。
「それは一般的に、でしょ?私の場合、結構な確率で嫌なことが起こるのよねぇ……」
「例えば?」
ヨキはコロンと寝転がり、リラックス姿勢をとりながら尋ねた。
私は条件反射で、ヨキの頭を撫で首の下を擦り、ポヨンと出た横腹を触る。
するとヨキは「ふにゃー」と小さく鳴き、気持ち良さそうに伸びた。
「えーとね……長くなるけどいい?」
「別に構わんぞ?客も来ないしな」
ヨキは辺りを見回して、あくびをした。
商店街も三時を過ぎれば、客足も疎らになる。
それに画廊に用事のあるような人は、ふらっと来たりしない。
ちゃんとアポをとって来る人がほとんどなのだ。
「そうね。じゃあ話してあげる。茶柱が立つと就職試験に落ちたり、彼氏と別れたりするのよ」
「就職?お前、どこに勤めるつもりだったのだ?」
「私立学校の美術の先生。なかなか手応えはあったんだけどね?」
私は当時を思い出して、苦々しい気持ちになった。
一次試験に合格すると、二次試験の案内が封書で届く、と言うシステムで、私はずっと待っていた。
そして、期限とされていた最終日、お茶に茶柱が立った!
「もしかして、今日来る!?」とぬか喜びしたのも束の間、結局、封書は届かなかったのだ。
「それは、茶柱のせいではない。お前に教師としての適正がなかっただけだろう?」
「……わ。わかってるわよ!」
その通りなんだけど、なんだかムカつく。
憤る私の膝の上で、ヨキはしれっと話を続けた。
「それで、かれしとは何だ?」
「え?ああ!恋人?みたいなものかな?あ、別れたから元カレね?」
「ほう、生意気な。お前にそのような者がおったとはな。で、その元カレ?とはなぜ別れたのだ?ん?」
ヨキはスフィンクスのように座り直し、私を覗き込んだ。
「生意気は余計よ……んーとね、ハッキリした原因はよくわからないの。自然消滅みたいなものだったし……強いていうなら、さっきの私立学校採用の件かな?彼ね、私と同じ中学を受けたの」
「ふむ。それで?」
「向こうは採用、私は不採用」
「……わからん。それがどうして別れる原因になるのだ?」
「だから……ハッキリわからないんだって!私に黙って受けて、自分だけが受かったから後ろめたいと思ったとか?何か他の理由かもしれないし……」
例えば、他に好きな人が出来たとか、実は既婚者だったとか。
でも、それがどんな理由だったとしても、今の私にはなんら関係のないこと。
終わったことを振り返らないというのが、私の唯一の長所である!
「とにかくね……茶柱はヤバイのよ。嫌なことが連鎖するって感じかな?まぁ、考えすぎかもしれないけどね」
「そうだ。考えすぎだ。ふむ。特にお前を和ませてやるつもりはなかったのだが……ほれ」
ヨキは仰向けになってお腹を出し、更に掌を向けた。
……腹を撫でて、肉球を揉め。ね?
キラキラとした瞳でこちらを見るヨキは、既に揉まれ撫でられることを想像して鼻息が荒い。
これ、どっちが和まされているかわからないわよね?
でもやっぱり、モフモフの魅力に抗うことは出来ない!
私はヨキの腹をワシャワシャと撫でながら、合間でどら焼を堪能した。
甘味を押さえた皮に、濃厚な小豆がとても合っている。
一口、二口と食べ進めると、お茶が欲しくなった。
お茶で口内を潤してから、また改めて一口……そう思いお湯呑みに手を伸ばすと、そこで茶柱が存在感を放っている。
ふん、こんなもの、飲み干してくれるわ!
私は一瞬で豪快にお茶を飲み干した。
すると、衝立の向こうで、入り口ドアの開く音がした。
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