第17話 エピローグ

それから、私達は新生児室に移動して、硝子窓の外から赤ちゃんに対面した。

くぅくぅと幸せそうに眠る赤ちゃんは天使のように可愛い。

「目元と口元が私にそっくりだろう?」と、早くも親バカを炸裂させる社長を見て、私はある出来事を思い出した。

初めて舘野社長に会った時、顔を覗き込まれて感じた既視感。

それは、絵の女性、八重さんと同じ種類のものだったのだ。

憎んでも、嫌っても、親子は親子。

切っても切れない絆は、もうすでに存在していたんだと私は感動すら覚えていた。


そして帰り間際、私とヨキは絵が置いてある病室に寄った。

これで、八重さんの願いを叶えたことになるんだろうか?

精一杯やったつもりだけど、彼女の望む結末になったのだろうか?

それが気掛かりで、もう一度確認したかったのだ。


病室のサイドテーブルに置かれた絵は、遠目では目立った変化は見られない。

しかし近付いてみると、ある大きな変化が見られた。

絵の中には八重さんしかいないはずなのに、彼女の隣に男の人が立っていたのだ。


「あ、相沢さん……?」


そう呟くと、彼等はこちらを向きゆっくりと頭を下げた。

えっ?何?幻覚!?

私は思い切り目を擦り、一度瞬きをした。

すると、絵は元の通り。

美しい池に白い日傘の女が佇む、元の絵画に戻っていた。


「もう、水が滴ることはないだろう」


ヨキが言った。


「そうだね。きっと、八重さんも相沢さんも満足したよね?……あ、ねぇ、ヨキ?」


「なんだ?」


「絵から滴っていた水って、あれは、池の水だったのかな?ひょっとして、涙だったりして?でも、あの量だったら脱水症になるね!」


「……お前はいい話を壊すのが得意だな」


「壊す?別に壊してないよ?」


キョトンとする私に、ヨキは諦めたような視線を向け言った。


「……そうか。気付かないとは、幸せなことだ……」


「どういう意味?」


悪口を言われている……。

それを感じとった私は、ヨキの着物の袖を思い切り引っ張った。

どういうことか問いただしてやろう!としたのだ。

しかし、ヨキが首を捻って呟いたのを見て手を放した。


「しかし、わからんな……」


「えっ、何が?」


「八重は最後まで名乗るつもりはなかったんだろう?ならば、あの日記はそのまま隠しておけばいいのではないか?だが《探して》と言った……それが矛盾していると思ってな」


「なんだ。そんなこと?」


私が言うと、ヨキは目を丸くした。

あれ?ヨキのこんな顔を初めてみたな。

いつも仏頂面か顰めっ面、人を小馬鹿にしたような顔しか見たことなかったからとても新鮮だ。

もっと見ていたいと思ったけど、あまりにも凝視されて怖かったので、私は答えることにした。


「生きてる間は名乗る権利なんてないって思っていても、本当は名乗りたかったのよ。人間生きてる時は理性が邪魔するけど、これ、残滓でしょ?《想い》なんだから、これが八重さんの本心じゃないの?」


ヨキは丸くした目を更に丸くした。

その顔はさっきよりも、もっと面白い顔である。

それをからかってやろうと、私が意気込んだ時、ヨキはいつもの表情へと戻った。


「ふん。人の考えることなど、よくわからん」


「妖怪だから?」


「そうだ」


吐き捨てるように言ったヨキは、そのまま病室を後にした。


「え、ちょっと、ちょっと待ってよ!」


ヨキは私を待つ気なんてさらさらなく、早足で廊下を抜け階段を降りる。

そして、階段下で待っていてくれた漆原さんの隣を無言で通りすぎると、そのまま出口に向かって直進した。


「え……ヨキさん、どうかしたんですか?」


ポカンとした漆原さんは、後を追う私に尋ねた。


「たぶん、お腹が空いたんですよ!」


「お腹……ですか?」


漆原さんは怪訝そうな顔をして呟いたけど、私は絶対そうだと思っていた。

お腹が空けば、誰しも不機嫌になるもの。

その上、ヨキは猫である。

突然不機嫌になったり上機嫌になったりなんて、気分屋の猫にはありがちである。

まぁ、至高のクロマグロでも買ってあげれば、万事解決!ヨキの機嫌もすぐ治るに違いない。


私は財布の中身を確かめながら、ヨキを追って出口を目指した。

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